[ゆけむり通信 番外1997]

11/5/1997
『泣かないで '97』

再出発おめでとう

 あっという間の半年だった。
 [先月、音楽座ミュージカルオフィスというところからダイレクトメールが届いた。] とこちらに書いたのが5月10日のこと。そのメールに書かれていた予定通り、11月1日から『泣かないで'97』の公演が始まった。
 初演のよさをさらに充実させた、いい舞台だ。

 音楽座は、発足当初からオリジナル・ミュージカルを作り続け、それなりの成果を残した。
 その背景には、様々な才能の結集という、ミュージカルという総合芸術(って言葉は好みじゃありませんが)を作るのであれば極めて当たり前のことを積極的に行なってきたという事実があったと思う。
 さらに、題材の選び取り方の斬新さと確かな脚本で独自性を示したことも、成功の大きな要因だった。
 初期作品こそ、メルヘン的な要素の強い、日本のオリジナル・ミュージカルにありがちな浮き世離れした部分のあるものだったが、『マドモアゼル・モーツァルト』でひとつ殻を打ち破り、『アイ・ラブ・坊ちゃん』で、英米のイミテーションに終わらないオリジナル・ミュージカルを作り出した。
 続く『リトル・プリンス』では、完成度の高さは見せたものの、独自性ではやや後退。そして登場したのが『泣かないで』
 この作品が音楽座ミュージカルのひとつの頂点だったのは間違いない。

 遠藤周作の小説「わたしが・棄てた・女」のミュージカル化(最近、熊井啓監督で『愛する』という映画になりました)。小説は読んでいないが映画を観たことのある僕は、そのアイディアを聞いて驚いた。
 単純に言えば、あの“重い”話を、しかも音楽と何の関わりもない話をミュージカルにするのか、という驚き。
 しかし、出来上がった作品は、冒険心に満ちた、感動的なものだった。観たのは東京芸術劇場中ホール、94年4月22日。

 ここから、ざっとストーリーを書きますので、未見の方はご注意あれ。

 初老の男・吉岡は、妻と一緒の旅先で富士山の姿を見ながら、森田ミツのことを思い出していた。

 日本が敗戦の混乱から経済的に立ち直っていこうとする時期の東京で、社会的に上昇しようと必死にもがく貧しい学生・吉岡は、雑誌の文通欄を通じて垢抜けない娘・森田ミツと出会い、肉体的欲望のはけ口にした後、棄てるように去っていく。
 クリーニング工場に住み込みで働いていたミツは、次の吉岡とのデートで着る服を買おうと残業を重ねていたが、ギャンブルに狂う上司の妻の窮状を見かねて、貯めた金を渡してしまう。
 一方吉岡は、会社に入り、激しい出世競争の渦中にあって、重役の姪との結婚をねらっている。
 ちょうどその頃、ミツの腕には小さなアザが出来ていた。病院に行くと、富士にある復活病院で精密検査を受けるように言われる。そこは、当時不治の病で、伝染性があると信じられていたハンセン病の専門病院だった。
 会社の人間関係や結婚問題で行き詰まっていた吉岡は、ミツに会って欲求不満を解消しようとするが、アザの話を聞くと逃げ去る。

 復活病院に入院したミツは、絶望のあまりふさぎ込む。だが、他の入院患者たちの孤独な姿に触れるうちに、彼らに向けて心を開き始める。ところが、精密検査の結果、ミツはハンセン病ではないことが判明。帰京を許される。
 名残を惜しまれながら病院を出て最寄り駅まで行ったミツだが、なぜか汽車に乗らずに戻ってくる。そして、病院で働かせてくれと言う。
 そんな甘いものじゃないという看護のスール(修道女?)の説得は、天使のような笑顔で患者たちに接するミツの前では無用だった。
 吉岡は、望み通りの結婚を果たし安定した家庭を築こうとしていたが、ふとミツのことを思い出して、余った年賀はがきを出してみる。そこに返ってきたのは、スールからのこんな内容の手紙だった。

 ――森田ミツの無垢な魂は、復活病院の患者たちをすっかり明るくしていた。クリスマスを迎えようとしていたその日も、患者たちの声援に笑顔で答えながら、ミツは病院で取れた鶏の卵と患者の作った刺繍を町の業者の元へと運んでいった。そして、交通事故に遭った。運び込まれた病院ではうわごとで卵のことを心配し続けていたが、息を引き取る前に一度だけ、ミツは人の名前を呼んだ。吉岡さん、と――

