それぞれの人生それぞれのゲキもは!

中島隆裕さんの場合

 1983年だったと思いますが、俳優の加藤健一さんが、『審判』というひとり芝居を上演して、話題になっていました。当時、「マンスリー AG」という演劇の情報誌があって、これはちょっとレイアウトが見にくい雑誌だったのですが、¥100だか(忘れましたが)、値段が安かったので、お金のない私は重宝していたのでした。
 私の「ゲキもは」エピソードは、この『審判』と「マンスリーAG」が絡み合ったハプニングです。

 その『審判』を、「当日券で見ようかな、やめようかな」と迷っていたのですが、結局「一応行ってみるか。券がなかったら帰ろう」と決心し、井の頭線で渋谷駅から下北沢・本多劇場に向かったのでした。
 私がグズグズしていたのと、電車の乗り換えが悪かったことで、午後 7時開演に間に合うかどうか、あやしい時間になりつつありました。そうなってしまうと、「なんだかすごく見たくなってしまう」のはなぜか! それは私の心が弱いから。……わか ってはいるのですが、「ほんとは 7時 30分開演だったりして」と期待して「マンスリ ーAG」をまた開いてみたのでした。
 すると、井の頭線沿線の情報で、「審判・午後 7時開演・アゴラ劇場(駒場東大前 )」とありました。
 下北沢・本多劇場だとばかり思っていた私は、「乗り過ごしてしまうところだった」と、冷や汗をかきながら駒場東大前で下車して、猛ダッシュ。アゴラ劇場の前には、もう人はいなくて「こりゃだめか」と思いましたが、受付をやっていたおねえさんが、「早く早く」と私を抱えるようにして、案内してくれたのでした。
 駅から走ってきた私は、ゲホゲホ咳こみながら、「あの当日券……」というと、おねえさんは「とにかく席へ」と言って、開演時の暗転の中、私を客席に坐らせました。
 灯りがついて『審判』が始まると、舞台には加藤健一さんと違う人が、そして、客席には私ともうひとりのお客さんしかいませんでした。
 一瞬で状況を理解した私は、呆然として、その誰だかわからない人の演じる『審判』を眺めていました。
 その『審判』は 3時間半くらいあったと思いますが(加藤さんのは 3時間弱と、その後聞きました)、私の体感時間では10倍にも100倍にも感じられました。気合いが入りすぎて間のびした演技が辛かったのですが、なんせお客さんが 2人なので、睡眠をとるわけにいかないのです。
 普段ボーとして生きている私ですが、おかげで上演中いろんなことを考えてしまい ました。もうこの芝居は終わらないのだ、とあきらめかけていたところに舞台は終演 し、カーテンコールに再登場したその役者さんは、ステージから私のところまで降りてきました。
 それから、その青年は、「沖縄から俳優になるために東京に出てきたこと」、「芽が出ないので自分で企画したこの公演を最後に田舎に帰ること」、「ありがたいことに友人が総出で手伝ってくれたのだが、劇場のスケジュールを取り過ぎたこともあって、客席に坐っている人がいなくなってしまったということ」、「もうひとりの(客席に私以外に坐っていた)人は、この舞台の演出家であること」、「今日は誰もいないんじゃないかと思っていたら私が坐っていてびっくりしたということ」、などを語り、まっすぐな眼で「今日は立ち合ってくれてありがとうございます」と言いました。
 私は、しどろもどろに「どうも」みたいなことを言って、劇場を出たのでした。

 すごい失敗談で笑える、それなのに泣ける、という、なんだか味わい深い話。けっこうジーンと来ちゃいました。

 ところで、 [カーテンコールに再登場した] ってさりげなく書いてありますが、要するに、その演出家の人と一緒に中島さんも拍手せざるを得なかったということですよね。でも、その役者さんにしてみれば、たとえお義理とわかってもうれしかったんだろうなあ。中島さんにとっての大失敗が、見知らぬ青年にとっては大きな励ましになるんだから、人生って不思議。
 僕としては、そこで最後までご覧になった中島さんに拍手を送りたいと思います(笑)。

 中島さん、ありがとうございました。

(5/9/1998)

Copyright ©1998 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

previous/next

◆あなたの[ゲキもは]話を送ってください◆

 劇場通いにまつわるエピソードを送ってください。
 劇場で見かけたあの素敵な人物はいったい誰。金欠時に私はいかにしてチケット代を捻出したか。劇場の秘密のなごみスポット教えます。劇場での私の不思議なクセ。なんとかしてほしい劇場のあのシステム。etc.
 なんでもけっこうです(誹謗中傷以外は)。
 掲載を希望しない場合、あるいは変名を使いたい場合は、その旨書き添えてください。

[ゲキもは]話は今すぐ こちらへ!


[HOME]