[ゆけむり通信 番外1997]

8/7/1997
『ピーターパン PETER PAN』

私をネヴァーランドに連れてって

 あー、面白かった。
 初めて観る『ピーターパン』は、ミュージカル的アイディアに満ちた楽しい作品だった。キャストの水準も高く、これで演奏が完全生で PA が完璧なら、もっとぜいたくな気分になっただろう(演出/加藤直)。

 忘れていった自分の影を取り戻しにやって来たピーターパンに連れられて、ダーリング家の子供たち、ウェンディ、ジョン、マイケルはロンドンを飛び立ってネヴァーランド(“ないない島”って昔の訳が気に入ってたんですが)へ向かい、島に住む迷子たちと一緒に、海賊やインディアン相手に大冒険をする、というおなじみの物語。

 ピーターパンが登場するまでのダーリング家の子供部屋の景は、やや退屈。

 ここは、精神的な大人世界と子供世界の対立という抽象的なテーマを、ギャグの衣にくるんで提示している場面で、実はけっこう奥深い。背景には、ダーリング家の人々が属するイギリス中流階級の、家族意識、“大人”“子供”の概念などがあり、普遍的に見えながら、そこには文化の違いという大きな川が横たわっていて、大人であっても日本人である僕らにはピンと来ないところがあるのは事実だ。
 とは言え、なんとかコメディとして乗り切るしかない。のだが、犬のナナ(竹鼻千恵子)の体を張った熱演以外は空回り気味。子供にもわかるようにと考えすぎてもたついたのかもしれないが、僕には、母親役、榊原るみの演技にふくらみがないのが原因のひとつのように思えた。

 しかし、そんなモヤモヤも、レーザー光線が巧みに描き出すティンカーベル(デザイン/安田公房)を追ってピーターパンが窓から飛び込んできた瞬間、吹き飛んでしまう。
 ピーター役、宮本裕子の魅力。
 フライングの魔法的力(デザイン/ピーター・フォイ Peter Foy、演出/ブラッド・アレン 綴り未確認、日本スタッフ/松田直行、松藤和裕)。
 そのふたつが一緒になる時、舞台は文字通り非日常、夢の高みへ飛翔する。

 永遠の少年に扮した宮本裕子のピンと背筋の伸びた姿は、性別を超えた孤高の美しさをたたえているように見えた。
 はつらつとした動きも素晴らしかったが、現実世界と相容れないピーターのある種のフリークスとしての孤独感までを感じさせる演技は、誰にでも出来るものではない。
 そこにいたのは、『香港ラプソディー』で名曲「China Rain」を歌った可憐な少女ではない。オーラに包まれた紛れもない主演女優だった。

 それにしても、フライング。ここまで素晴らしいとは思わなかった。
 単に役者を綱で吊り上げて左右に振るというだけのことなのに、振るタイミングや高さや役者のアクションで表情の変化をつけ、飛ぶたびに新鮮な気分を与えてくれる。
 ことに、カーテンコールでの客席へ向かっての縦方向のフライングには驚いた。猿之助も真っ青の大ケレン。客席に妖精の粉をまく演出といい、最後の最後まで楽しませてくれる。
 この日が青山劇場の初日だったこともあってか、舞台に降り立った時には一瞬ホッとした表情を見せた宮本ピーター。あれは、慣れていても緊張するだろう。

 この作品、ストーリーがシンプルなこともあって、筋を追うより各場面の見せ場に力が注がれている。それがいい。
 気分としてはレヴューなのだ。

 第1幕は、ダーリング家でのピーターとピーターの影とのドンピシャのデュオ・ダンスでうならせて、子供たちとのネヴァーランドへ向けてのフライングで最初のクライマックスを迎える。
 第2幕は島の妖精たちのバレエで始まるが、メインになるのは、自分たちで楽器を演奏しながら歌うちょっと間抜けな海賊連中と、インディアンたちの精悍なダンス。彼らが入れ替わり立ち替わり出てきて、ショウ的に大いに盛り上がる。特に、タイガー・リリー(八重沢真美)を中心にしたインディアンたちは、アクロバティックな動きも軽々こなし、舞台に華やかさと厚みを与えていた。
 第3幕は海賊船での大活劇。ピーターのフライングを交えながらテンポよく展開する。フック船長と剣で渡り合う宮本ピーターの凛々しいこと。

