[ゆけむり通信 番外1998]

4/28/1998
『スター誕生』

菊田作品をよみがえらせるには

 『ザッツ・ジャパニーズ・ミュージカル』に続く、高平哲郎によるミュージカル『スター誕生』は、共に故人である江利チエミ(主演)と菊田一夫(作・演出)のコンビが、日本ミュージカル史上に名高い翻訳ブロードウェイ・ミュージカルの嚆矢『マイ・フェア・レディ MY FAIR LADY』の2年前、1961年に大阪の梅田コマ劇場で初演の幕を開けたオリジナル作品の、潤色再演だ。
 奇しくも『ダル・レークの恋』と時を同じくして、また1本、菊田一夫ミュージカルが復活したわけだが、残念ながらここでも原舞台の脚本の古臭さを引きずる形になった部分がかなりあり、仕上がりは中途半端。だが、北村岳子の奮闘をはじめとするショウ場面には見るべきところもあった。
 そうそう、これは、水前寺清子芸能生活 35周年記念公演でありました。

 ストーリーをざっと説明すると――。
 無名の女の子が男性スターと知り合ったのをきっかけに才能を認められていく。そして逆に、男性スターは落ちぶれていく。という構図だけは、同タイトルの映画(原題『A STAR IS BORN』。37年、54年、76年と3度作られたが、最初の2回の邦題は『スタア誕生』)と同じ。

 第1幕。
 昭和 48年。主人公・谷崎カオルの芸能生活25周年並びにヒット大賞受賞記念パーティが行なわれている。そして回想。  昭和 35年。カオルは、母親と共にドサ回りの一座で役者をしている。
 倉敷で公演していた時、ひょんなことから石原裕次郎をモデルにしたような映画スター、藤田博に出会い、歌を誉められる。上京して勉強してみないか、と言われて藤田の事務所を訪れたカオルだったが、その直後に藤田は車で事故を起こし、スター生命を絶たれる。周囲の人間に見捨てられた藤田を献身的に看病するカオルは、退院後も藤田を自分のアパートで世話する。
 そんなある日、知り合いのつてで出向いたミュージカルのオーディション会場で、カオルは大物作家に認められ、主役の座を射止める。彼女の邪魔になるまいと立ち去る決意をした藤田の元に、青森の興行師・戸田が現れ、藤田のマネージャーだった木下が藤田の事務所名義で作った借金の肩代わりに、カオルの興行権を要求する。断った藤田は、事務所の社長としての責任で青森のキャバレーへの出演を同意させられる。

 第2幕。
 昭和 40年。すっかり売り出したカオルが上野駅から青森に向かおうとしている。木下から連絡を受け、行方不明だった藤田に会うためだ。その藤田は、すでに借金を払い終わって余りある働きをしていたが、戸田の策略で不当な契約書が作られていたため、さらなる借金が生まれていた。
 青森に到着したカオルの身の安全を守るために藤田が事情を話さないのをいいことに、小島はカオルをキャバレーのステージに立たせる。そして木下に、藤田の殺害を命じる。バイクで走り去る藤田。狙う木下。
 昭和 45年。スターになったカオルは、東京の大劇場で母たちの一座と共演する。その楽屋で、再び行方不明になったと思っていた藤田が実は死んでいたと知らされ、取り乱すカオル。それを諭し励まして舞台に立たせた母は、終演後静かに人生の幕を下ろす。
 その一週間後、花見に興じる戸田を、死んだはずの藤田と、密かに彼を助けた木下が襲う。大立ち回りの末、戸田は義侠心の強い子分の1人に留めを刺され、藤田たちは去る。
 再びカオルの記念パーティ会場。過去に思いを馳せるカオルの前に藤田が現れ、優しく寄り添う。

 まず、カオルの出世物語が都合がよすぎるのだが、それも含めて、いわゆるバックステージのあれこれが細かくリアルに描かれていない、というのが最大の不満。この種の題材は、そういった細部のエピソードが描き込まれれば描き込まれるほど説得力も増すし、ドラマも盛り上がる。
 例えば、テレビ創生期の地方局の実態、試行錯誤だった頃の日本ミュージカル界のオーディションのあり方、興行主と暴力団との関係、等々、いくらでも突っ込んで面白くできたはず。それをおざなりにしたままでは、途中、時代ごとに流行った映画のタイトルなどをセリフで盛り込んでも、とってつけた感じしかせず、効果が上がらない。
 2本しか観ていないので憶測でしか言えないが、菊田一夫の作劇というのは、おいおいホントかよというようなあざとい展開を臆面もなくやってしまい、それを全体の気分で納得させる、というようなものではないだろうか。それを現代に生かそうとするのなら、骨子をいただいて、それにリアリティを与える丁寧な演出を、かなり施す必要がある。そう思う。
 藤村俊二や小松政夫といった芸のある役者をもっと有効に生かすためにも、精密な脚本がほしかった。
 ところで、ストーリーのところには書かなかったが、初めと終わりに平成10年のカオルが出てきて、この脚本、実は二重の回想形式になっている。現代とつなげる工夫だと思うが、ダブルの回想は観客にとまどいを与えて逆効果だ。

 この舞台で、もう1つ不満だったのはキャスティング。
 水前寺清子が意外なほどにハマらない。スケールが小さくて、華やかさがない。歌はところどころ江利チエミに驚くほど似ていたりするのだが、何かヴァイタリティのようなものが感じられないのだ。
 そして名高達郎。見栄えはいいが、やはり大スターのイメージからは遠い。

 が、初めにも書いたが、北村岳子の活躍が素晴らしかった。
 特に、第1幕で藤田の性悪な恋人に扮して、木下と絡んで歌い踊る「不道徳教育講座のタンゴ」は、 『クレイジー・フォー・ユー CRAZY FOR YOU』のアイリーンのナンバー「Naughty Baby」に勝るとも劣らない濃厚でユーモラスな仕上がり。
 その他、ショウ場面はふんだんに盛り込まれてサーヴィス満点。ダンサー陣はかなりの熱演だった。ただし、振付は平均点。

 母親役の藤田弓子が堂々たる存在感で舞台を支えたのを書き添えておく。

(6/12/1998)

Copyright ©1998 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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