[ゆけむり通信 番外1997]

6/30/1997
『失われた楽園〜ハリウッド・バビロン〜』
『サザンクロス・レビュー』

宝塚観劇史(私)上最高の組み合わせ

 『失われた楽園〜ハリウッド・バビロン〜』は傑作一歩手前、『サザンクロス・レビュー』はイキのいい傑出したレヴュー。
 素晴らしい2本立てに、感激!

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 『失われた楽園〜ハリウッド・バビロン〜』は、作・演出の小池修一郎が、海外の映画や舞台を観て培ってきた様々なアイディアを存分に駆使して作り上げた、宝塚オリジナル・ミュージカルの1つの頂点。
 これで楽曲がよければ、紛れもない傑作だった。

 1930年代後半のハリウッド。
 グローバル・スタジオを訪れたのは、スコット・フィッツジェラルドを思わせる作家エリオット・ウォーカー(愛華みれ)。彼はここで、若き独裁的プロデューサー、アーサー・コクラン(真矢みき)に出会い、その野望と情熱が激しく燃え上がり、そして突然消え去るのを目撃することになる。

 柱になるのは、アーサーが、思い入れのあるエリオットのかつてのベストセラー小説「青春の凱歌」の映画化を成し遂げるまでの話。
 そこに絡むのが――、
 1)反対勢力である撮影所長(星原美沙緒)と彼に乞われてMGMから移籍してきた敏腕(というより悪辣)プロデューサー(海峡ひろき)によるアーサー失脚の裏工作。
 2)その裏工作に利用される、撮影所に対して不満を募らせるレスリー(香寿たつき)たちシナリオ・ライターの動き。
 そして、
 3)アーサー自ら「青春の凱歌」の主演に選んだ新進女優リア(千ほさち)との屈折した愛。
 これらの要素を有機的に紡いでいき、一旦はハッピーエンドかと思わせるところまで持ち込んでおいて、最後、劇的に幕を閉じる。後述するが、最後の悲劇があることで全体が見事にまとまったと思う。

 冒頭、上手袖横の壁に沿った花道に登場したエリオットが、映画記者マギー(美月亜優)の口添えでグローバル・スタジオの門を潜ると同時に舞台の幕が上がり、ジーグフェルド・フォリーズ風の階段セットに白い燕尾服、白いドレスの男女が勢揃いした場面が現れるのを観た瞬間、ああ、これは小池修一郎というミュージカル・マニアの嗜好が全開になった成功作に違いないと思った。
 そのくらい鮮やかな、有無を言わせぬ導入。

 続いてアーサーのワンマンぶりを伝えるエピソード(同時にアーサーとリアの伏線的出会い)があった後、アンサンブルが舞台を去る中、主要登場人物が舞台前に横一線に並ぶ。
 あ、『グランドホテル GRAND HOTEL The Musical』かな、と一瞬思う。
 何人もの人々のドラマが平行して描かれ、もつれ合っていく、という意味では当たっている。最後の悲劇の訪れ方にも共通のテイストはある。だが、ひきだしはそんなに浅くはない。
 リアのシンデレラ・ストーリーは『フォーティセカンド・ストリート 42ND STREET』、小説家が映画のシナリオ・ライターになってプロデューサーと対立するというのは『シティ・オブ・エンジェルズ CITY OF ANGELS』、アーサーが苦い思い出と共に封じ込めておいた古い屋敷(お金があったら絢爛たる豪邸にしたかったでしょう)は『サンセット大通り SUNSET BOULEVARD』、などといった邪推を軽々と飛び越えて、舞台は滞ることなくテンポよく展開していく。

 しかし、意識的にか無意識的にか各所にちりばめられた様々なミュージカルのイメージの断片が、この作品に厚みを与えているのは間違いない。“わかっている人”が作ったものならではのプラス・アルファの魅力、と言うべきか。
 アーサーがリアを“再発見”するクラブ・スターダストの“そっくりショウ”にさりげなくアステア&ロジャースを登場させてコピー・ダンスを見せたりする遊び心も、贅沢でうれしい。

