[ゆけむり通信Vol.58]

4/21/2004
『屋根の上のヴァイオリン弾き FIDDLER ON THE ROOF』

歴史の動きで変わる作品の意味

 『屋根の上のヴァイオリン弾き』を初めて観たのは、 1991年 6月 4日のブロードウェイ。 13年前のことだ。
 その時、すでに僕は、この作品の“普遍性”に疑問を投げかけている。当時書いた観劇記(91年 9月発送「ゆけむり通信 Vol.8」)から引く(一部編集)。

 [90年 11月 18日に開幕した今回のリヴァイヴァル版の主演は、同作品の 67年のロンドン公演と 70年の映画版で主役に就き一躍世界的なスターになったイスラエル人俳優トポール Topol。主役の存在感で成否が決まる作品だけに、看板にはタイトルよりも大きく“TOPOL”と書かれてある。
 『ジェローム・ロビンズ・ブロードウェイ JEROME ROBBINS' BROADWAY』で名場面だけを見せられて、是非その全体像を観たいと思っていたので、うれしいリヴァイヴァル。
 今更内容をうんぬんすることもない名作で、主演トポールの演技も素晴らしかったが、客の入りは悪い。 20世紀初頭の帝政ロシアから追い払われる貧しいユダヤ人たち、という素材は特殊だが、 60年代にはドラマとして普遍性を持っていたはずだ。その普遍性が、この物語の中で古い伝統が失われていくように、時の流れと共に薄れていったということか。]

 「今更内容をうんぬんすることもない名作」と言われてもなあ、とツッコミを入れたくなるほど何を言ってるのかわからないが(笑)、ともあれ、実は今回も、普遍性については同じことを感じた。要するに、作品が古びているのではないかと思った、ということだ。
 そのことを詳述する前に、観劇当時のニューヨークの様子と、関連するアメリカの状況をお伝えしておく。

 91年のニューヨーク演劇界は、その年の初め(1月 17日)に起こった、いわゆる“湾岸戦争”の影響で観光客の数が減り(日本でも海外渡航の自粛が呼びかけられた)、劇場へ向かう観客も少なく、かなりの公演がクローズに追い込まれたりしていた。トポール版『屋根の上のヴァイオリン弾き』も例外ではなく、劇場が広いガーシュウィンだったこともあって、かなり空席が目立っていた。
 その多くはない観客の中で目についたのが、例の黒い帽子を被ったユダヤ教徒の姿だ。その人たちの多くは、おそらく、その 2日前の日曜日にミッドタウンで行なわれたイスラエルとアメリカの連帯を訴えるパレードへの参加者か、その賛同者だったはず。パレードのためにニューヨークに来た人たちが、素材への興味もあって劇場に足を運んだのだろう、というのが当時の僕の推測。
 実は、そのパレードの背景にあったのが、他ならぬ“湾岸戦争”。“湾岸戦争”と呼ばれる、アメリカ(大統領は父ブッシュ)を中心とする多国籍軍によるイラク攻撃は、表向きはイラクが行なったサウジアラビア侵略に対する制裁ということになっているが、その裏にはイスラエル×パレスチナ問題(ユダヤ×イスラム問題)があった(すごく単純化して言えば、アメリカの一連の中東攻勢は国内ユダヤ勢力に押されての軍事行動でもある)。パレードは、そうしたユダヤ勢力の示威行為でもあったわけだ。

 それから 13年。どうだろう。今の社会状況と妙に似ていないだろうか。
 『屋根の上のヴァイオリン弾き』の背景にある歴史認識に違和感を抱かせ、作品が持っていたはずの普遍性に対する疑問を浮かび上がらせた一因は、そんな状況にもあったと思う。

