[ゆけむり通信 番外2011]

  • 9/2/2011
    『秀山祭九月大歌舞伎 昼の部(舌出三番叟/新口村/寺子屋/勢獅子)』
  • 9/6/2011
    『ひらかな盛衰記~大津宿屋の段/笹引の段/松右衛門内より逆櫓の段』
    『紅葉狩』
  • 9/7/2011
    『寿式三番叟』
    『伽羅先代萩~御殿の段』
    『近頃河原の達引~堀川猿廻しの段』
  • 9/8/2011
    『秀山祭九月大歌舞伎 夜の部(沓手鳥孤城落月/口上/車引/石川五右衛門)』
  • 9/27/2011
    『アルジェの男』
    『ダンス・ロマネスク』
  • 10/5/2011
    『芸術祭十月花形歌舞伎 夜の部(當世流小栗判官)』
  • 10/6/2011
    『芸術祭十月花形歌舞伎 昼の部(義賢最期/京人形/江戸ッ子繁昌記』
  • 10/8/2011
    『開幕驚奇復讐譚(かいまくきょうきあだうちものがたり)』
  • 10/25/2011
    『仮面の男』
    『ロイヤル・ストレート・フラッシュ!!』
  • 10/27/2011
    『イロアセル』

2011年 9月~ 10月観劇記

 新橋演舞場の 9月は『秀山祭九月大歌舞伎』で、歌昇・種太郎親子がそれぞれ又五郎・歌昇を襲名する“披露”の月。
 昼の部は、染五郎・(種太郎改め)歌昇の踊り「舌出三番叟」、藤十郎(忠兵衛)・福助(梅川)・歌六(孫右衛門)の「新口村」「恋飛脚大和往来」)、吉右衛門(松王丸)・(歌昇改め)又五郎(武部源蔵)の「寺子屋」、梅玉・松緑・歌昇らによる踊り「勢獅子」
 よかったのが、「舌出三番叟」の染五郎の踊り。メリハリが利いていて気持ちがいい。
 「新口村」。藤十郎の忠兵衛は(声は悪いが)さすがの芸。相手役の福助も、藤十郎をしっかり受けて、負けてはいなかった。
 「寺子屋」は、いつ観ても、よく出来てるなあと感心する話。襲名の歌昇改め又五郎の武部源蔵、がんばってはいたが、吉右衛門と張り合うにはまだまだ貫禄が足りない感じ。段四郎の春藤玄蕃の憎まれ役ぶりが安心して観ていられた。
 「勢獅子」はお祝い気分の演目。松緑が後ろ足を、歌昇が前足と頭を受け持っての獅子舞が楽しかった。
 夜の部は、福助(この月初日、つまり前日のこの役を演じたのみで休演となった父、芝翫の代役)・吉右衛門・又五郎・梅玉・東蔵らによる「沓手鳥孤城落月(ほととぎすこじょうのらくげつ)」「二の丸乱戦の場/城内山里糒庫の場」。歌昇改め三代目又五郎・種太郎改め四代目歌昇の襲名披露「口上」。吉右衛門(松王丸)・又五郎(梅王丸)・藤十郎(桜丸)・歌昇(杉王丸)・歌六(時平)の「菅原伝授手習鑑」から「車引」。染五郎(五右衛門)・松緑(久吉)による「石川五右衛門」
 「沓手鳥孤城落月」は、坪内逍遙作の妙な話。ま、逍遙が妙な人だったらしいから、しようがないか(失礼、逍遙先生)。ちなみに、逍遙については、津野海太郎著「滑稽な巨人」(平凡社)がとても面白い。
 「車引」は、まあ「車引」で(笑)。藤十郎の桜丸、というのが珍しい……んだろうか?
 「石川五右衛門」は、言ってみれば“SFX歌舞伎”で、宙乗りだのなんだのの趣向が楽しい。
 しかし、「口上」というやつは、いわゆる“幹部俳優”が打ち揃って贅沢感があると同時に、役者同士の力関係等に思いを致して、勝手にドキドキしてしまう。

