[ゆけむり通信 番外1998]

10/8/1998
『シューズ・オン!』

借り物感を脱ぎ捨てよう

 サブ・タイトルは「ザ・タップ・ショウ」。 6人のダンサーが、これでもかとばかりに徹底的にタップ・ダンスを見せる。それが『シューズ・オン!』だ。
 俳優座劇場という小振りな空間が、このショウにふさわしい親密な空気を生み出し、舞台と客席が 1つになって盛り上がる。久しぶりに、「楽しい」と言える日本のミュージカルに出会って、気分がよかった。

 とは言っても、やはり注文がないわけではない。が、まあそれは後で。

 出演は、五十音順に、川平慈英、北村岳子、黒田ひとみ、玉野和典、藤浦功一、本間憲一。
 成功の要因は、この、それぞれに個性的な 6人の出演者が、構成・演出の福田陽一郎のアイディアを元にしながら、全員で舞台を作り上げていったことじゃないだろうか。
 別に、創作の現場にいて見ていたわけじゃない(笑)。各ナンバーの振付に(クレジットによれば) 6人のメンバー全てがなんらかの形でかかわっていることからの推測だ。あるいは、出演者の側から出されるアイディアを演出家がまとめ上げるという側面もあったのかもしれない。
 とにかく、この舞台には(バックにいるバンドも含めて)強い一体感――各自の役割を演じるという以上の連帯感――があった。

 実は、そういう感じ、日本のミュージカルの舞台では、僕の観ている限り少ない。
 圧倒的に多いのは、演出家(脚本家を兼ねていることも多い)がほぼ独裁的に作り上げたのだろうな、という印象の舞台だ。ことにダンス系の舞台にそれが多く、概して内容が薄い。コラボレーションという発想に乏しく、アイディアを出し合って練り上げるという重要な作業を、積極的に行なっていないように見えるのだ。

 しかし、このショウは違った。出演者が自ら参加することで、それぞれの個性をめいっぱい発揮しての舞台作り。すごく前向きな気分がいっぱいで、それが結果的に舞台を楽しいものにした。
 その中心になっているのが、川平慈英。と書くと、この舞台を観た人は疑問に思うかもしれない。
 振付に全員がかかわったと言っても、中心になっているのは玉野和典と本間憲一の 2人だし、はっきり言って川平慈英のタップは細かい部分がやや怪しい。にもかかわらずだ。このショウの楽しさの源泉は、川平慈英のショウマンシップと視野の広さにあった。彼の、観客の気持ちと今という時代の空気をつかむ才能が、他のキャストを引っぱって、この舞台を広がりのあるものにした。
 藤浦功一という趣の違うダンサーの参加も、その意味ではプラスに働いた。
 逆に言うと、福田陽一郎、玉野和典、本間憲一という、いわばテクニカルな部分を担う人たちだけで作ったとしたら、もっと閉じられた、趣味の世界で終わっていた可能性がある。過去に観てきたこの 3人のかかわった舞台(玉野、本間の舞台はこの後も観た)の印象から、そう思う。
 そう考えると、今回の 6人の組み合わせは、かなり理想的だったのかもしれない。

 この辺から注文になっていくが、以上のように、とても楽しかったと評価した上での、“明日のためにその 1”(通じる?)的な注文であることをご了承ください。

 まず、と言うか、とりあえず、と言うか、少なくとも、と言うか、楽曲は手垢のついていないものを使ってほしかった。オリジナル楽曲を作るべき、とまでは言わないから、他のダンス・レヴューで使われている曲やミュージカル・ナンバーは出来るだけ避けてほしい。
 なぜなら、こういうショウの楽曲選びは、ある種のアイデンティティの表明だと思うからだ。つまり、(オリジナル楽曲を作るのでない限り)選び取る楽曲の音楽性や込められた思いを借りて何かを表現するすることになるわけで、選曲でオリジナリティを発揮しなくてどうするんだ、と思う。
 しかし、残念ながら今回は、ほぼ全曲が他の舞台で使われた楽曲だった。
 作る側はそれを、この道の先人や作品に対するオマージュ、あるいは好事家への目配せだと言うかもしれない。が、そうしたやり方には、特に日本にあっては、他人の褌で相撲を取るような借り物感がつきまとう。
 典型的な例は――。
 老ダンサーの哀愁を表現した「Mr. Bojangles」というナンバーは、楽曲と同時にアイディアそのものもボブ・フォッシー Bob Fosse の『ダンシン DANCIN'』と同じだし、『ノイズ/ファンク NOISE/FUNK』の「Taxi」(タクシーが止まってくれないのにアタマに来る黒人の若者たちをユーモラスに表現)の設定を日本の携帯電話事情に変えたナンバーは、パロディだというには中途半端で、なぜこの楽曲でなければならなかったのか疑問。
 ――といった具合。
 そもそも、『ダンシン』にしろ『ノイズ/ファンク』にしろ、これまでにないダンス・ミュージカルを作ろうとした意欲作だったわけで、そこで使われた楽曲を使って模倣に近いパフォーマンスに仕上げるのは、間違いなくオリジナルよりも後退することを意味する。

 『シューズ・オン!』に対して抱く最大の不満は、そうしたコンセプト面の弱さ、新しいものを作ろうという方向の意欲の足りなさだ。
 舞台の完成度を高めよう、楽しいものにしようという点で前向きだったというのは前述した通り。しかし、それはある限界内でのこと。
 [ショービジネスのシステムが根本的に違うから、ブロードウエイの真似はしたくないし、出来る筈もないがいい点は戴き、試みはやってみる方がいい] という、プログラムに書かれた福田陽一郎の言葉にある微妙な揺れが、やはり舞台にも反映されていて、まるっきりのマネではないけれども目指す方向は既成のブロードウェイのショウという仕上がりになっている。 [やってみる方がいい] と宣言した [試み] のスケールは、小手先サイズになってしまった。

 以上、厳しすぎる注文かもしれない。が、この 6人ならクリア出来ないことではないと思う。
 別に福田陽一郎を否定するわけではなく、ベテランにはベテランのよさがあるのを認めつつ言えば、次は自分(ダンサー)たちと年の近いコンセプトメイカーと組んで作ってみてほしい。ダンサーの肉声が聞こえてくるような舞台が出来るんじゃないだろうか。
 僕の観たいのは、そんな舞台だ。

(6/22/1999)

※次回の同作品の観劇記はこちらを。

Copyright ©1999 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

previous


[HOME]