[ゆけむり通信 番外1997]

9/8/1997
『ザッツ・レビュー』

拝啓理事長殿、引退お勧めいたします

 宝塚大劇場花組公演は、第1部第2部通しの『ザッツ・レビュー』
 真矢みき率いる花組だから、それなりに楽しませてくれたが、脚本があまりにもひどい。日本のレヴュー黎明期に宝塚の華やかな飛翔の影で密かに舞台への情熱を燃やした青年の物語、という発想そのものはいいんだけどなあ。

 物語は、昭和3年から昭和8年いっぱい、すなわち、宝塚大劇場で初演(昭和2年9月)された日本最初のレヴュー『モン・パリ』の主題歌がレコード化されて日本全国で流行していた頃に始まり、東京宝塚劇場が竣工成って『花詩集』の東京公演を目前に控えた年の大晦日まで続く。

 レヴューに憧れる青年、春風泰平(真矢みき)は、生徒として宝塚に入ろうと東北から上京するが、男は入団できないことを知り、浅草のうらぶれた芝居小屋で、小規模なレヴューの演出助手を始める。
 おおらかな人柄でみんなから愛される泰平だが、おきゃんな踊り子、仙(千ほさち)のまなざしは特別に熱い。一方で、レヴューの仕事を紹介してくれたスリの源次(香寿たつき)の行く末を心配する泰平は、源次を助けようとしてチンピラの乱闘に巻き込まれたりもする。
 そんな風に過ごしているうち、肝心のレヴューからは客足が遠のいていき、一座は解散を余儀なくされる。
 落ち込んでいるところに宝塚からの誘いが舞い込むが、スタッフとして採用されるのは、一緒に仕事をしてきた先輩演出家、大河内(愛華みれ)と泰平の、どちらか1人。乱闘の時のケガが原因で視力が衰え始めていた泰平は、面接試験の当日姿を隠し、大河内に職を譲る。
 数年後、更正を誓った源次と共に東京宝塚劇場の建設現場で働いていた泰平は、逆恨みして再び源次を襲ってきたチンピラたちと戦う内、足場から転落してしまう。
 完全に視力を失って帰郷していた泰平だが、完成した東京宝塚劇場を“確かめる”ために上京。彼を思い続けていた仙と再会して、愛を誓い合う。

 これに、当時の宝塚のヒット・レヴューを現代的にアレンジして甦らせたショウ場面を絡める、というのがミソなのだが……。

 幕開きの大階段を使った華やかな『モン・パリ』は、衣装(任田幾英)が白と黒のモノトーンでオッと思わせた後、ピンクとブルーに変わっていくのが鮮やかで、ゆったりとした調子も悪くない。
 ここから昭和初頭の街頭への転換は快調。ことに、街頭で市井の人々が、チンドン調にアレンジ(寺田瀧雄)された「モン・パリ」に乗って踊る(振付/羽山紀代美)シーンは、例えば『ガイズ・アンド・ドールズ GUYS AND DOLLS』の冒頭を思わせるノリで、楽しい。

 が、それ以降はもういけない。脚本のひどさがガンガン出てくる。

 まず、ポイントとなる過去の宝塚のレヴュー部分が、それ自体の出来は別にして、前述した幕開きの『モン・パリ』以外、芝居部分と有機的に絡まない。

 過去のレヴュー・シーンは、『モン・パリ』の他に、『パリゼット』『ブーケ・ダムール』『花詩集』と出てくるのだが、この内、『ブーケ・ダムール』『花詩集』は第2部の最初と最後にくっついているだけで芝居と全く絡まない。が、それはまだいい。
 『パリゼット』に到っては、若手3人が唐突に出てきて歌いながら銀橋を渡るという、なんとも理解不能な組み込まれ方で、セット替えの時間稼ぎとしか言いようのない扱い。
 信じられない杜撰さ。ショウと芝居とのつなぎのアイディアぐらい考えてほしい。だって、ミュージカルなんだから。

 次に、説明的なセリフのやりとりが多すぎる。

 上野公園で上京したばかりの泰平とスリの源次が出会うシーンなど、長い長い。真矢みき、香寿たつきの熱演でなんとかもたせているが、二人だけのセリフで時代背景から宝塚や浅草の状況まで説明しようとする、作者の神経がまず理解できない。
 真矢みきの歌(テーマ曲「レビュー、明日への希望」)を挟んで、舞台が浅草の芝居小屋に移っても事情は同じ。と言うか、さらに悪くなる。
 レヴューの踊り子たちと彼女たちに舞台を奪われた大衆歌舞伎の役者たちが延々と口論するのだが、作者はここで、当時レヴューが日本ではまだよく理解されていなかったということを説明したいらしい。そこで愛華みれ扮する大河内が登場、歌舞伎役者を相手にレヴューについて、ていねいに解説するというしだい。
 この説明調は、入りが悪くてレヴュー一座が小屋を追い出される時も繰り返されるし、第2部の東京宝塚劇場建設現場などでも再三出てくる。

 疑問1。
 時代背景だのなんだのってのは、ドラマの展開の中でエピソード絡みで見せていくものではないのか。それがプロの仕事ではないのか。セリフでの説明で観客を納得させられると思っているのか。
 疑問2。
 翻って言えば、セリフでの説明ですむような時代背景や宝塚の事情なら、ここまで詳しく観客に伝える必要など、作劇上ないのではないか。

 さらに脚本の“特に”ひどいところを挙げていくと――。
 主人公が人生の進路を大きく変えざるを得なくなる事件が、2度とも同じチンピラ絡みの乱闘だというのは、あまりに芸がない。
 セット替えをことごとく幕前芝居の間にやるという、そのアイディアのなさにあきれる。
 せっかくレヴュー一座を登場させながら、彼女たちのレヴュー・シーンを全く書かなかった理由がわからない。
 主人公にレヴュー作りの才能があるのかないのかがわかるシーンがない。

 主人公のレヴュー作りの才能については、トップ・スターが演じているからあまり疑問を抱かずにみなさんご覧になっていたようだが、観ている限りそのことが我々観客にわかるようなエピソードは全くない。
 にもかかわらず、作者は第1部の最後で、主人公が大河内に宝塚の職を譲るシーンを“泣かせる”シーンとして描く。でも、これって、主人公に才能があることがわかっていて初めて、泣けるシーンになるんじゃないだろうか。
 もっと言えば、主人公に才能があることが観客にわかっていれば、あんな大げさな愁嘆場にしなくても、あるいはしない方が、より悲劇性は強まったはずだ。
 あの場面を観ていて僕が思ったのは、この作者は、大衆性ということと自分の作劇術の古臭さとを混同しているんじゃないか、ということだ。

 それでも、『ザッツ・レビュー』を、なんとか観られるものにした花組のみなさんに心から拍手を送りたい。特に主役クラスの奮闘には目頭が熱くなりました。
 その他、特に印象に残った出演者は、伝法な調子の歌舞伎の元締め一樹千尋、愛嬌たっぷりの女形の岸香織、芸者役の詩乃優花(踊りがなくて残念)、面倒見のいい踊り子でハスキーヴォイスの翔つかさ、など。この脚本じゃあ、細かいところでベテラン勢ががんばるしかないでしょう。

 と言うわけで、作者である理事長、植田紳爾様、ひどい脚本で生徒に迷惑かけるのは止めていただきたい。どうかもう、これを最後に現役を退かれますよう、心よりお願い申しあげます。
 そして宝塚歌劇団様、東京公演の際には、どうか脚本の大幅な手直しを!

(9/22/1997)

Copyright ©1997 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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