 国立劇場小劇場の『九月文楽公演』は、第一部が「寿式三番叟」「伽羅先代萩(めいぼくせんだいはぎ)」「御殿の段」「近頃河原の達引」「堀川猿廻しの段」、第二部が「ひらかな盛衰記」「大津宿屋の段/笹引の段/松右衛門内より逆櫓の段」「紅葉狩」
 「寿式三番叟」は、天下泰平、国土安穏とタイトル前に付いていて、つまり震災後の平穏を祈るという意味合いの演目。厳粛に始まるものの、後半にギャグが入るあたりに文楽の娯楽性が出て楽しい(真面目な顔でギャグをやるのがいい)。
 「御殿の段」は、いわゆる「まま炊き」と言われる前半が、(歌舞伎でもそうだが)正直かったるく感じる。なにしろ、浄瑠璃の言葉がよくわかんないもので(笑)。でも、悪役が登場してからは面白い。
 「近頃河原の達引」は初めて観たが、悲劇(親兄弟の別れ他)と喜劇(剽軽な兄の猿回し)の塩梅が絶妙で、感心した。

 宝塚歌劇月組公演『アルジェの男』『ダンス・ロマネスク』
 『アルジェの男』は 1974年初演で、 83年に再演されたことがプログラムに書いてあったが、それを読む前に、これって昔の作品じゃないのか、と思った。というのも、オープニングの群舞の印象が『ウエスト・サイド物語 WEST SIDE STORY』(と古臭い言い方をさせていただきます)の冒頭に似ていたから。だから、 70年前後の作品かと思った(初の来日公演が 64年、宝塚による翻訳公演初演が 68年)のだが、実際にはもう少し後だったわけだ。
 これが面白かった。何が面白いって、主人公が(根は優しいが)野心のためなら手段を選ばないと決めた男で、グズグズ言い訳しないで行動していくところが面白い。で、最後も撃たれて死んで幕、っていう演出も小気味よかった。 60年代を引きずった 70年代、という感じのメインの楽曲 2曲も内容に相応しく、いい感じ。
 ショウ『ダンス・ロマネスク』は、タイトルほどダンスだらけではなかったが、トップ 2人のダンスのうまさを、とことん生かして、見ごたえがあった。霧矢大夢はもちろんだが、蒼乃夕妃の体のキレが素晴らしい。楽しくてしかたがないって感じで踊ってるのもいい。

 新橋演舞場の『芸術祭十月花形歌舞伎』
 この月の新橋は、猿之助一座+獅童+愛之助の座組み。昼の部が、愛之助の「義賢最期」、右近・笑也の「京人形」、獅童の「江戸ッ子繁昌記」。夜の部が、亀治郎中心の「當世流小栗判官」の通し。
 「義賢最期」「源平布引滝」の二段目で(ちなみに、三段目が「実盛物語」)、当代仁左衛門が復活させたらしい。そんなわけで愛之助が演じる、と。話は時代物の例に漏れず“実は実は”の連続だが、まあ、特に面白いわけではない。面白いのは後半の殺陣。もうビックリ。愛之助を上に乗せたまま、コの字(を左回りに 90度回転させた形)に組んだ襖が横にドッと倒れるのが最大の見せ場かと思ったら、最後の最後にもう 1回、えっ!? っていう倒れ方で驚かせてくれる。これらが仁左衛門で評判となったところのようだ。女形・笑三郎の殺陣もなかなかだった。
 「京人形」は右近の踊りのうまさが味わえる楽しい一篇。
 「江戸ッ子繁昌記」は副題が「御存知 一心太助」。先代の(ということは最も有名な)中村(萬屋)錦之介が映画・舞台で演じてきた一心太助を、甥の獅童がやる、というのがウリなわけですな。脚本・演出が先代錦之介と縁のあった福田善之なので、ちょっと左翼っぽいところもあるが(笑)、往年の東映時代劇の気分は出ている。獅童が太助と家光の二役をどうこなすか、が見どころだろうか。うまさも貫禄も足りないが、愛嬌はあるので、まあ観ていられる。女房役が亀治郎。悪役は愛之助と吉弥。押さえに我當と友右衛門。家光御台所の高麗蔵や柳生十兵衛の門之助あたりは楽しんで演じている感じ。大久保彦左衛門の猿弥と、その家臣役の右近が、いい老け具合で楽しませてくれる。
 「當世流小栗判官」は、先日発表になった亀治郎の猿之助襲名(来年6月)を意識したと思しい演目で、スペクタクル巨編、てな感じの当代猿之助による復活狂言(初演は83年)。馬の曲乗り(?)、スラップスティック的なやりとり、早替り、大立ち回り、ホラー、宙乗り、等々、手を替え品を替えて次々に繰り出してくる趣向が実に楽しい。亀治郎は三役を演じて八面六臂の大活躍。気合入りまくり。他の配役は、敵役が段四郎、照手姫が笑也、途中に出てくる「すし屋」の権太的な悪役・鬼瓦の胴八が右近。愛之助は判官の病を癒す遊行上人。獅童は鬼瓦の胴八の場面に出てくる妙な役・矢橋の橋蔵。

