[ゆけむり通信 番外1998]

3/6/1998
『サウンド・オブ・ミュージック THE SOUND OF MUSIC』

新演出で見えた歌の力

 宮本亜門版(演出・振付)の『サウンド・オブ・ミュージック』を観たのは 95年4月8日。その3年前の青山劇場公演が宮本=大地真央(主演)コンビにとっての初演で、当時国内のミュージカル(特に翻訳もの)をほとんど観ていなかった僕の耳にも、いい評判が伝わってきていた。
 95年の再演は、帝国劇場という最悪の条件だっただけに不安半分期待半分で出かけたが、悪くなかった。
 鳥がさえずる中、舞台中央に伏せていたマリア(大地)が、(シャレじゃなく)大地から萌え出ずるようにゆっくりと踊りながら立ち上がるオープニングから、ケレン味たっぷりにアルプスが現れるエンディングまで、鮮やかな演出が光った。

 今回の演出は山田和也。古典に映画版のイメージを加味してリフレッシュしてみせた宮本版との最大の違いは、オリジナル舞台の台本に(ということは楽曲も)忠実なことだ。
 その結果わかったことは、オリジナルが実によく出来たミュージカルらしいミュージカルであるということ。
 プログラムには [今回はブロードウェイの原作に戻して、ドラマ部分の充実をはかる](安達英一)なんていう記述も見られたが、そんなことはない(だいたいミュージカルでドラマ部分の充実を図ってどうすんですか)。むしろ、余計な演技は抑えて、新演出がくっきりと浮き彫りにしたのは、オリジナル舞台が、なにより歌の力を十二分に引き出し生かすべく構成され書かれているという、当たり前と言えば当たり前の事実だった(脚本 / ハワード・リンゼイ Howard Lindsay & ラッセル・クルーズ Russel Crouse)。

 オーストリアのザルツブルク。修道女になるべく修行中の無垢で奔放な娘マリアは、社会勉強のために家庭教師として派遣されたトラップ家で、はじめは7人の子供たちと、そして妻に先立たれた退役軍人トラップ大佐とも心を通わせ、紆余曲折を経て大佐と結婚。が、迫り来るナチス・ドイツの支配を逃れて、一家で故国オーストリアを脱出することになる。
 史上最短のストーリー紹介。たぶん(笑)。

 改めて考えると、それほど凝った話ではない。
 マリアの前にハードルが次々に現れ、それを彼女が持ち前の明るさと行動力で乗り越えていく、という話なんですね、基本的な構造としては。それだけ。
 それも、あまり苦労をするわけではない(ナチスからの逃亡を除けば)。観ている側の印象で言えば、歌ったり踊ったりしている内に、子供たちと仲良くなり、トラップ大佐と結婚することになる。
 実はそこに、このミュージカルが名作であるゆえんがある。

 余計なセリフや芝居ではなく、歌が(そして少ないが踊りが)物語の展開を観客に納得させていく。これぞミュージカルの醍醐味。
 しかも、その歌詞は、例えば『レ・ミゼラブル LES MISERABLES』『ミス・サイゴン MISS SAIGON』などのように状況や歌う人間の心理を直接説明するものではない。
 典型が「Do-Re-Mi」だ。
 「ドはドラム。レはレモンシャーベット……」(作詞 / 宮本亜門)と音階の呼び名が頭につく言葉を羅列していくだけのこの歌、マリアとトラップ家の子供たちとが巧みな掛け合いで歌うと、彼らが心の壁を取り払って互いに理解し合っていくことを、どんなエピソードよりも雄弁に物語る力を持つ。
 30年も前から何度となく聴いてきた耳タコの歌が、これほどドラマティックだったとは。
 同じことは、修道院長がマリアを理解していることが言外にわかる「My Favorite Things」、大佐がマリアや子供たちに心を開く「The Sound of Music」、大佐と婚約者エルザの別れが明らかになる「No Way to Stop It」、静かに故国への愛情を吐露する「Edelweiss」など様々な場面で言える。いずれも、歌の持つ力を生かしきった、『サウンド・オブ・ミュージック』と呼ぶにふさわしい見事なショウ場面群だ。
 もうひとつ、数少ないダンス場面だが印象的なのが、大佐が、フォーク・ダンスを教わっていたクルト(下の息子)に代わってマリアと踊るところ。2人の大人の情感が無言の内に伝わる、いいシーン。
 ソング&ダンスによって観客の心を揺すぶることをミュージカルの至上の命題とするなら、この作品はまさに名作と呼ぶにふさわしい。

