[ゆけむり通信 番外1998]

4/22/1998
『春櫻賦』
『レッツ・ジャズ 踊る五線譜』

大胆にショウ場面を挿入した冒険作

 宝塚雪組トップ轟悠の東京お披露目公演となった、ミュージカル『春櫻賦』とレヴュー『レッツ・ジャズ 踊る五線譜』の組み合わせ。前月の『ダル・レークの恋』同様、帝国劇場での味気ない録音オーケストラによる上演だったが、『春櫻賦』のショウ場面が大胆で、強く印象に残った。

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 『春櫻賦』は、江戸時代初期、薩摩藩に武力制圧された“戦いを知らぬ民”琉球の人々の苦難と再生を描いた異色作。ストーリーは途中から歯切れが悪くなる。

 主人公・謝名龍山は、薩摩の侵略に対する抗戦派のリーダーを父に持つ、琉球では数少ない武闘派だが、その父は捕縛され、母、妹、弟は国王・尚寧らと共に人質同然に薩摩に連行されて、手も足も出ない状態となった。
 1年間薩摩で厚遇を受けた尚寧王は、薩摩藩の勧めに従って江戸へ赴き、将軍に琉球国の存続を願い出ることにする。しかし、その裏には琉球が明と行なっている貿易の利潤を独占しようという薩摩藩の思惑がある、と尚寧王に訴えた龍山の弟は薩摩の怒りを買い、尚寧王の江戸行きの行列で見せ物として琉球舞踊を踊ることを命じられる。また、母と妹は旅芸人の一座に売り飛ばされることになる。
 一方、薩摩藩への服従をあくまで拒否していた龍山の父は、斬首刑を宣告される。そこに現れたのが仲間と共に琉球を抜け出した龍山で、なんとか父を救おうとするが、立ちふさがる鉄砲隊の前になすすべもない。だが、父が処刑される直前、斬首の命を受けた薩摩藩の秋月数馬という男が、弟や、母、妹の処遇を龍山に遠回しに知らせる。

 ここまでで全体の4分の1ぐらいだが、物語の輪郭はほぼ明らかになったように見える。すなわち、琉球国の自由の回復、龍山と家族との再会、秋月数馬との対決。
 そして、後の2つはその通りの展開になるのだが、琉球国の自由の回復ということについては、歴史的事実として極端に言えば今日まで事態は変わっていないわけで、どう持っていくのか疑問だった。が、作者(作・演出/谷正純)は意外にも、安易な現実的(政治的)解決は描かず、主人公が思想的に変貌を遂げる物語にした。
 これは現在の沖縄問題までを視野に入れた今日的な発想で、最終的には甘い結末を迎えるものの、宝塚のオリジナルとしてはかなり前向き。結果的には、中盤以降主人公が行動の芯を失い、ドラマとしてはやや拡散してしまうことになったが、この姿勢、僕は支持したい。

 というわけで、この後、主人公・龍山は尚寧王の一行を追うが、死の間際の父から「大和を知り、琉球が生き延びる道を探せ」なんて禅問答のような遺言を残されてるもんだから、自分は自分で迷いつつ、尚寧王に出会ったら出会ったで説得ばかりしていて、行動にメリハリがなくなる。
 その分、周辺のドラマが多様に展開する。
 例えば、龍山らが京都で出会う女歌舞伎一座・御喜楽座。その中にいる琉球出身の女の故郷に対する思い。快活な花形役者の龍山への思慕。ちゃらんぽらんに見えて一本筋の通った楽天的な座長の男気。
 また、龍山の母と妹が売られた旅芸人一座。冷酷な座長の屈折。影があるが優しさも秘めた傀儡師と妹とのはかなげな愛。苦境に耐える母の誇り。角兵衛獅子兄弟の健気さ。
 そして、薩摩藩。殺人の道具としてしか扱われない、孤児だった秋月数馬の孤独。
 こうしたサブのキャラクターの人間模様が、有機的に絡むというところまで行かないものの、場面場面でていねいに描かれていき、舞台を支える。
 そんな人々と微妙に絡み合いながら、龍山は成長していく――というメインとなるべきドラマは、前述したように、あまり盛り上がらない。

