[ゆけむり通信 番外 2000 & 2001]

1/25/2000
『シューズ・オン!』
1/18/2001
『シューズ・オン! 2』

世界に向けての開き方 1

 実は、去年の初め、 1回目の『ボーイズ・タイム』と、大浦みずきの参加した『シューズ・オン!』を立て続けに観た時点で、その 2作を、それ以前に観ていた『ザ・ミュージカル・マン』『フェイキング フレッド&ジンジャー』と一緒に語ろうと考えたことがあった(なぜそう考えたかは後ほど)。それが実現していないのは、みなさんごぞんじの通り(笑)。ところが、昨年同様、今年も 1月に『ボーイズ・タイム』『シューズ・オン!』の“2”(なぜ?)を観たので、話をこの 2作に絞って、今度こそ(笑)語ることにした。
 ちなみに評価は、完成度は別にして、『ボーイズ・タイム』肯定、『シューズ・オン!』否定。

 まずは第 1部、『シューズ・オン!』から。

 書きかけていた昨年 1月の『シューズ・オン!』についての感想はこうだ。

 [僕が日本のミュージカルに何も期待しない観客なら、「一昨年 10月に観た俳優座劇場での舞台よりまとまりがよくなって洗練された」、とでも言うかもしれない。しかし、日本のオリジナル・ミュージカルに期待する僕は、こう思った。
 「若い世代のミュージカルの誕生の芽を摘みとられ、大人向けのこぢんまりとまとまったショウへと後退してしまった!」]

 いきなりガツンと否定的な理由は、 98年版の観劇記を読んでいただければわかるのだが、その観劇記を要約すると次のようになる。

 ――『シューズ・オン!』は、日本ではなかなかお目にかかることの出来ない楽しいショウで、演出家独裁ではなく出演者が積極的に参加した一体感があるのがいい。
 しかし、注文もある。
 楽曲は、オリジナルでなくてもいいから、他のダンス・レヴューで使われている曲やミュージカル・ナンバーは避けてほしい。すでに使われた楽曲を使って模倣に近いパフォーマンスに仕上げるのは、オリジナルよりも後退することだから。
 そして、出来れば、ダンサーたちが彼らと年の近いコンセプトメイカーと組んだ舞台を観てみたい。ダンサーの肉声が聞こえてくるような舞台が出来るんじゃないだろうか。――

 これをさらに要約して、ひと言で言うと、「ブロードウェイ・コンプレックスから抜け出せない福田陽一郎(構成・演出)が主導権を握っている限り、模倣から先に進めないし、地に足の着いたショウは作れないぞ」となる。
 にもかかわらず、昨年 1月の公演では、楽曲に関しても、コンセプト作りに関しても、何ら改善がなされていなかった。
 どころか、ストーリー性を持たせるつもりか、いかにも作り物めいた“ボーイ・ミーツ・ガール”のコントのようなものを全編にわたって入れたり、高平哲郎の『ザッツ・ジャパニーズ・ミュージカル』に入っていてもおかしくないような『アニー ANNIE』『レ・ミゼラブル LES MISERABLES』のパロディ場面を加えたりして、ダンサーの肉声というところから遠ざかる結果すら招いていた。
 大浦みずきという他の 6人(川平慈英、本間憲一、藤浦功一、玉野和典、北村岳子、麻生かほ里)とは肌合いの違うスターを投入した意味も、そういう視点から見れば、よくわからない。結局は、初演の時に感じた一体感を損なうことになっただけなのではないか(念のため言っておくと、大浦みずきのパフォーマンス自体が異質だったわけではない)。
 これでは否定的にならざるを得ない。

 まあ、制作サイドは僕の考えなど知る由もないのだから、僕の望んだように改善されないのは当然と言えば当然だが、逆に言うと、当事者の中の誰ひとりとして、僕のようには考えていなかったということだ。
 初演の時に感じた可能性(ダンサーたちの肉声が聞こえてくるような舞台になり得る)は、けっして錯覚ではなかったと思うのだが……。

 僕が“ダンサーたちの肉声が聞こえてくる舞台”にこだわるのは、もちろん、『ノイズ/ファンク NOISE/FUNK』を体験したからだ。

 [そこ(『ジェリーズ・ラスト・ジャム JELLY'S LAST JAM』)で試みたタップ・ダンスの新たな表現が、サヴィオン・グローヴァー Savion Glover を軸にした若い世代のダンサーによってさらに模索され、深化された結果が『ノイズ/ファンク』のストリート・タップになった。その背景には、何世代にも及ぶエンタテインメントとしての自分たちの芸に対する再考察と、アフリカン・アメリカンである自分たちのアイデンティティの再検証があったはずだ。スタイルの模倣だけではとうてい及ばない芸の深さと志の高さが、そこにはある。](観劇記より)

