[ゆけむり通信 番外2012]

  • 9/4/2012
    『秀山祭九月大歌舞伎 昼の部(菅原伝授手習鑑~寺子屋/天衣紛上野初花~河内山)』
    新橋演舞場
  • 9/5/2012
    『秀山祭九月大歌舞伎 夜の部(時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)/京鹿子娘道成寺)』
    新橋演舞場
  • 9/7/2012
    『ダディ・ロング・レッグズ』
    シアター・クリエ
  • 9/9/2012
    『九月大歌舞伎 昼の部(妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)~三笠山御殿/俄獅子~団子売/瞼の母)』
    『九月大歌舞伎 夜の部(女暫/口上/雨乞狐(あまごいぎつね)/雁のたより)』
    大阪松竹座
  • 9/19/2012
    『ボクの四谷怪談』
    シアター・コクーン
  • 9/20/2012
    『文楽九月公演 第1部(粂仙人吉野花王(くめのせんにんよしのざくら)~吉野山の段/夏祭浪花鑑~住吉鳥居前の段~内本町道具屋の段~釣船三婦内の段~長町裏の段)』
    『文楽九月公演 第2部(傾城阿波の鳴門~十郎兵衛住家の段/冥途の飛脚~淡路町の段~封印切の段~道行相合かご)』
    国立劇場小劇場
  • 9/25/2012
    『サン=テグジュペリ~「星の王子さま」になった操縦士(パイロット)~
    『コンガ!!』
    東京宝塚劇場
  • 9/26/2012
    『ジャン・ルイ・ファージョン~王妃の調香師~
    日本青年館

2012年 9月観劇記

 新橋演舞場は『秀山祭九月大歌舞伎』なので吉右衛門が中心。染五郎の負傷休演で一部配役が予定と変わっていた。
 昼の部が『菅原伝授手習鑑~寺子屋』『天衣紛上野初花~河内山』、夜の部が『時今也桔梗旗揚(ときはいまききょうのはたあげ)』と、福助の『京鹿子娘道成寺』
 『寺子屋』は、当初、吉右衛門が武部源蔵、染五郎が松王丸の予定だったが、結局、吉右衛門が松王丸、武部源蔵は梅玉となった。吉右衛門=武部源蔵、の方が、より適役だと思うので、ちょっと残念。今回は、省略されることの多い、「寺入り」と呼ばれる、松王丸の息子が寺子屋に入るところから始まるので、松王丸妻・千代役の福助の芝居が多く観られて、そこはうれしい。ここに、千代に従ってくる下男三助(錦吾)が登場して笑いをとるのを初めて観る気がしたが、単に忘れているだけかも(笑)。他の主な配役は、武部源蔵妻・戸浪が芝雀、憎まれ役春藤玄蕃が又五郎、園生の前が孝太郎、涎くり与太郎が種之助、といったところ。
 『河内山』は、いつ観ても楽しい。吉右衛門の河内山宗俊が最後の花道での「バァカめ」を、あまり間を置かずに言ったのだが、これ、吉右衛門のいつもの型だっけか。主な配役は、松江出雲守=梅玉、北村大膳=吉之助(ここがちょっと弱い)、高木小左衛門=又五郎、宮崎数馬=錦之助、腰元浪路=米吉、後家おまき=魁春、和泉屋清兵衛=歌六、といったところ。又五郎は、真面目な役をやると、まだまだな印象。
 『時今也桔梗旗揚』は、武智光秀(=明智光秀)が小田春永(=織田信長)にイビられてキレるまでの話。染五郎がやる予定だった小田春永役を演じたのは歌六。迫力たっぷりで怖かった。吉右衛門(もちろん武智光秀)はこういう、耐えに耐えて爆発する役が実にうまい。最後、覚悟の切腹と見せかけて謀反を露わにするところは、見事な幕切れ。南北、うまい。『河内山』で実直な役をやった錦之助が、ここでは、いやらしい役(山口玄蕃)を軽妙に演じる。
 『京鹿子娘道成寺』には、“七世中村芝翫を偲んで”という但し書きが付く。ただただ福助の力演に見とれる。押戻しの大館左馬五郎は松緑。きちんと、市川宗家の役だと説明しながら演じる。特筆すべきは、所化たちが客席にサーヴィスの手ぬぐいを投げるところで、亀寿が 1本、 3階席まで投げ上げて密かにドヤ顔をしたことか(笑)。

 シアター・クリエは、出演者2人のミュージカル『ダディ・ロング・レッグズ』
 ジョン・ケアード John Caird の、書簡体ミュージカルと呼びたくなる、手紙の特性を生かした脚本、及び、精緻を極めた演出によって見事な仕上がりとなっていた。ポール・ゴードン Paul Gordon の楽曲も無理がなく(詞とケアードの脚本との境界線のなさ!)、かつ、魅力もあった。今井麻緒子の翻訳(詞も)も、かなり自然。デイヴィッド・ファーリー David Farley の装置(衣装も)が、これまた素晴らしい。出演の井上芳雄、坂本真綾は、微妙なタイミングが命の演技を丁寧にこなして立派。
 来年初めの再演は、すでに完売のようだ。

