[ゆけむり通信 番外2013]

  • 10/ 3/2013
    『レオン!!Ⅱ~柚木礼音スペシャル・ライブ~
    東京国際フォーラムA
  • 10/10/2013
    『ソング・ライターズ』
    シアター・クリエ
  • 10/11/2013
    『一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)~陣門~組討~熊谷陣屋~』『春興鏡獅子(しゅんきょうかがみじし)』
    国立劇場大劇場
  • 10/17/2013
    『唐版 滝の白糸』
    シアター・コクーン
  • 10/23/2013
    『芸術祭十月大歌舞伎 昼の部(義経千本桜~鳥居前~渡海屋・大物浦~道行初音旅)』
    歌舞伎座
  • 10/24/2013
    『芸術祭十月大歌舞伎 夜の部(義経千本桜~木の実~小金吾討死~すし屋~川連法眼館(かわつらほうげんやかた))』
    歌舞伎座
  • 10/25/2013
    『ドリーム、ア・ドリーム』
    シアター・オーブ
  • 10/29/2013
    『愛と革命の詩~アンドレア・シェニエ~』『ミスター・スウィング!』
    東京宝塚劇場
  • 10/30/2013
    『日のあたる方へ~私という名の他者~
    日本青年館
  • 10/31/2013
    『その場しのぎの男たち』
    本多劇場

2013年10月観劇記

 『レオン!!Ⅱ』は、サブタイトルにある通り、宝塚歌劇星組トップの柚木礼音のライヴで、昨年3月に日本青年館でやった『レオン!!』の第2弾。
 劇場が大きくなったせいで、ショウ全体が、やや立派になった感じ。前回の手作り感が(良くも悪くも)後退していた。そのせいもあってか、大いに期待した第2幕アタマの“紅子”の下世話な活躍が物足りなかった。もうちょっと長くやってほしい、と思ったのは僕だけでしょうか(笑)。
 しかしながら、柚木礼音のオーラはすごい。巻き込まれるように周りのメンバーも盛り上がって、楽しい舞台になっていた。
 ちなみに、個人的なハイライトは、紅ゆずるが“紅子”ではない華麗な娘役として出てきて柚木礼音と踊った場面(笑)。

 『ソング・ライターズ』はオリジナル・ミュージカル。制作陣は、脚本・作詞・音楽プロデュース/森雪之丞、作曲/KO-ICHIRO、さかいゆう、杉本雄治、中川晃教、演出・技斗/岸谷五朗という顔ぶれ。
 なぜか舞台は70年代のニューヨーク。で、登場人物は、デフォルメされた日本人娘と中国人娘が超脇役で1人ずつ出てくる以外は、全員アメリカ人。
 作曲家(中川晃教)と作詞家・脚本家(屋良朝幸)は、音楽出版会社のディレクター(武田真治)に励まされながら、自分たちのミュージカルを完成させようと努力している。その現実と、屋良の書いているミュージカルのドラマとが、舞台上に交互に現れるのだが、途中から創作上のドラマが屋良にも制御不能になってくる。ある種のメタ・ミュージカル(例えば『シティ・オブ・エンジェルズ CITY OF ANGELS』等のような)かと思いきや、そういうわけでもない。実は、屋良のアイディアの元は、彼の部屋に居候として転がり込んだ歌手志望の女性(島袋寛子)が提供していたのだが、彼女の実人生の過去が屋良の発想を凌駕し始め、やがて“制御不能”状態になった、ということが後にわかる。……って、わかります?
 この辺から、ストーリーは(辻褄を合わせようと努力しているが)どんどんご都合主義になっていく。で、まあ、そうした“都合のよさ”を全て飲み込んだとしても、麻薬のシンジケート絡みの“怖い話”を、大詰めのコミカルなアクション・シーン(ここで前述の日本娘と中国娘とが大袈裟な活躍をする)の勢いで収めてしまうのは、かなり安易。早い話、けっこう乱暴な脚本と演出になっていくのだ。こうなると、楽曲の質やなんかでは舞台を救いきれない。
 先に挙げたような主要な役者たちは、溌剌としていて、よかったのだが……。

 国立劇場大劇場の歌舞伎公演は、高麗屋(幸四郎・染五郎)を中心にした『一谷嫩軍記~陣門~組討~熊谷陣屋~』『春興鏡獅子』
 『一谷嫩軍記』は幸四郎の熊谷次郎直実。「陣門~組討」では、熊谷小次郎直家及び無官太夫敦盛が染五郎、憎まれ役の平山武者所季重が錦吾、戦場をウロウロする玉織姫が、この顔ぶれでは珍しく笑也。「熊谷陣屋」では、熊谷妻相模が魁春、敦盛の母藤の方が高麗蔵、弥陀六実は弥平兵衛宗清が左團次、義経が友右衛門。
 『春興鏡獅子』は、染五郎の小姓弥生及び獅子の精。一緒に踊る胡蝶の精が金太郎と團子。
 『一谷嫩軍記』は、時代物によくある、実子を犠牲にして主に報いる(という単純な話でもないが、まあ、そんな感じ)演目の典型だが、今回、戦(いくさ)の空しさを切々と謳っているのだと、改めて強く感じた。直実の最後のセリフ「十六年は一昔。夢だ、ああ夢だ」が沁みる。
 その『一谷嫩軍記』にうら若き若武者として出てくる染五郎が、『春興鏡獅子』では女形として小姓を演じるので、この公演では、彼の繊細な印象が際立っていた。もっとも、最後に獅子の精として見事に力強く踊っていたが。

