[ゆけむり通信 番外1997]

8/19/1997
『キル』

美しく虚ろな

 NODA・MAP『キル』の再演。初めて観る野田秀樹の舞台。
 美術(装置・衣装)が美しく、場面転換の演出がうまく、面白い役者がそろっていて、充分満足してもおかしくないのだが、残念ながら興奮しなかった。

 まあ、全く興奮しなかったわけではないので、そういうところから書くと――。
 野田秀樹のパントマイム的体技。体がロウになって溶け出す様を、柔軟な下半身を生かした体の動きで不気味に表現してみせる。これは見事。
 古田新太の自在な声。存在感のある体から繰り出される声質が実に多様で、しかも、どの声もよく通り、魅力的。この人がしゃべっているだけで、いい気分になる。
 声ということで言えば、深津絵里の声も張りのあるいい声だったが、“意外にも”であって、興奮するまでには到らない。

 で、敷きつめてある大きな布がスルスルと引き上げられていく幕開きから始まる華麗な大道具としての布使い、それに呼応する布感覚をたっぷり残した色使いのきれいな衣装、舞台にポッカリと亀裂を生みその上を左右にスノコ状の床が移動する大がかりな装置、そのスノコ状の床下から神秘的に放射される照明――なんてものを駆使して、鮮やかに役者が現れ、消え、場面が転換していく。
 それを観るだけでも金を払う価値がある、という言い方も出来るだろう。

 が、僕は興奮しなかった。その原因は脚本にある。
 内容を簡単に言えば、ジンギスカンは世界制覇を目論む服飾デザイナーだったというある種の寓話なのだが、その寓意やいかになんていう創造的な観方をしない僕のような観客にとっては、ソー・ホワット?な話で、むしろ、意味ありげに見えて散漫な各場面の作りの薄さや、キャラクターのリアリティのなさが気になる。
 ギャグが豊富なわけでもなく、役者の芸を楽しめる見せ場が巧みに設定されているわけでもない。どこから入っていけばいいのかとっかかりがつかめないまま、舞台は進行していってしまう。
 極端に言えば、鮮やかな転換の間を面白くないセリフ劇でつないでいる、という印象なのだ。
 まあ、最後は、ジンギスカンの偽ブランドを作ったのは誰だ、というサスペンスを用意してきっちり盛り上げるが、これとて、ハラハラ手に汗握る、というほどのものではない。

 結局、最後までこの舞台を引っ張ったのは、トチリなどものともしない古田新太の迫力いっぱいの活躍と、いつも謎を秘めた鷲尾真知子の存在で、それはもう、脚本を離れた役者の魅力だ。

 これだけの役者をそろえながらこれでおしまいですか、という気分が最後まで残った『キル』。キルはイキル、という言葉遊びが手に入れようとした劇的興奮は、(僕には)虚ろに響くカーテンコールの彼方に置き去りにされてはいませんか。

(8/27/1997)

Copyright ©1997 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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