[ゆけむり通信 番外 2004]

7/24『ミュージカル・イン・ジャパン』
7/29『ファントム PHANTOM』
8/3『ウエストサイド物語 WEST SIDE STORY』
8/5『マ(ン)マ・ミーア! MAMMA MIA!』
8/12『ピッピ PIPPI』
8/18『ヒムセルフ』
8/25『森は生きている』
8/27『まげもん』

必見!! 『まげもん』

〜8月ミュージカル観劇記(下)〜

(上)からの続き

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 『ピッピ』は、スウェーデンの作家アストリッド・リンドグレーン Astrid Lindgren の小説「長くつ下のピッピ」(未読)のミュージカル舞台化。作曲・作詞はデンマークのゲオルグ・R・E・セバスチャン Sebastian(なぜか原語表記は、こう)で、初演もデンマークのコペンハーゲン、とプログラムに書いてある。
 航海の途中で父とはぐれたという海賊の娘ピッピは、なぜか、猿と馬と一緒に、ある町の一軒家に住みついた。学校にも行かず自由に生きる彼女を、大人たちは社会の枠にはめ込もうとするが、ことごとく失敗。結局は、町のみんなが彼女の奔放さに感化されてしまう。――という話。
 楽曲は、「あたしはピッピ Call Me Pippi」という主人公のテーマはじめ、いずれも親しみやすいメロディにこなれた訳詩(竜真知子)が乗っていて、楽しい雰囲気を作る。また、第 1幕の、ピッピ相手にあたふたする警官 2人組(二瓶鮫一、鈴木浩介)のスラップスティックな動きや、子供たちが観に行くサーカスでのアクロバティックな演技(GEN、他)は、ストーリーと関わりなく興味をつなぐ(もっとも警官 2人組の動きは、もっと練る必要があるが)。こうした、ある種の芸を見せようという姿勢は支持したい。
 しかしながら、ドラマの中心となるピッピの“変”さを魅力的に見せきれず(時として、ただの“変”なやつに映る)、全体として大人に対する教訓劇のようになってしまったのは残念。演出家(宮田慶子)の手際と主演の篠原ともえの力量の問題だろう。時として整合性に欠ける突飛なストーリーも、ピッピが充分に魅力的なら気にならなかっただろうに、とも思う。
 篠原ともえは“元気があってよろしい”というタイプだが、基礎的な訓練が出来ていない。演技が一本調子になるのも、そのせいだし、声を荒らしていたのも、その結果に違いない。期待出来る個性なだけに、努力が望まれる。
 ピッピを“更正”させに来てやり込められる役で土居裕子が出ているが、歌に安定感はあるものの、コメディエンヌとしてはイマイチ。能力のある人だけに、彼女に合った役を考えてあげてほしい。(安岡)力也の海賊パパは適役。