 『屋根の上のヴァイオリン弾き』の舞台は、 1905年、革命前夜のロシアの、とあるユダヤ人たちの村。
 人々は昔ながらの“しきたり”に従って生きている。それが、小さなコミュニティの中で事を円滑に運ぶ知恵だ。しかし、外の世界の変化が、この村にも流れ込みつつあった。“しきたり”にさえ従っていれば、落ちることなく屋根の上でヴァイオリンを弾いていられる時代ではなくなり始めていたのだ。
 その村に住み、 5人の娘を持つ牛乳屋テヴィエは、彼女たち(と言っても上の 3人だが)の結婚を通して時代の変化を感じていくことになる。
 まず、長女は、仲人の仲介による結婚という“しきたり”を破って、裕福な肉屋ではなく、貧しい仕立て屋と恋愛結婚する。
 次女もやはり恋に落ちたが、相手は村の住人ではなく、よそから流れて来た革命思想を持つ若者。結婚の約束をするにあたって、仕立て屋がテヴィエの承諾を得たのに対し、革命的な若者は、親に許可してもらう必要はないと言う。個人の意思を尊ぶのが新しい社会のあり方なのだと考える彼にとっては、親に対する親愛の情は感じつつも、結婚は当事者同士の問題。親には自分たちの意思を告げるだけでいい、と主張する。半ばあきれながらもテヴィエは 2人の結婚を受け入れるが、最終的に次女は、革命に身を投じた若者の安否を気遣って 村を出ることになる。
 そして、三女の相手はロシア人の若者。長女や次女の時は、抵抗は覚えつつも最終的には祝福したテヴィエだが、今度ばかりは許さなかった。なぜなら、ロシア人たちの中に、ユダヤ人を異端者として排斥しようとする動きがあったからだ。結局、三女は家を出て、親の承諾を得ないまま結婚してしまう。あの娘は死んだのだ、と言うテヴィエ。
 それから間もなく、恐れていたことが現実となり、テヴィエたちは、官憲から村ごとの追放を言い渡される。ここに到って、別れを告げに来た三女を、再び家族として認めるテヴィエ。だが、この別れは永遠の別れになる予感がする。
 最小限の荷造りで、それぞれの目的地に向けてバラバラに出発していく村人たち。彼らの行く手には、いったい何が待ち受けるのだろうか……。

 [未見だが、日本の森繁版は素材の特殊性は無視して人情ドラマにしていまうことで息を永らえたのではないか。] と、 91年の観劇記に僕は書いている。その後も日本語翻訳版は観ていないので(島田歌穂出演版はチケットまで買っておきながら不可避の事情で観られなかった)、この考えは未だに推測の域を出ないのだが、ただ、こうは言えると思う。上に書いたストーリーの中の“テヴィエと嫁いでいく娘たちとの別れ”の部分だけなら、今の日本でもまだかろうじてドラマとして通用するだろう、と。言い換えると、その部分は、とりあえずは、時代と地域を超える普遍性を今でも保っているわけだ。
 実は、その“家族のドラマ”の背景には、国家の近代化=資本主義経済の発展(仕立て屋のミシン購入はその象徴)によるコミュニティの崩壊という、時代を限定する設定があるのだが、こうしたコミュニティの崩壊は国によって時間差はあるものの全世界的にかなり長い期間にわたって起こったことなので、例えば今の日本人にも共感可能な部分があり、(日本版で、その背景部分がどう描かれているかは知らないが)時代背景をことさら意識しないで“家族のドラマ”として受け入れられるのだと思う。
 この、ある種“通俗的”と言ってもいい“家族のドラマ”がなければ、初演当時ですらヒットしたかどうかわからないのは事実だろう。
 しかし、同時に、“特殊だ”と書いた“20世紀初頭の帝政ロシアから追い払われる貧しいユダヤ人たち”という“民族のドラマ”抜きには、この作品がヒットすることも、その後も名作として繰り返し上演されることもなかっただろうということは想像がつく。この作品のドラマとしての見せ所というのは、テヴィエ一家の“家族のドラマ”と、彼らを取り巻く大きな世界との関わりで起こる“20世紀初頭の帝政ロシアから追い払われる貧しいユダヤ人たち”という“民族のドラマ”とが、絶妙に絡み合うところにあるのだから。
 今日では普遍性を持たないのではないかと僕が考えるのは、その“民族のドラマ”の部分だ。

 “20世紀初頭の帝政ロシアから追い払われる貧しいユダヤ人たち”というドラマは歴史的事実を背景にして描かれている。ではあるが、その後の 1世紀の歴史を知る僕らとしては、そうしたユダヤ人の悲劇を“今”描くことの意味を改めて考えざるをえない。
 なぜなら、シオニズム(ユダヤ人のパレスチナへの“帰還”国家建設運動)が盛んになった 19世紀末から、イスラエル建国(1948年)を経て今日に到る、この 1世紀――ことに、アメリカの力を背景にしてのイスラエル建国前後からの半世紀だけを見てみれば、ユダヤ人は単純な被害者ではなくなっているからだ。早い話、『屋根の上のヴァイオリン弾き』の寒村で細々と暮らすユダヤ人を追い出すロシア人の姿に、現実における、難民キャンプで暮らすパレスチナ人を追い出すユダヤ人の姿を、あるいは、アフガニスタンやイラクで現地の住民を威圧するアメリカ人の姿を重ね合わせることは、 21世紀初頭を生きる観客にとっては容易なことなのだ。
 断わっておくが、僕はここで、様々な国家や民族の争いの是非を問うつもりはない。言いたいのは、舞台作品として(例えば)ユダヤ人の悲劇を描くにあたっては、複合的な視点を導入しないと多くの観客を納得させられない時代になっている、ということだ。
 そういう発想で過去の作品を改訂してリヴァイヴァルさせたのが、 02年の『フラワー・ドラム・ソング FLOWER DRUM SONG』(初演 1958年)だったと思う。このリヴァイヴァルの脚本では、共産中国への批判の意識が顕著になっていると同時に、アメリカのあり方に対する疑念もきちんと提出されていた。興行的には失敗したものの、その改訂が“過去の名作”を現代にも通じる作品に仕立てていたことは間違いない。
 そうした根本的な改訂のない 04年版『屋根の上のヴァイオリン弾き』が、 90年版リヴァイヴァル同様、やはり古びて見えるのは、避けがたいことではある。通俗的な“家族のドラマ”を“民族のドラマ”という歴史の激流の中に置いてみせることで初演時(1964年 9月 22日オープン)には“深み”を得たのだと思うが、今日では逆に、その“民族のドラマ”を描く部分の歴史的視線が一面的であることが作品全体を“底の浅い”ものに見せているのだから。