 大阪松竹座の『九月大歌舞伎』は“中村勘太郎改め六代目中村勘九郎襲名披露”の公演。勘三郎が出ないので手薄かと思いきや、橋之助、彌十郎、扇雀、亀蔵といった“中村座”一党に、玉三郎はじめ、我當(口上だけだが)、秀太郎、翫雀、市蔵といったあたりが加わり、脇も濃いめで、存外にぎやかだった。
 昼の部が、七之助(=杉酒屋娘お三輪)の『妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)~三笠山御殿』、扇雀+橋之助の『俄獅子』に続けて勘九郎+七之助の『団子売』(ここで口上あり)、勘九郎+玉三郎で『瞼の母』
 夜の部は、玉三郎の『女暫』『六代目中村勘九郎襲名披露口上』、勘九郎が六変化(野狐→雨乞巫女→座頭→小野道風→狐の嫁→提灯→野狐)で踊る『雨乞狐(あまごいぎつね)』、翫雀の『雁のたより』
 『三笠山御殿』は、お三輪がイジメられるところばかりを覚えていたが、終盤に突然、金輪五郎今国(橋之助)というサムライが出てきて、問答無用でお三輪を斬るあたりからが、歌舞伎得意の“実は”の連続で(個人的には)俄然盛り上がる。
 『俄獅子』『団子売』の踊りは、まあ置いといて(悪くないですよ)、『瞼の母』が昼の部のハイライト。名高いこの演目、初めて観たが、予想よりスッキリした作りで(ジメッと泣かせるわけじゃない)、面白かった。長谷川伸、いいなあ。ここでの勘九郎は、スピード感があって見応えがあった。玉三郎が母親役、妹に七之助。
 『女暫』は、言ってみれば縁起物。背の高い玉三郎が映える。
 『口上』の並びは下手から、秀太郎、彌十郎、橋之助、七之助、勘九郎、玉三郎、翫雀、扇雀、我當。出られなかった勘三郎に代わって、こういう役割は初めてだという玉三郎が仕切り役だが、いかにも慣れてない感じが、かえって愛嬌に見えるところが玉三郎ならでは。
 『雨乞狐』は、勘九郎がいつにも増した力演。かつ、余裕も出てきたのか。
 『雁のたより』は大阪の狂言。まったりした感じが楽しい。大名家の若殿の妾に惚れられる(実はいろいろ裏がある)髪結の五郎七を演じる翫雀が、そのまったりした感じにピタリとハマって、いい味(この人の軽みは得がたい)。若殿役の薪車もいい。妾の世話係的な役が扇雀だが、息子の壱太郎が妾役で若々しい色気を出して目を惹いた。
 七之助の最近の充実ぶりが楽しい、というのは毎度言ってることだが、勘九郎もグングンよくなっている。ちなみに、『瞼の母』で中村屋の宝・小山三が元気な姿を見せていた。
 あ、そういえば、昼の部がすでに開場(開演じゃないですよ)している時間に松竹座に着いたのだが、地下鉄の駅から劇場に向かっている途中で勘九郎とすれ違った。この時間に大丈夫かよ、と心配になったが、「中村屋!」と声をかけるべきだったか(笑)。

 シアター・コクーンは“騒音歌舞伎(ロックミュージカル)”と銘打たれた、橋本治・作(作詞も)の『ボクの四谷怪談』で、音楽/鈴木慶一、演出/蜷川幸雄。
 作者は元々定形外のスケールの持ち主だが、この戯曲が書かれたのは70年代半ば(小説「桃尻娘」以前)とのことで、より一層ハジケている。とはいえ、歌舞伎好きで、なおかつ国文科で歌舞伎を専攻、卒論が「南北論」だったような人だから、その世界は手の内。借り物感はまるでない。現代と江戸時代と南北朝とが混在する世界も、歌舞伎ならではのあり方で普通に成立していた。
 話は、南北の原作に沿ってはいるが、主要登場人物のキャラクターも含め、いろいろと違いもある。例えば、伊右衛門が誰も殺さなかったり、直助権兵衛も別に悪人じゃなかったり。実際、ここでは、善玉よりも悪玉に対するシンパシーが強い。だから、逆に佐藤与茂七がスゲー嫌なやつだったりする。その辺りに作者の意図を感じたが、どうだろう。
 何度も言うが、スケールが大きい。なもんで。正直、役者が付いていけてない。とにかく、声の出が足りない。歌も歌えてない。ほとんどの役者が、尾上松也(お岩)に負けている。歌舞伎役者、すごい。歌舞伎役者たちの中では松也は図抜けた存在ではない。それが、ここでは際立っている。ずっと、そんなことばかり思って観てしまった(笑)。
 音楽(オリジナル曲の作曲も)は70年代の破天荒なロックを嬉々として作った、という印象。

