[ゆけむり通信 番外1998]

10/7/1998
『オーマイパパ』

惜しい仕上がりの音楽劇

 遊◎機械/全自動シアター初体験。
 たぶん、 1人 1人の芸がもっと凄ければ、この緩い構成でも OK だったのかもしれない。しかし、“音楽劇(Jazzical)”を名乗る『オーマイパパ』は、楽しい予感をはらみながら、残念ながら爆発せずに終わってしまった。

 製作サイドの意図はともかく、観客の目には、この舞台、『キャッツ CATS』によく似て見える。
 ゴミ捨て場に住まう者たちの饗宴。だよね、『キャッツ』も。

 様々な理由で世の中から打ち捨てられた、あるいは自らを捨てた人間たちが集う巨大なゴミ捨て場(舞台美術/伊藤保恵の装置は楽しい)。そこに今日も 1人の男が下りてくる。
 それを、手ぐすね引いて待っているのは、親の顔も知らない少女。彼女は、いつの日かパパが自分を迎えに来てくれると信じているのだ。
 そして始まるショウタイム。住人たちが新参者に、自分の得意なスタイルで自分の人生を語ってみせる時間がやって来た。
 さあ、ショウタイムが終わるまでに、少女は男がパパであることを確かめられるのだろうか。

 この話の大枠は面白い。生まれ変わりの旅に召される猫が選ばれる夜、なんてのより、リアルな共感できるネタが出てくる可能性が感じられる。
 しかし、実際には、そんなネタは出て来ず、なんだか家族論・人生論めいた抽象的な話に終始する。

 そうなると当然、舞台の成否は各人のショウ場面の質にかかってくることになる。冒頭で言った「1人 1人の芸がもっと凄ければ」というのは、そのショウ場面のこと。
 役者が入れ替わり立ち替わり、それぞれの個性を生かして歌ったり踊ったりしてみせ、それなりに楽しい雰囲気を作りはする。劇団のファンには、これで充分なのかもしれない。だが、冷静に観れば、芸としては物足りないと言わざるを得ない。
 ことに、歌手としての力を買われてキャスティングされているはずの花山佳子が案外歌えない(『ジェリーズ・ガールズ JERRY'S GIRLS』を観た時にも思った)のは大いにマイナス。
 もし、このレヴェルの芸で押し通そうとするのなら、もっと密な、アイディアの詰まった脚本にする必要があるだろう。
 ヴァイオリンの中西俊博を中心にしたカルテットの演奏が素晴らしかっただけに、もったいなかった。

 作(とプログラムには書いてある)/高泉淳子、演出/白井晃。

(3/26/1999)

Copyright ©1999 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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