 うまい、と思ったのは、ライターズ・ルームに現れる踊り子の扱い。
 エリオットが若手シナリオ・ライターたちと仕事を始めると巨大なタイプライターが現れ、「I love you」といった歌詞に合わせてキーが動くのだが、やがてキーたちはタイプライターを抜け出して踊り始める。
 プログラムによればアルファベッツと名付けられている、この幻想の踊り子たち。ライターたちの苦労を明るくショウ的に表現して、そのミュージカル的発想にニンマリしてしまうのだが、これで終われば、『クレイジー・フォー・ユー CRAZY FOR YOU』からの巧みなアイディア借用(主人公ボビーにだけ見える踊り子たち)、という場面にすぎなかった。
 が、後半、ライターたちが厳しいスタジオの要求に応えるためクスリを服用しながら命を削るようにして仕事をしているところに、再び現れたアルファベッツを観て、驚き、心の中で拍手を送った(宝塚ではむやみに拍手はできません)。前半は可憐な白い衣装だった彼女たちが、今度は黒ずくめ。動きも妖しいものに変わっていたのだ。
 見事なアレンジ。オリジナルなものって、こうしたことの積み重ねから生まれると思うんです。

 ところで、アーサーのリアに対する恋愛感情については曖昧な部分がある。
 ニーナという、憧れの女優でもあった今は亡き婚約者に生き写しであることからリアに関心を持ったアーサーだが、結局のところ彼は本当にニーナではなくリアを愛したのか。
 「青春の凱歌」製作発表の場でスキャンダルが暴かれて消えたリアを探すアーサーは、エリオットとマギーのバンガローを訪れて、ニーナへの思いは消え今はリアを愛している、という意味のことを言う。そこに隠れていたニーナが「本当に私でいいの?」と言いながら現れるシーンはロマンティックなのだが、それはそれとして、アーサーはリアを本当に愛したのか。
 ニーナを忘れたというのは、その前にニーナの裏切りを聞かされていたから納得がいく。だが、ニーナそっくりのリアを、アーサーはすぐに愛することが出来るのか。

 もう1つ、うまくいきすぎる、と思ったところがある。
 リアのスキャンダルで製作中止となった「青春の凱歌」を自己資金で作ることになったアーサーの協力要請を、安いギャラと知りつつグローバル・スタジオのキャスト、スタッフの多くが受け入れるところ。関係がギクシャクしていたライターたちも含めて。

 この2つ、「青春の凱歌」の大成功というだけの終わり方をしていたら、なんだかけっこうご都合主義だなあという印象の疑問点として残ったんじゃないか(真矢みきの魅力をもってすればそのくらいの疑問は問題にならない、という言い方もあると思いますが)。
 だが、最後の悲劇、「青春の凱歌」のワールド・プレミアの夜、錯乱したレスリーにアーサーが撃ち殺されるという事件によって、全ては解消されてしまう。なぜなら、リアへの愛も「青春の凱歌」の成功も、アーサーにとっては一瞬の夢でしかなくなってしまうからだ。
 ドラマの中で主人公が全てを失うことで、作劇上の疑問も意味を失った形だ。
 あざといと言う人もいるかもしれないが、なくてはならない悲劇だったと思う。

 エピローグで撮影所を去るエリオットが描かれ、振り返ると冒頭と同じように華やかなショウ場面が現れる。ただし、今回のスターは、この世を去ったアーサー。
 宝塚の定石とは言え、余韻のあるこのラスト・シーンも、見事だった(百田晶さんがこちらで指摘していた小道具の5セント玉が、ここでもうまく使われる。幕が下りる間際、指で弾き上げて落ちてくるのをつかみ、ニヤッとする真矢みき。ヒューッ!)。

 しかし、死にゆくアーサーを知らず、壇上でのスピーチでアーサーに「心からの感謝と、そして愛を捧げたい」と語るリアに、ジュディ・ガーランド Judy Garland版の『スター誕生 A STAR IS BORN』をイメージしたのは僕だけでしょうか。