 シアター・コクーンで、蜷川幸雄演出の『唐版 滝の白糸』
 なぜ観に行ったかと言えば、それはやはり、宝塚歌劇団宙組のトップだった大空祐飛の退団後初の舞台だから。彼女の登場シーンは宝塚時代を凌駕すると言ってもいいぐらいの鮮やかさだった。この辺が蜷川演出のケレン。
 ただ、彼女が登場するまでの、窪田正孝と平幹二朗(口跡がいいのは間違いない)とのやりとりが退屈で。もっとも、こちらの寝不足もあったので、そのせいかもしれないが、ちょっとウトウト。あと、とにかく饒舌なセリフで展開する芝居なので、役者の過剰なエネルギーが感じられないと、大仰な仕掛けだけでは高揚感の維持が難しいところがある。その点、観客の行儀のよさも含め、全体に大人しかったかな、と。大空祐飛の今後には期待したい。

 歌舞伎座『芸術祭十月大歌舞伎』「義経千本桜」の通し。昼の部が「鳥居前~渡海屋・大物浦~道行初音旅」、夜の部が「木の実・小金吾討死~すし屋~川連法眼館」と続く。
 「鳥居前」は、菊之助=義経、松緑=忠信実は源九郎狐、梅枝=静御前、亀三郎=弁慶、亀寿=笹目忠太。
 「渡海屋・大物浦」は、吉右衛門=渡海屋銀平実は知盛、芝雀=典侍の局、梅玉=義経、歌六=弁慶、又五郎=相模五郎、錦之助=入江丹蔵。
 「道行初音旅」は、藤十郎の静御前と菊五郎の佐藤忠信実は源九郎狐。逸見藤太は團蔵。
 「木の実・小金吾討死」「すし屋」は、仁左衛門のいがみの権太。女房小せんが秀太郎、権太の父弥左衛門が歌六、若葉の内侍が東蔵、小金吾が梅枝、弥助実は維盛が時蔵、権太の妹お里が孝太郎、権太の母お米が竹三郎、梶原景時が我當。
 「川連法眼館」は、再び菊五郎の狐忠信。義経は梅玉、静御前は時蔵、駿河次郎が團蔵、亀井六郎が権十郎、川連法眼が彦三郎、その妻飛鳥が秀調。
 見どころは多いが、何と言っても仁左衛門のいがみの権太。上方型の権太は、愛嬌があると同時に泣かせる芝居になっていて、たぶん他の役者がやると過剰な感じがするはず。そこを実にせつなく見せる仁左衛門は素晴らしい。秀太郎との呼吸も見事。
 あと、梅枝。「鳥居前」の静御前もいいが、「木の実・小金吾討死」での小金吾が悲壮で、これまたせつない。殺陣の時の体のキレにも感心した。
 藤十郎と菊五郎の「道行」も、何と言うか、このベテラン2人ならではの味わい深さがあって、よかった。
 途中が長くてちょっと退屈するが、「渡海屋・大物浦」の吉右衛門の最後の飛び込みも見事。

 シアター・オーブの『ドリーム、ア・ドリーム』は、宝塚OGたちによる宝塚歌劇100周年カウントダウン・イヴェントの最後を飾る公演。……だったらしい(笑)。
 “レギュラーキャスト”として、鳳蘭、初風諄、峰さを理、剣幸、杜けあき、安寿ミラ、紫とも、湖月わたる、彩輝なお、星奈優里、朝海ひかる、彩乃かなみ、紫城るい、というトップスターまたは娘役トップ経験者に加え、未沙のえる、出雲綾の組長経験者、及び、若手の羽純るい、大真みらん、舞城のどか、美鳳あや、南海まり、彩海早矢、大凪真生、夢華あやり、彩星りおん、紗羽優那、それに“ゲスト・ピアニスト”という名で麻路さき(もちろん元トップスター)、といった人たちが毎日登場。“ドリームゲスト”として、やはり元トップスターの安蘭けいと水夏希が交代で出演(僕の観たのは前者の回)。さらに“スペシャルゲスト”の元トップスターが日替わりで2人ずつ後半に登場。観た日は稔幸と大和悠河だった。ちなみに、杜けあきより上は歌劇団現役時代は未見。
 まあ、人選については好みや評価が様々あるのかもしれないが、ここまで揃うと、綺羅星のごとく、と言っても言い過ぎではない気になる。
 構成・演出は荻田浩一。単なるOGものではない、出演者それぞれの長所を存分に生かした、観応えのある舞台に仕上がっていた。個人的には、未沙のえる客席から登場、って趣向で始まるのがよかった。とにかく、楽しく観た。