 国立歌舞伎の『開幕驚奇復讐譚(かいまくきょうきあだうちものがたり)』は菊五郎劇団による“新作”。曲亭馬琴の「開巻驚奇俠客伝(かいかんきょうききょうかくでん)」という小説の劇化だそうで、大筋は、天下を我が物にし悪政を働く足利義満に、かつて滅ぼされた南朝方の子孫が復讐する、というもの。
 新橋の「當世流小栗判官」に迫る勢いのスペクタクルな舞台で、最も派手なシーンは、菊五郎、菊之助が左右に分かれて宙乗りをするところ。とはいえ、菊五郎劇団なので、一番面白いのは菊五郎が盗賊として出てくる世話物的な中盤。中でも、どんどん悪女になって色っぽくなっていく時蔵が素晴らしい。他に、松緑、團蔵、田之助、以下、おなじみの面々が揃って出ているが、今回は、松緑の家来筋の若侍を演じた梅枝が、いい感じだった。

 宝塚歌劇雪組公演は、第 1部のミュージカルが『仮面の男』、第 2部のショウが『ロイヤル・ストレート・フラッシュ!!』
 『仮面の男』って、以前は「鉄仮面 LE MASQUE DE FER」として知られていたはず。今回のタイトルになったのは、おそらくディカプリオ主演の映画版(1998年)の影響だろう。アレクサンドル・デュマ Alexandre Dumas 著「三銃士 LES TROIS MOUSQUETAIRES」の続(続)編(「ダルタニヤン物語 D'ARTAGNAN」の第3部)の一部らしいのでダルタニヤンと三銃士が出てくるが、主役が“仮面の男”(と双生児の弟ルイ14世)になっているのも映画版の流れだろうか。でも、それが失敗している気がしてならない。“仮面の男”は結局はシャキっとしない優男だし、ルイ14世は極悪人。男役 2番手が演じているダルタニヤンの方がカッコいい。宙組『美しき生涯~石田三成 永遠の愛と義~』の時と同じ失敗だ。ダルタニヤンをトップが演じるべきだった。そうすれば、物語としても、あんなにゴチャゴチャせずに、すっきりしたはず。
 『ロイヤル・ストレート・フラッシュ!!』は、男女のトップ、男役 2番手、 3番手、 4番手(?)が、それぞれスペードのエース、クイーン、キング、ジャック、 10という設定で、変身戦隊モノ的に並んでポーズをとるのが面白かった。

 『イロアセル』は、新国立劇場で上演された、倉持裕・脚本、鵜山仁・演出の新作プレイ。
 近未来なのかパラレル・ワールドなのかは不明だが、舞台となった小さな島の住人は、自分たちの話す言葉や書く文字が個人に固有の色を伴って空中に浮かび上がり、それを判別する機械をみんなが持っている(つまり、誰が何を言ったか、書いたかが島の全員に伝わる)ため、誰も悪口の類を口にしない、という不思議な設定になっている。しかし、本土から囚人が1人、看守を伴って島に送られてくることから、その奇妙な均衡が崩れ始める、というドラマだ。
 震災後顕著になった大企業やマスコミの欺瞞とパーソナルな情報網との、“対決”と単純に言い切るには幾重にもねじれているように見える複雑なせめぎ合いの構造を、寓話的に描いてみせた、と言えばいいのだろうか。空中に浮かび上がる人々の発言をキャッチするための道具がファムスタなる機械で、それを島民が絶えずチェックせずにいられない様子は、歩いていても電車内でもケータイを見続ける現実の人々の姿に重なる。
 ……という作品の意図は強く伝わってくるのだが、抽象的なまま残される細部がいくつかあって、例えば、囚人の罪状とか、島で唯一差別されている女性の(無実と本人は主張する)過去の罪とは何かとか、その辺が描かれれば、もっと面白くなったのかな、と思う。
 ちなみに、島で唯一差別されている女性役が島田歌穂。だから観に行ったわけです(笑)。

(11/29/2011)

Copyright ©2011 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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