 富士山を前に、初老を迎えた吉岡は立ちすくむ。

 ダンス表現の豊かさ。それが、このミュージカル最大の魅力だ(振付/鎌田真由美)。
 特に、真夜中、復活病院の裏山(?)にある竹林(?)での、患者たちによる非常にゆっくりとした幻想的なダンス。初演でも最も印象に残ったシーンだが、今回も、期待を抱いて裏切られなかった。
 生命の尊厳。言葉にしてしまえば、そのようなものを表わしているのだと思うが、もちろん言葉では言い表わせない何かを表現したいからこそ、そして、それを表現できるからこそのダンス・シーン。歌で、と言うより歌詞で説明してしまうことの多い日本のミュージカルにあって、ここまで深い表現をダンスで行なった例は、これまでないのではないか。
 このダンスが、ミツが“なぜか”病院に残るというこの後の展開を支えている。
 いや、このダンスの存在が、このミュージカルを単なるメロドラマにしなかったと言い切ってもいい。作品の核だ。少なくとも僕は、このダンスがなければ、ここまでこの作品を支持しなかっただろう。

 これには及ばないが、他にも面白いダンス・シーンはいくつかある。注文を付けつつ紹介すると――。

 吉岡が恋人と満員の映画館に入り込むエピソードの後、背景が街角に変わって出てくる男女のダンス。何の説明もないが、(『カサブランカ』の)ボガートのような男のコート姿で、吉岡たちの観ている映画の1シーンだとわかる。振付もそれに見合ったロマンティックなもの。
 その男女が踊り終えて立ち去った街角に、映画を観終わった吉岡と恋人が現れ、先の男女と同じ振りで踊ってみせるアイディアがうまい(ダンスはうまくはないが)。
 ただし、やや長すぎると感じる上演時間の中で、全体の流れとややかけ離れたこのシークエンスは、僕がプロデューサーなら削るように指示したと思う。

 吉岡がミツを連れていく“アングラ”酒場にいる女性ダンサーの動きも面白い。
 初演の時には、場面が変わってしばらくの間、椅子を使ったセクシャルなソロ・ダンスを踊ったと思うが、今回は軽く、ややコミカルな扱い。こっちの方が振り付ける方も演じる方もむずかしいと思うが、うまくこなして奇妙な雰囲気を出していた。
 これで、このシーンの後半、酔って幸せな気分になったミツが彼女のダンスを真似するところがもっと効果的に表現されていたら、さらに印象的になっただろう。
 そういう意味では、ミツ役の今津朋子がもう少し踊れたら、という恨みは残る。別のシーンで彼女のソロ・ダンスもあるだけに、その感は強い。

 ミツの勤めるクリーニング工場や、吉岡のオフィスでの群舞も、比較的長いダンスをしっかり見せている。
 が、オフィスでのラップを交えたヒップホップ調のナンバーは、開幕直後に時代が終戦後すぐであることを見せているだけに、違和感を覚えた。さらに言えば、オフィスでの群舞はどのミュージカルもイメージが画一的になりがち。もっとアイディアが必要になるだろう。

 このミュージカルの弱点は、ミツと吉岡のドラマのつながりが弱いところで、2人が出会うのは2度だけだから表現がむずかしいのだが、ここは、舞台ならでは、ミュージカルならではの手法でつっこんでほしかった。例えば、2人のエピソードの同時進行なり、2人に2つの歌を同時に歌わせるなり(主要登場人物がそれぞれの思いを同時に歌うシーンはあるが)、といった風に。

 とまあ、注文が多いのは期待が大きいからで、このリヴァイヴァル公演、初演の成果にオンブすることなく、1から作り始めようという意欲が随所に見られ、きっちり結果を出している。

 ただ、最後にもうひとつだけ注文を出させてもらえば、もっとコメディ部分に磨きをかけてほしい。
 例えば、今回新たに付け加えられた社会背景を見せる部分での三国人の扱いなど、まず大いに笑わせて、その向こうに凄みが見えるという風になってくれば、厚みが増すと思う。表面的に見えてしまうのは、コメディ演出(演技)が充分でないためだろう。
 題材がシリアスなだけに、コメディ表現の充実がないと、薄っぺらい“涙”と“感動”になってしまう。僕の中の警告装置がそう告げている。

 出演者の熱演には拍手を送るが、主演クラスのダンス技術の向上は必須でしょう。

(11/22/1997)

Copyright ©1997 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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