 むしろ、そうした具体的なストーリー部分より、この作品で面白いのは、必ずしもストーリーとは直結しない抽象的なスタイルで挿入されたショウ場面だ(振付/西崎真由美)。
 まず琉球的群舞で幕を開け、薩摩藩士の踊りが続いて、物語の構図が示される。
 龍山の父斬首という悲劇の後、一転して華やかに現れる女歌舞伎の歌と踊りは、舞台が京都に移ったことを示すもので、扱いはオーソドックスだが、前段との雰囲気の転換が鮮やか。
 薩摩藩の宿に潜入した龍山が御喜楽座の女たちに紛れて踊る場面はストーリー内のものだが、能を思わせる所作と正体が暴かれるのではないかというスリルとがマッチして、緊張感を生み出す(ここで鮮やかな早変わりでもあれば、さらに凄かったのだが)。
 佐渡の海をイメージしたセットの前で繰り広げられる鬼太鼓の舞は、龍山の焦燥を表すように荒々しい。この群舞は大きな見どころのひとつ。『誠の群像』の鬼の踊りを連想した。
 大団円を前に続けて現れる2つの踊りも印象的。ほの暗い舞台の下手奥から上手前へ斜めに列をなしてゆっくりと進む、笠を被った男女の踊り手たち。派手な動きはないが、構図が鮮やかで、不思議な情感を生む。続く、津軽じょんがら節の景は一転して躍動的(和太鼓/林英哲)。
 そして圧巻は、エンディングの“ボレロ”さくらさくら。舞台いっぱいが桜に覆われた中、隊形を様々に変えながら繰り返し踊られる端正な舞が、じわじわと華やかさを増していく。宝塚ならではの一景。

 これらのショウ場面は、場面としてよく出来ているだけでなく、バラバラになりそうなドラマ部分を結びつける役割を果たしている。それも多くは説明的にでなく。
 そうしたザックリとした感触の大胆な構成が、ドラマ部分の弱さを補って作品として強い印象を残すことが出来たのは、特筆すべき成果だ。

 龍山役・轟悠は、難しい役回りながら、静謐な表情の裏に秘められた情念を感じさせる力演。
 月影瞳は、龍山に惚れる花形役者を陽気に艶やかに演じて舞台を華やかにする。
 秋月数馬役・香寿たつきは、エキセントリックな人物を鮮烈な印象で演じたが、もっとふくらみのあるキャラクターにした方が彼女には相応しかったのでは? やや役不足でもったいない感じ。
 際だったのが未沙のえる。良心のかけらもない冷徹な薩摩藩の軍事リーダー的存在を、きびきびと(楽しげに?)演じて存在感を示した。
 もうけ役は御喜楽座の座長。演じたのは汐風幸で、本筋への関わりが薄い分、彼女ならではの陽性のキャラクターを自在に生かして印象的。

 むずかしい題材を選んで、課題は残すものの、宝塚の可能性を示したこの舞台あたりを水準にオリジナル作品を作っていってほしいなあ。
 あ、切り絵的な象徴的背景や桜の大木を生かした装置(新宮有紀、阪本保)も見事でした。

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 『レッツ・ジャズ 踊る五線譜』は、『サザンクロス・レビュー』で僕らを興奮させてくれた草野旦/作・演出のレヴューだが、期待はずれ。並の仕上がりに留まった。
 ジャズの歴史をたどったような構成がショウ的にも考証的にも(ってダジャレじゃなく)中途半端だったのと、つなぎに「Ol' Man River」という難曲を持ってきたのが敗因。それに、まあ根本的に問題なんだけど、特にジャズってテーマのレヴューで演奏が録音てのは致命的でしたね。

(6/6/1998)

Copyright ©1998 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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