 国立劇場小劇場は『文楽九月公演』。第一部が『粂仙人吉野花王(くめのせんにんよしのざくら)~吉野山の段』『夏祭浪花鑑~住吉鳥居前の段~内本町道具屋の段~釣船三婦内の段~長町裏の段』、第二部が『傾城阿波の鳴門~十郎兵衛住家の段』『冥途の飛脚~淡路町の段~封印切の段~道行相合かご』『夏祭』『冥途の飛脚』が、ほぼ通し、というプログラム。
 『粂仙人吉野花王』『吉野山の段』は、歌舞伎で言うと『鳴神』にあたる。ちょっとユーモラスで、スペクタクルあり。
 『夏祭浪花鑑』はおなじみの通り。
 『傾城阿波の鳴門』は初めて観た。離れ離れだった実の子を誤って殺してしまう救いのない話なのだが、最後に、紛失していたお家の宝の行方がわかるに及んで、親たちが気持ちを切り替えて落ち延びていくという(普通に考えるとありえない)設定に救われる(笑)。
 『冥途の飛脚』は久し振りに観たが、ここまで『傾城恋飛脚』と違ってたか、と認識を新たにした。忠兵衛、ホントにダメなやつ。八右衛門、いいやつ。って感じ(笑)。
 なお、橋下の文楽イジメのせいで、竹本住大夫が休演でした。

 東京宝塚劇場は花組の『サン=テグジュペリ~「星の王子さま」になった操縦士(パイロット)~『コンガ!!』
 『サン=テグジュペリ』(作・演出/谷正純)は、サブ・タイトルからも、ある程度想像がつくように、アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリの半生を、「星の王子さま」のエピソードを交えながら綴った作品。……なのだが、その2つの要素が絡んでるような絡んでないような。早い話、うまくつながっているところと取って付けたようなところとがある。これが難点の1つ。
 難点はもう1つあって、それは、アントワーヌ(蘭寿とむ)という人物が理解しにくいこと。現実のアントワーヌ・ド・サン=テグジュペリも毀誉褒貶あったようだが、舞台上でのアントワーヌは、しばしば、夢見がちなヘンなやつに見える。でもって、マヤ族の血を引くという妻コンスエロ(蘭乃はな)もかなりエキセントリック。ドラマの軸となるのは、そうした2人、アントワーヌと妻コンスエロの愛情(愛憎?)なので、なかなかスッと心に入ってこない。もっとも、作品のテーマが“大切なものは心の目で見なければ見えない”なわけで、子供の心を忘れない2人だけにしかわからない愛情を描こうとしたのかもしれないが。
 いずれにしても、先行作として『星の王子さま』の舞台ミュージカルが複数あるので、その『星の王子さま』の部分は、やはり似てしまう。にもかかわらず、そこが作品の中で重要になる。うーん。むずかしい題材だった、というべきか。
 役者では、壮一帆のキツネが印象的だった。
 『コンガ!!』(作・演出/藤井大介)は、ラテンのリズムを主体にしたショウで、クドいくらいのエキゾティックさが楽しい。
 愛音羽麗は、これで卒業。壮一帆は雪組でトップに。この後のやりくりが大変そうだが、それもお楽しみ、ということで。

 日本青年館は、紅(くれない)ゆずる主演の星組公演『ジャン・ルイ・ファージョン~王妃の調香師~(作・演出/植田景子)。『ベルサイユのばら』の裏話、と言ってもいい内容だが、これが、よく出来ていた。
 フランス革命後のロベスピエールによる(俗に言う)“恐怖政治”の時代、調香師ジャン・ルイ・ファージョンは、貴族、特に王妃マリー・アントワネットと懇意であったことを理由に裁判にかけられる、という大枠が、まずある。で、そこから回想が始まって、ジャン・ルイが、マリー・アントワネットの知己を得、フェルゼンとの関係も知り、最終的には、国王・王妃の処刑を直接的に招く結果となったヴェレンヌ事件(国王国外逃亡)に図らずも関与することになる事情が明らかになっていく、と。この回想部分がメインのドラマだが、その外側の裁判にもドラマ(ネタを明かすと、政変)が仕掛けられていて、そちらもスリリング。
 この2つのドラマを有機的につなげてみせる重要な役がジャン・ルイの弁護士バレルで、保身と理想との狭間で揺れながら最後にはジャン・ルイの真情に心を寄せるという、ヘタをするとご都合主義に捉えられかねないこの人物を、美城れんが見事に演じていた。実は、ジャン・ルイも、かなり微妙な均衡の上に成り立っているような、繊細かつ複雑な心の動きを見せる人物で、紅ゆずるは、うまく演じたと思う。
 他の主な配役は、マリー・アントワネット=早乙女わかば、フェルゼン=真風涼帆、国王ルイ16世=大輝真琴、ジャン・ルイの妻ヴィクトワール=綺咲愛里、革命裁判所の検事=汐月しゅう、革命裁判所の判事=美稀千種、宮廷画家ルブラン=音花ゆり、ジャン・ルイの弟エミール=如月蓮。マリー・アントワネットを傍らで支えるトゥルゼル夫人を演じたのは、専科の京三紗で、さすがのうまさ。
 楽曲(作曲/甲斐正人・青木朝子)も過不足なく、シンプルながら的確な装置(稲生英介)もよかった。

(11/24/2012)

Copyright ©2012 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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