 よく出来た脚本。ショウ場面のアイディア、自然さ、華やかさ。切れのいい場面転換。役を練り上げた出演者。
 楽曲以外に文句はありません。

 それにしても、海峡ひろき、美月亜優の退団は惜しい。こういう舞台を観ると彼らの大切さを痛感します。

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 『サザンクロス・レビュー』には驚いた。
 ノッケから大ノリで、最後までその勢いが衰えなかったからだ。

 まず、オーケストラによるサンバの演奏が始まる。すると客席が一斉に手拍子を打ち始める。観ると、指揮者がこちらを向いてタクトを振っている!
 そこに真矢みきによる開演のアナウンスがかぶさり、場内が暗くなる。と同時に「サンバ、オレオレオレ」というコーラスが始まる。
 期待感がグッと高まったところに一転照明が灯されると、銀橋から舞台袖までを埋め尽くすのは、極楽鳥のような衣装に身を包んだ人、人、人。

 もうこれでほぼKO状態。あとはただ流れに身を任せるのみ。

 ブラジルを中心にしながらアルゼンチンやメキシコにも飛ぶ、まあ大まかに言えば中南米を舞台にしたレヴューで、衣装・装置の強烈な色彩感覚と情熱的な音楽のもたらす統一感が、舞台を締まったものにした。

 それにしても、花組のキャストの充実ぶりはすごい。
 まず、男役も娘役もトップ・クラス、ベテラン勢のレベルが技術的に高い。そして、みんな余裕と愛情を持って自分の役をこなしている。
 その背景にあるのは、ずば抜けた求心力を持つトップ・スター真矢みきの存在感の大きさじゃないだろうか。客を呼び寄せ、舞台をまとめ上げ、日々の公演で観客の反応を読み取ってヴィヴィッドに舞台に反映させる才能の持ち主。
 そのようなトップ・スターの下で、他の役者たちは、安心して自分の演技に集中し、技を磨き、同時にいいアンサンブルも生み出すようになる。そういうことなんじゃないでしょうか。素人考えですが。

 とにかく、その充実した花組に、作・演出の草野旦はザックリとした切り口の大胆な構成で応じ、彼らを自由に泳がせた。
 全体を大きく6つのイメージで割り、その中にヴァリエーションをつけていく。チマチマしたところのないこの骨組みが、闊達な花組の勢いと相まって、スピード感のある骨太なレヴューを生み出した。
 おふざけシーンまで含めて、傑作です。

 中で、ファンの間で話題になっているエロティックな食虫花の場面は、真矢みきのダンスが技術を超えて蠱惑的(まさに食虫花)。特筆に値する。ゆったりしたテンポで決して短くないナンバーをここまでもたせるのは、すごい。
 振付、尚すみれ。

 ただ1つ、後半のパタゴニアが舞台のドラマ仕立ての部分で、展開が『ウェスト・サイド・ストーリー WEST SIDE STORY』そっくり(体育館のダンス→最後の決闘)なのが気になったが、これ、権利関係大丈夫ですか?

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 さて、僕にとっては初めての宝塚千秋楽公演だったのですが、この日を最後に退団する、海峡ひろき、美月亜優ご両人の“さよならショウ”という特別プレゼントを見せていただきました(もう1人、若手の芽衣かれんさんも退団)。

 ショウの内容は、詳しいまやさんのこちらを読んでいただくとして、僕が思ったのは、大がかりな本公演の後で、あの宝塚劇場の舞台にたった1人、あるいは2人で立ち、歌い踊ってしまう宝塚の役者ってなんてすごいんだろう、ということでした。
 そして、前述の繰り返しになりますが、力のある役者を失うことの残念さ。それは花組にとってもですが、僕ら観客にとっても、です。
 それでなくても層の薄い日本のミュージカル界、宝塚の貴重な人材を舞台につなぎ止める方策、誰か考えてくれませんか。

(7/11/1997)

Copyright ©1997 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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