 タップの本場アメリカの、ビジネス的に考えても最も厳しいブロードウェイで、タップの伝統をたっぷりと身につけていながら、これだけ野心的なタップのショウを実現させている人々が一方にいる。
 だとしたら、タップの後進国日本にあっては、技量的には及ばなくても、その精神を見習って、自分たちなりの表現方法を模索するべきなんじゃないか。少なくとも、既成のミュージカル・ナンバーを使って、どこかで観たようなダンスを披露して、満足している場合ではないと思う。

 にもかかわらず、残念ながら予想通り、『シューズ・オン! 2』はさらに後退していた。

 いちばん驚いたのは、北村岳子が、本間憲一と組んで歌い踊った「ヤバ!ヤダ!(男と女)」というナンバー。これ、『スウィング! SWING!』の中で最も印象的なナンバーの 1つ「Bli-Blip」の、翻訳というか替え歌というか、なのだが、実は、昨年 6月に観た『ザッツ・ジャパニーズ・ミュージカル 2000』で、斎藤晴彦と組んで、やはり北村岳子が歌っていたのだ。
 先にやったから『ザッツ・ジャパニーズ・ミュージカル 2000』(脚本・詞・演出/高平哲郎)の方が偉いというわけじゃない。この作品での「Bli-Blip」も、ジャパニーズ・ミュージカルの現状批判を含んだパロディが核だったはずの作品にあって、ただ単に日本語版にしただけという内容。つまり、モノマネだ。ブロードウェイで『スウィング!』を観て、これやりたいと思い、半ば自慢気に日本の舞台でそのモノマネを披露した。要するに、そういうことだろう。そこには、前向きな姿勢は全くない。菊田一男が 1963年 9月に東宝劇場で『マイ・フェア・レディ MY FAIR LADY』を翻訳上演した時の志から後退してすらいる。
 そんな風に思った「Bli-Blip」を、半年後に同じ趣向で、こともあろうに同じ北村岳子で観ることになろうとは。驚きを通り越して、あきれさえした。
 早い話、福田陽一郎も高平哲郎も根っこのところが同じなのだ。ブロードウェイ・コンプレックス。またの名を、“ブロードウェイ・ミュージカルのことを日本でいちばんわかっているのは自分だと言いたい”病。
 しかし、『フォービドゥン・ブロードウェイ FORBIDDEN BROADWAY』の日本版を作ろうとした『ザッツ・ジャパニーズ・ミュージカル』はともあれ、『シューズ・オン!』のようなショウは、ブロードウェイはもちろん、オフでもオフ・オフでも、まず観られない。なぜなら、個々のナンバーにも舞台全体としても、オリジナルなアイディアがまるでないからだ。そんな作品はニューヨークでは生き残れない。
 スタイルでブロードウェイに近づこうとして、スピリッツでブロードウェイから最も遠いところに来てしまった。それが『シューズ・オン!』のシリーズだ。

 そんな演出家に嬉々としてつきあっている出演者たちも、ここまで来ると情けない。
 川平慈英の『雨に唄えば SINGIN' IN THE RAIN』メドレーも、藤浦功一とのデュオによるヴォードヴィル・ナンバーのダンスは楽しかったが、そっくりショウ的なアイディア自体があまりにも時代と関わりなさすぎて、いったいどうしちゃったんだろうという感じ。
 それは、毎度おなじみの本間憲一によるアステアもどきナンバーにしても同じこと。
 結局は、全員で自分たちの趣味を舞台に上げているようなものだ。
 仲間内でやっているアマチュアの舞台なら、それもいい。閉じられた世界で好きな人たちだけで楽しんでいればいいのだから。しかし、仮にもプロフェッショナルと呼ばれる人たちであるなら、自分たちの舞台を、自分たち以外の人たち、つまり世界と、どうつなげるのかということを考えるべきだろう。本当なら、そういう舞台でなければ商売にはならないはずなのだ(今回、観客の動員が芳しくなかったのは、その証左ではないのか)。観客を甘く見ていては、いい舞台は出来ない。
 追い打ちをかけるように厳しいことを言わせてもらえれば、仮に趣味の舞台として押し通すこともありだという前提に立ったとしても、世界レヴェルで見れば、その技量に必ずしも一流と言い難い部分が多々あるということを、ご一同お忘れなく。

 いつもなら、最後に、出演者(前回の 7人−大浦みずき+シルビア・グラブ)個々のよかったところを挙げるのだが(そして、それはもちろんあるのだが)、今回は話の流れがこうなので省略。みなさんの奮起を期待したい。

 ところで、「I Got Rhythm」のアレンジのそっくり具合とか(『クレイジー・フォー・ユー CRAZY FOR YOU』に)、権利の問題はないのでしょうか。お金払ってんのかな。

 第 2部、『ボーイズ・タイム』に続く。

(1/28/2001)

Copyright ©2001 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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