 この後、再び舞台はロンドンのダーリング家に戻るのだが、ここも冒頭同様やや冗長な印象を受ける。

 3人の子供のみならず、ネヴァーランドにいた迷子たちも“帰って”きて、無事ダーリング家にやっかいになることになる。気分的にはこれでハッピーエンドなのだ。
 だが、ネヴァーランドから子供たちが去るにあたって、ピーターがひとりぼっちになったという経緯があるので、オチをつけないわけにはいかない。
 そこで最後に来るのが、大人になったウェンディのところにピーターがやって来る、というシーンだ。ウェンディはもう空を飛べない。が、ウェンディの娘ジェインがピーターと共にネヴァーランドへ旅立つ。
 確かに収まりはいいが、グッとテンポが落ちて、それまでの興奮が冷めそうになる。
 ここは、帰ってきた子供たちが大喜びしている時に、ウェンディだけが窓から空を見上げると、ティンカーベルと共に飛ぶピーターを思わせるように星が流れる、ぐらいのことで終わった方がいいんじゃないでしょうか。カーテンコールでピーターのフライングは観られるんだし。

 工夫がほしいところがもうひとつ。ティンカーベルが死にかかった時、彼女を救うためにピーターが客席の子供たちに拍手を求めるところがあるのだが、これ、どうしてもやんなくちゃいけないなら、伏線がほしい。でないと、唐突すぎる。
 例えば、幕が上がる前にティンカーベルと同じレーザー光線の妖精が登場し、ピーターの声が流れる。
 「こんにちは、みんな。ピーターパンです(宝塚みたいだけど)。子供の心には1匹(でいいんだっけ)ずつ妖精が住んでいます。だけど、それを信じなくなった時、妖精は死にます。今みんなの前にいる妖精もちょっと弱っているみたい。みんな妖精を信じてないのかな。信じてるんなら大きな拍手をしてくれ。ありがとう。妖精も元気になったみたいだ。じゃあ、ミュージカル『ピーターパン』の始まりです」
 どうでしょう、こういうの。

 さて、がっかりしたことを書かなくちゃいけない。
 演奏の一部がテープだったこと。しかも、音のバランスがあまりよくなく、歌やセリフが聞きづらくなっていた。
 ネヴァーランドでは、コントラバス、ヴァイオリン、クラリネットの生楽器伴奏トリオが登場して、いい感じで演奏し、前述したように海賊たちも楽器演奏するんで、まあ救われる感じがするが、小編成でいいから全編生演奏にしてほしかった。

 しかし、再演を重ねることで充実させてきたのだろう、ホリプロ『ピーターパン』。17年間の途中は知らないが、今の舞台を観る限りは、安易に妥協することもなく、ミュージカルの楽しさをとことん追求していて素晴らしい。
 これを観てミュージカルを好きになるなら、その子のミュージカル・ファンとしての将来は明るい。
 永遠なれ『ピーターパン』

* * * * * * * * * *

 ところで、このミュージカルのオリジナル舞台は、ジェローム・ロビンズ Jerome Robbinsの演出・振付で、89年にブロードウェイで幕を開けた『ジェローム・ロビンズ・ブロードウェイ JEROME ROBBINS'S BROADWAY』の中でも、ダーリング家からロンドン上空へのピーターと子供たちのフライング・シーンがダイジェストで演じられた。
 で、91年に結構充実したキャストで同作品の来日公演があり、4月20日、新宿厚生年金会館大ホールで観た。
 この時、ダーリング家の中では確かに飛ぶのだが、その後のロンドン上空は背景だけで誰も登場しない、という不思議な、間の抜けたものになっていた。
 それはその時だけの事故だったのか、それとも、小さく飛ぶ装置は持ってきたが大きく飛ぶ装置は予算的に無理だったということなのか。たぶん後者だとは思うが、確かなことは未だにわからない。

 どなたかごぞんじでしたら教えてください。
 背後の事情はともかく、来日公演を僕とは違う日にご覧になった方、その日飛んだかどうかだけでも思い出していただけたら助かります。このカンパニーは全国を回り、東京では五反田のゆうぽーとでもやりました。

(8/17/1997)

 NANA さんが情報をくださいました。ご覧になった五反田ゆうぽーとではロンドン上空を飛んだそうです。と言うことは、僕が観た回の事故という可能性が強いですね。
 NANA さん、ありがとうございました。

(8/30/1997)

Copyright ©1997 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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