[ゆけむり通信 番外1998]

5/22/1998
『星の王子さま'98』

感動させようとしすぎ

 音楽座ミュージカル第2弾。
 この演目を初めて観たのは 93年 10月 4日本多劇場。当時のタイトルはまだ『リトルプリンス』だった。2度目が 95年の 10月 22日青山劇場。この時『星の王子さま』というタイトルになっていたが、その公演を最後に音楽座は解散した。
 音楽座が、面倒な版権交渉にもかかわらずこの題材にこだわった理由は何だったんだろう。そして今、音楽座ミュージカルを上演する会が再びこの題材を採り上げた理由は。将来の海外公演か。
 僕はこの作品、よく出来ていることを充分に認めた上で、必ずしも好ましいとは言えないと思っている。
 以下、批判的な部分は、期待するがゆえの苦言と受け取ってください。

 『泣かないで '97』のところでも書いたが、『リトルプリンス』『星の王子さま』は、その前の『アイ・ラブ・坊ちゃん』、その後の『泣かないで』『ホーム』という新作ミュージカルの流れの中で見ると、完成度は高いがオリジナリティの点では一歩後退した作品だった。
 つまり、アイディア自体は 89-90年のトニー賞作品『シティ・オブ・エンジェルズ CITY OF ANGELS』からヒントを得ているものの、作家・夏目漱石と作中人物・坊ちゃんをダブらせて描いた『アイ・ラブ・坊ちゃん』、遠藤周作の重いテーマの現代小説を原作にした『泣かないで』、必ずしも成功しなかったが、戦後の日本の風俗と庶民の生活を群像的に描こうとした『ホーム』に比べると、『リトルプリンス』『星の王子さま』は、日本のオリジナル・ミュージカルに最もよく見られ、音楽座自身も何度か手がけてきたメルヘンの一種であり、同じ原作のミュージカル映画が過去に作られたこともあるという点で、前向きな姿勢に欠けて見えた。
 今回、更なる改訂版『星の王子さま'98』を観ても、その印象は変わらなかった。
 これが、好ましくないことの1つ。

 ストーリー紹介。
 大人の世界に馴染めないでいる飛行士が、砂漠に不時着する。
 そこに突然、少年(王子とは呼ばれないが、もちろん彼が星の王子)が現れ、ヒツジの絵を描いてくれと言う。自分の小さな星をバオバブの木から守るために。
 飛行士が持っていたスケッチブックをのぞき込んだ少年は、飛行士が子供のころに描いた、大人には帽子としか見えなかった絵を見て、象を飲み込んだウワバミだと言い当てる。
 以来、時折姿を現すようになった少年は飛行士に、自分が地球に来るまでの話、来てからの話をする。
 自分の小さな星に小さなバラの花が生まれたこと。大事に育てたバラは美しく育ったが、過剰な自意識を持ったバラとの関係がうまくいかなくなり、星を離れたこと。途中いくつかの星に寄り道しながら地球にたどり着いたこと。
 地球に着いてから初めて出来た友達は、用心深いキツネだった。しかし、そのキツネとも別れなければならない日が来る。友情の意味に気づいた少年は、1人残してきたバラのために自分の星に帰ることを決めたのだ。
 自分の星が、地球にやって来た日と同じ位置に来た日、飛行士に別れを告げ、ヘビの毒で死んだようになった少年の魂は故郷へ帰っていく。

 ステージ中央には、3方向に階段のついた高さ1メートル50センチほどのアクリル製の透明な台があり、それが白っぽい布で覆われている。この可動式の台に布をかけたり外したり、時には波打たせたりして、砂漠や様々な星や丘や草原に見せていく(装置/朝倉摂)。想像力を刺激するアイディアの数々。照明(室伏生大)とのコンビネーションも考え抜かれていて、構成上難しいだろうこの作品の場面転換も、無理なく乗り切っていく。
 限られた予算の中で最大の効果を上げるために何をすればいいかを突き詰めた、まさにプロの仕事。

 作品中最大の見せ場は、『泣かないで '97』と同じく、鎌田真由美振付のダンス・シーン。
 特に、砂漠を突然襲う嵐に巻き込まれて、可憐な花(王子の星の花ではない)が吹き飛ばされ姿を消してしまうシーン。花を演じた柳下久美子(だと思う)の躍動的な踊りがまず素晴らしかったが、花を翻弄する砂嵐を、舞台を覆う大きな布の下で踊るダンサーで表現、徹底したリハーサルを繰り返していなければできない、危険にすら見えるダイナミックかつ緻密な動きを、長いダンス・ナンバーに仕上げていて見事。王子が、“はかない”ってことを知るに充分な、怖いほどの迫力に満ちていた。
 また、ヘビ役のダンスは初演の時からの見どころの1つだが、今回も藤咲みどりが熟練されたパフォーマンスを見せた。

 脚本、演出は、飛行士を狂言回しにして、この警句を連ねたような断片的な話から、何はともあれ筋の通った、山場を持った流れを引き出した。
 しかし、その警句(あるいはそれを引き出すためのエピソード)の数々は、こうして舞台で真面目に採り上げられると、あまり面白くない。言わんとするところがストレートに伝わりすぎて、だったら本で読んでも同じだという気になる。
 そのため、歌などは、ミュージカルならではのふくらみを持たせようとしているのだろうが結果的に登場人物の感情を“解説”している感が強く、言わずもがなのことをあえて言ってしまっている印象を受ける。
 そうしたことも含めて、この作品の好ましくないところのもう1つは楽曲にある。

 感動させようとしすぎ。
 アンドリュー・ロイド・ウェバー Andrew Lloyd Webber の悪影響だと僕は思っているのだが、むやみに盛り上がるユーモアのない楽曲作りが日本のオリジナル・ミュージカルには多すぎる。この作品も例外ではなく、感動させようという意図が見えすぎて、観客としては気持ちが引いてしまう(それは演出についても言えるのだが)。
 歌詞、メロディ、アレンジ、いずれもに、もっとシャレがほしい。

 出演者で特筆すべきはアンサンブルのダンサー陣。前述した砂嵐のシーンをはじめ、難易度の高い振付を表現力豊かにこなしていた。
 王子役・土居裕子はこういう中性的な役をやらせると日本一って感じで安心して観ていられる。それが本人にとっていいことなのかどうか、わからない気もするが。ともあれ、今回、歌い方に変化を持たせたのは彼女なりの意欲の表れだと思う。次回作に注目したい。
 飛行士の近藤正臣は安定した演技。思ったほど臭くもなく、狂言回しとしては適役。もっとも歌は、あえてほめるほどのものではない。
 キツネ(福原一生)、花(園山晴子)は水準の出来。キツネは熱演に見えなくなれば素晴らしいんだと思います。

 最後に――。
 仮定を元に話を進めてもあまり意味がないが、製作者たちが海外進出を考えているのだとしたら、この作品の設定や語られることの抽象性に意味を見出しているのだろうと思う。そして、僕にとっては、その点こそがもの足りないのだが。

(7/4/1998)

Copyright ©1998 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

previous/next


[HOME]