 こうしたミュージカルとしてのよさがはっきりと見えたポイントは、オリジナル舞台の脚本にのっとっての、「Do-Re-Mi」の位置だ。
 修道院からトラップ家に到着したマリアが、大佐の“笛”によって子供たちを紹介された後、すぐに子供たちに向かって「Do-Re-Mi」を歌い始めるのが山田和也版。
 構成も楽曲も映画版寄り(「My Favorite Things」は修道院で院長とマリアが歌うが)の宮本亜門版では、マリアは映画同様「I Have Confidence(in Me)」を歌いながらトラップ家にやって来るので、子供たちと出会ってすぐ「Do-Re-Mi」というわけにはいかないと考えたのだろう。結局、映画では「My Favorite Things」が歌われた雷の夜のベッドで「Do-Re-Mi」が歌われることになる(だから歌詞が、「ドはドラム、雷はドラム」だったわけで、今回はそこの整合性がなくなっている)。
 で、ですね。「Do-Re-Mi」によってマリアと子供たちが打ち解けるのはどちらの版でも同じなのだけれど、山田版の方が唐突なんですね、よく考えれば。出会ったばかりで、しかも子供たちは家庭教師という存在に懐疑的。それが歌1つで仲よくなれるはずないよ、よく考えれば。
 これが大事な点。
 “よく考えれば”唐突なんだけど、よく考える前に我々観客は、歌っている彼らを観てうれしくなって納得してしまう。ミュージカルのマジックだ。
 山田演出は、オリジナル舞台のこうした大胆さをそのまま現代の観客にぶつけてみせた。逆に言えば、宮本演出は、不自然にならないように繊細に、周到に展開してみせたということになる。
 そして、僕にとっては、芝居はむしろ抑え気味にして、歌の力で見せていった今回の演出の方が、『サウンド・オブ・ミュージック』というミュージカルの本来的な魅力をよみがえらせてくれたという意味で、刺激的だった。

 ただ、こうした演出には別のむずかしさもあって、場面によっては説明不足だと感じた人もいるようだが、それはもっぱら役者の力量の問題だと僕は思う。役者の歌の表現力、あるいはもっと単純に歌唱力が、楽曲が要求するレヴェルに及ばない場合があるのは、残念ながら日本のミュージカル舞台では日常茶飯事だ。

 しかし、大地真央は素晴らしい。
 はっきり言って、音程や発声という点では問題ありの歌でさえ、彼女の強く明るいキャラクターと一体になれば OK だ。パーフェクトと言うわけにはいかないが、客を呼べるというだけでなく、舞台を引っぱることのできる数少ないミュージカル女優の1人であることは間違いない(だからって、1年に4本も5本もやらせるのはどうかと思いますよ)。
 時として彼女だけが突出して見えるのは、彼女の責任ではなく彼女に追いついていかれない周りの力不足。そういう風に考えないと、日本の舞台は結局つまんないところでバランスのとれた面白味のない舞台ばかりになってしまう恐れあり(でも彼女、赤毛ものしかやらせてもらえないんだろうか)。

 トラップ大佐役、古谷一行は、95年の若林豪がひどかっただけに、安定して見えた。歌もうまい部類でしょう。ギターもちゃんと弾いてたし。
 エルザ役、今陽子と、大佐の友人マックス役、尾藤イサオは共に達者。でも尾藤イサオはもったいないなあ。この人の主演でオリジナルを作ってほしい。
 修道院長役、妻鳥純子のオペラ的歌唱は立派だが、周りがそういう発声の訓練をしていないので、どうしても浮いてしまう。
 マリアを見守るシスターの1人に扮した毬藻えりは、あまり目立たず。
 長女リーズル役、松下恵は『ピーターパン PETER PAN』に出ていた時にも思ったが、もう少し訓練を積んでから出直してほしい。プログラムのインタヴューで「私、バレエやダンスはやったことがないので」なんて平気で発言する方もする方だし、書く方も書く方(執筆 / 萩尾瞳)。なんて甘い世界なんざんしょ。
 郵便配達青年ロルフ役の正木慎也もちょっとなあ。

 とまあ、いろいろと書きましたが、『サウンド・オブ・ミュージック』から学ぶべきは、ミュージカルの肝はソング&ダンスにあり、という根元的な真実につきると思う。
 それに応え得るオリジナル楽曲を書けるかどうか。日本のロジャース&ハマースタイン Richard Rodgers & Oscar Hammerstein U よ、出よ!

※ブロードウェイ版の観劇記はこちら

(5/1/1998)

Copyright ©1998 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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