 東京宝塚劇場の花組公演が、『愛と革命の詩~アンドレア・シェニエ~』(脚本・演出/植田景子)と『ミスター・スウィング!』(作・演出/稲葉太地)。
 『愛と革命の詩』は、元に『アンドレア・シェニエ』というオペラがあるらしく、ちなみに、詩人アンドレア・シェニエは実在した人だそう。アンドレアという名はオペラ化したイタリアの読みで、フランス語としては、アンドレ・(マリ・)シェニエとなるとか。
 宝塚お得意の“フランス革命”時代のドラマで、“ベルばら”の後のジャコバン党独裁の時期が舞台。理想家のシェニエは革命を支持しながらもジャコバン党の独裁に馴染まず、最終的には敵視されて断頭台に送られる。その間の話を、革命前に一瞬出会った貴族の娘との恋を軸にして描いている。シェニエが蘭寿とむ、革命後の混乱の中でシェニエの詩に触れて生きる意味を知る元貴族の娘マッダレーナが蘭乃はな、召使として仕えていたマッダレーナに執着するジャコバン党員カルロが明日海りお。
 蘭寿とむは『戦国BASARA~真田幸村編~』に続いて、主役でありながら平板なキャラクターを与えられて、演技のしようがない感じ。まあ、それでも保たせるところがトップスターの貫禄。マッダレーナもカルロも、行動にイマイチ納得出来ないところがあるが、そこを突いているとキリがない(笑)。
 面白かったのは、兄であるシェニエと違って現実と巧みに折り合って生きる、やはり詩人のマリー=ジョゼフ・シェニエ(華形ひかる)との兄弟関係。こっちを中心にすれば、とも思ったが、まあ、配役の関係からも、そうは行かないのだろう。松井るみの抽象性の高いセットも、十全には生かされていない感じで……。全体にもったいなかった。
 『ミスター・スウィング!』はオーソドックスなショウ。こういう時、蘭寿とむは映える。が、観た日は、ちょっと声が荒れ気味。お疲れだったかな。

 『日のあたる方へ~私という名の他者~』は宝塚星組公演(脚本・演出/木村信司)。
 原作はスティーヴンソン Robert Louis Stevenson の「ジキル博士とハイド氏 The Strange Case of Dr. Jekyll and Mr. Hyde」(公演のプログラムには原題に忠実に「ジキル博士とハイド氏の奇妙な事件」と記載)だが、舞台は現代のブラジル。主人公を精神科医にし、背景に過去の殺人事件を設定して、新たな物語に仕立てたのは、さすが理論派の木村信司(サブタイトルからして「私という名の他者」と理屈っぽい)。過去の事件の謎解きで最後まで引っ張る。ジキル→ハイド(ここではポルトガル語の発音でイデー)の人格変容も、精神治療のための新薬の実験によるもの、という理屈が付いている。
 ジキルは真風涼帆。彼の患者にして幼馴染で実は彼の過去の秘密を解く鍵となる女性マリアが妃海風。マリアの父でジキルの研究を支援する市長(にして実はドラマの最重要人物)が一樹千尋。それぞれ難役を堅実にこなして観応えがあった。が、個人的に一番面白かったのは、過去の事件の真相を暴こうと動き回る定年間近の刑事を演じた美城れん。明らかにコロンボの変奏と思われる個性で、ことに第1幕で活躍して、楽しいアクセントになっていた。

 本多劇場は東京ヴォードヴィルショー創立40周年記念興行第4弾『その場しのぎの男たち』(作/三谷幸喜、演出/山田和也)。
 三谷によるヴォードヴィルショーのための書き下ろしで、初演は1992年。明治24年に起こった、訪日中のロシア皇太子ニコライに警備の巡査が斬りつけた、いわゆる“大津事件”の善後策を協議する政治家たちの右往左往の一夜を描いたコメディで、伊藤博文を演じた伊東四朗が話題になった。今回が4度目の上演となるが、伊東は客演ながら、その後もずっと出演している。
 僕が初めて観たのは前回公演(2003年)だが、伊藤博文が伊東と山本龍二とのダブル・キャストで、伊東の伊藤博文は観逃していた。で、今回、念願叶って“伊東”博文を観たという次第。
 で、やはり、“伊東”博文は格別だった。鷹揚に構えて、重いのかと思えば軽く、軽いのかと思えば重く見せる、絶妙の感覚。素晴らしい。佐藤B作、佐渡稔、石井愃一、市川勇、あめくみちこ、まいど豊、たかはし等といった面々も、明らかに伊東に刺激されて二割増しぐらいで演じているように見えた。

(1/4/2014)

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