 約 1年前に同じアートスフィアで上演された『ピュア・ラヴ』で現代のロミオを演じた中川晃教(あきのり)が、今度はハムレットを演じた。それが、『ヒムセルフ』。しかも、楽曲は全て中川が自身のアルバムのために書いたものだという。
 これが、どうにも面白くない。
 理由はいろいろあるが、最大の問題は楽曲にある。
 まず、歌の内容がわかりにくい。なぜなら、多くの楽曲で、随所に英語の詞が出てくるからだ。それも、単語ではなく文として、かなりの割合で出てくる。中には 1曲全部が英語詞のものまである。もちろん、英語が使われていても理解出来る歌詞もあり得るだろう。しかし、ここに出てくる楽曲の場合は、そのほとんどが、英語の部分の歌詞が、少なくとも即座には理解出来ない。理解出来ない部分がかなりの割合を占めるとなれば、全体の意味合いも捉えにくくなるのは当然のことだ。歌詞の内容が観客に完全に理解される必要はない、という考えもあるかもしれない。しかし、ミュージカルにとっての楽曲は、ショウ場面を彩ると同時に、ドラマを盛り上げる(と言って悪ければ、重層性を与える)役割を担っているわけだから(そうでないならミュージカルにする必要はない)、楽曲に込められた意味合いが観客に伝わっていくのでなければ、そこで歌う意味がない。もちろん、心も動かされない(これは詞の質的問題とは別の話)。ま、この舞台が日本語/英語のバイリンガルを観客として想定していたのであれば、ゴメンナサイ、だが。
 さらに楽曲の曲調が、元々、中川が自分で歌うために書いた楽曲のため、高音を張り上げるタイプの(僕の耳には一様にマイケル・ジャクソン Michael Jackson 風に聴こえる)ものが多く、全体を通して見ると単調な印象を受ける。
 ――と、まあ、以上は、あくまでミュージカルの楽曲の条件としての話だが、それも、 [舞台のために書いた曲ではなく、シェイクスピアを意識して書いた詞でもない。] と中川自身がプログラムに書いているのであれば、無理もないとは思う。わからないのは、そうした、彼が自分のアルバムのために書いた楽曲を、なぜ、『ハムレット HAMLET』という戯曲と組み合わせてミュージカル舞台化したのか、ということだ。
 やはりプログラムに、プロデューサーの高屋潤子が、こう書いている。
 [2004年の元旦、彼はセカンドアルバム製作のため(中略)曲作りに没頭していた。「What are you afraid of?」休み明けに中川から連絡が入って、その曲を聴き正直驚いた。どこからこのイメージが来るのか? どうやら彼は 9. 11 の報道写真の中の一枚を見てひらめいたらしいのだ。(改行)そして 3月の初旬、これをどういう形で実際に舞台化するか 48時間かけてミーティングを行うことになった。ミュージカルをやる! 長い話し合いの上にその結論が出た。]
 きっかけになったらしい「What Are You Afraid Of?」という楽曲は、舞台上では、事実上ロシアに追放されたハムレットが戦場を見ながら歌う。その時点でプログラムを読んでいなかった僕は、それまでのストーリーと全く関係なく現れる、その歌の持つ唐突な“反戦”の感触に、激しい違和感を抱いた(ハムレットが反戦!?)。と同時に、ああ、この楽曲をこういう風に歌いたかったわけか、とも思った(その意味では、皮肉なことに、この楽曲の意味合いは、よく伝わってきた。使われている英語詞が、繰り返される What are you afraid of? だけだということもあるが)。
 要するに、混乱した現代に向けて「What Are You Afraid Of?」という楽曲を歌う中川晃教の姿を、ロシアの荒れ果てた戦場を見て虚しい気持ちになるハムレットの姿に重ね合わせたらいいんじゃないか、という思いつきで『ハムレット』のミュージカル化を実行に移した。それが、この作品なのだ。(※下の追記参照)
 それにしては、その「What Are You Afraid Of?」の場面、ことさら感動的なわけではない。中川晃教という若者が世界のあり方に対してなにがしかの思いを抱いている、ということはわかるが、それ以上でもそれ以下でもない。それはそうだろう。それ以外の場面と、まるで関係なく登場するのだから、劇的な盛り上がりなど期待出来るはずもない。
 逆に、“それ以外の場面”について言うと、芝居と歌が有機的に結びつかないブツ切れな展開もあって、登場人物の行動の動機や運命の悲劇性なんてものが見えてこない。いくら映像や新奇な装置を使って新しげに見せても、こんな乱暴な作りじゃ、面白い舞台が出来るはずがない。これなら、単純に中川のコンサートにした方がよかったのではないか。観客の多くが望んでいたのも、それではなかったのか。
 脚本・演出はグレッグ・デイル Greg Dale。プロデューサーの高屋潤子は『ピュア・ラヴ』と同じ。この人は“拙速”という言葉を知らないのだろうか。あ、それでも客が入るからいいのか、プロデューサー的には。

 『森は生きている』の原作は、ロシアのサムイル・マルシャーク Samuil Marshak の戯曲。どうやら、同作品のミュージカル化は、国内外で複数のヴァージョンがあるようだ。この舞台は、作曲/脇田崚多郎、作詞/忠の仁(演出も)、脚本/川ア登(製作も)によるもの。
 結論から言うと、エコロジーだの愛だのといった抽象的な“テーマ”が前面に出た、いささかノリの悪い作品だった。
 継母と義姉に酷使されている娘が、冬の森で出会った 12の月を司る精たちの助けで、わがままな若い女王の求める春の花“待雪草”を手に入れる。それを継母と義姉は、賞金目当てに城に届けるが、女王から採取場所に案内せよと命じられ、娘の道案内で一同、森の奥深くへ。娘の願いに応じて一旦は精たちが森に春を呼び、“待雪草”を現出させたが、すぐに厳しい冬が戻り、全員凍死の危機に瀕する。それを救ったのは、娘の純真な心だった。――そんな大筋の、ファンタジックな寓話。
 ノリのよかったのは 1か所。今陽子扮する継母と鳴海じゅん扮する義姉が、女王に“待雪草”を採った場所を訊かれて歌う、大嘘の説明ナンバー「でまかせソング」の場面だけ。今陽子の陽性のキャラクターと迫力たっぷりの歌唱力が、楽曲のコミカルな魅力を十二分に引き出していた(この楽曲の出来は悪くない)。
 その他の場面は、楽曲の内容が登場人物の心情やストーリーの直裁な説明になっていて、退屈。もちろん、ミュージカルの楽曲は登場人物の心情やストーリーの展開と深く関わるものだが、説明になってしまっては芸がない。わざわざ歌うのだから、観客の心をつかむ、なんらかの意外性が必要なのだ。
 ダンス(振付/名倉加代子)も、ていねいに作られてはいるが、ハッとするような驚きに欠ける。また、意図したと思われるほどにはドラマと有機的に結びついていない。したがって、時折挿入されるダンスだけのシーンなどは、冗長に感じられた(日本のオリジナル・ミュージカルの場合、ダンス・シーンは振付家にお任せで演出家や楽曲作者との議論がなされていない印象を受けることが多いのだが、気のせいだろうか)。
 しかし、もし、主人公の娘役が遠藤久美子でなかったら、もう少し面白く観られたのではないかと思う。もちろん、“純真”な娘というのが、例えば、のびのび演じられる女王(神戸みゆき)に比べ、演じにくい役であるのはわかる。が、歌唱力のなさ、演技の一本調子さの程度が、ミュージカルの主演者としてはひどすぎた。プロである以上、もちろん彼女の責任でもあるが、それ以前に、キャスティング担当者は何を考えているのか、と言いたい。

 素晴らしかったのが、オペラシアターこんにゃく座東京公演『まげもん』「海外ミュージカルファンに100の質問」への回答の「Q.80」で答えた [作品名不明] だった舞台が、これだ(ということに、チケットを予約する時に気づいた)。
 実は、この作品のタイトル、正確には、『まげもん 夏の陣〜MAGAIMON〜』となっている。“夏の陣”はともかく、“MAGAIMON”の方は、ストーリー上の意味を表している。“まがいもん”=にせもの。この作品の主人公は、人間に化けたタヌキなのだ。と同時に、本当の“まがいもん”は人間の方じゃないのか、と言っているようにも思える。設定はファンタジックで、 演出の感触もかなりコミカルだが、作品の核心にあるのはシリアスな世界観だ。
 徳川時代の江戸。武士の娘に恋したタヌキが、自分の婚礼の席を抜け出して江戸に出てくる。恋されている娘は、姉と共に、汚職の罪を着せられたあげく殺された父の仇を討とうとしている。姉には相思相愛の浪人がいて、仇討ちをあきらめて平穏な暮らしをしたいとも思っている。タヌキの祖父と許婚も、逃げたタヌキを連れ戻そうと江戸に出てくる。タヌキと人間。恋と仇討ち。仇は権力の側にいる巨悪。さあ、どうなる。
 交錯するドラマを、伏線を周到に用意しながら、二転三転させつつ深みを持たせて展開させる脚本が、まず面白く、人物造形もしっかりしている。旅一座のあいさつから始まり、黒子も登場する虚構性の強い主要部分を劇中劇として見せ、最後に再び旅一座に戻る構成も、うまい。
 上演を重ねて練り上げたと思しい演出は、細かいところまで目配りが効いていてスキがない。コミカルとシリアスのバランス、出し入れの呼吸など、絶妙で、例えば「ハッスル、ハッスル」なんていう“今”しか使えない“捨てギャグ”が淀みなくウケるのも、その塩梅に観客がすっかりノセられているからだろう。
 基本にピアノが 1台あるものの、出演者の演奏する三味線や打楽器も伴奏楽器となる、ややラフな、ある意味で解放感のある音楽は、オリジナリティを感じさせると同時に、いきいきしていて楽しい。場面転換のつなぎに物売り等を登場させて音楽を入れるアイディアも効果的。楽曲自体も、曲調が多彩で、全体の流れの中での配置もよく考えられているし、詞と曲とはこなれて溶け合い、無理を感じない。
 脚本(一応オペラだから作詞も)と演出は鄭義信。作曲は萩京子。
 ところで、この舞台には、主要の座員以外に 50人近い“まげもん長屋の人々”が出てきて大いに盛り上がるのだが、この人たちは今回の“夏の陣”に特別参加した一般公募の出演者なのだとか。となると、彼らの出ない普段の公演では、全員が出揃う華やかな花火のシーンや、江戸の町が SFチックに崩壊するクライマックスなど、いったいどんな風になるのか。ぜひとも観てみたいと思う。
 なんにしても、『まげもん』が近隣で上演される時には、足を運ばれることを強くオススメします。オペラを自称しても、敷居は低いですから。

(10/27/2004)


 (『まげもん』追記)
 装置(加藤ちか)のことを書き忘れてました。
 中央に置かれた日本橋を想起させる太鼓橋のセットは、それ 1点だけで江戸のイメージを作り出す。と同時に、舞台に立体感を与え、回転させることでさらなる広がりを生む、優れたものだった。

(10/27/2004)


 (『ヒムセルフ』追記)
 ロシアに追放されたハムレットが戦場を見ながら歌うのは「What are you afraid of?」ではない、とのご指摘をいただきました。ここで歌われたのは「That Is The Question」という楽曲で、「What are you afraid of?」は別のシーンで歌われたらしい。
 また、やっちまいました(笑)。ロシアのシーンで激しい違和感を覚えたので、プログラムを読んだ時に、プロデューサーが特記していた「What are you afraid of?」が、そのシーンでの楽曲だったと思い込んだようです。失礼しました。
 なので、 [混乱した現代に向けて「What Are You Afraid Of?」という楽曲を歌う中川晃教の姿を、ロシアの荒れ果てた戦場を見て虚しい気持ちになるハムレットの姿に重ね合わせたらいいんじゃないか、という思いつきで『ハムレット』のミュージカル化を実行に移した。それが、この作品なのだ。] という推測は、当然ハズレです。
 でも、まあ、批評の大筋は間違ってないはず。ということで、ひとつ、よろしく。

(11/6/2004)

Copyright ©2004 MIZUGUCHI‘Misoppa’Masahiro

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