 そうした舞台を、演出のデイヴィッド・ルヴォー David Leveaux は、装置(トム・パイ Tom Pye)や照明(ブライアン・マクデヴィット Brian MacDevitt)の妙で、なんとか現代にも通じるようにしようとしたとおぼしい。
 開演前から見えている幕のない舞台に与えられたイメージは、おそらく、村の広場にあつらえられた仮設の演芸場。
 舞台中央に、舞台上の舞台とでもいうような感じで、浮かぶ桟橋のような板張りの空間があり、そこに登場するための板張りの通路が、右端から舞台上手へ 1本、左奥からホリゾントに向かって 1本、延びている。その周りの一段低い部分には、枯葉が敷かれ、所々に木が植えられ、椅子が散在する。右に延びる通路の奥にまとまって並ぶ椅子には、観客に見える形でオーケストラが陣取る。天井からは、多くのランプが様々な高さで吊り下げられていて、いくつかは舞台を外れて前方客席の上にまで及んでいる。
 その演出意図は、虚構性の強調にあると思う。絶えず天上の神に向かって話しかける主人公テヴィエの言葉がそのまま観客へのナレーションになる、という巧妙な語り口を、この作品は持つのだが、その語り口と、村の演芸場的装置とをかけ合わせることで、テヴィエたちのドラマがあたかも村の芝居として演じられているかのような、演劇内演劇の雰囲気を作り、虚構性を強調して、舞台に現代的な空気を送り込もうとした。そう思える。
 そうすることで、“親ユダヤ”はともかく、“反ロシア”の感情を相対化しようとしたのではないか。後半、外部世界の圧力が村に侵入する場面で、ルヴォーは、舞台左側の壁を開いて強烈な照明を射し込ませる。これは、ユダヤ人たちを追い出すのは、単にロシアという特定の国の所業なのではなく、小さなコミュニティの存在を許さない方向に絶えず動いていく人間社会の歴史という抽象的なものなのだ、というルヴォーの主張ではなかったか。
 しかし、こうしたルヴォーの意図は必ずしも効を奏したとは言えない。前述したように、脚本の手直しなしには、この作品の“古さ”は救えないからだ。だからと言って、 90年版のようなオーソドックスな演出では、おそらく、博物館に収めた方がいいような舞台になっていたに違いない。もとより無理のあった題材を相手に、ルヴォーは、よく健闘したと言うべきだろう。

 瑣末的なことだが、面白かった照明のアイディアを 1つ。
 テヴィエが娘と対話する場面で、娘の返答に反応してテヴィエがいちいち独白するのだが、それが独白だと観客にわかるように、その時だけ全体の照明がやや落ち、吊るされているランプが点る。そのユーモラスな効果に笑いが起こり、対話の内容のシリアスさを和らげる。うまいと思った。

 ジョナサン・バタレル Jonathan Butterell の振付は、基本的にジェローム・ロビンズ Jerome Robbins のオリジナル振付を生かしたものだったが(楽曲のよさとあいまって、その素晴らしさは今も生きている)、幽霊がにぎやかに登場する「Tevye's Dream」のシーンは、より華やかになっていたようで、楽しかった。この場面、衣装(ヴィッキ・モーティマー Vicki Mortimer)や装置の色彩感の元は、シャガール Marc Chagall か。

 アルフレッド・モリーナ Alfred Molina、ランディ・グラフ Randy Graff(テヴィエの妻)を中心にした役者の力は確かで、全く安心して観ていられた。
 中で目立ったのは、仕立て屋役のジョン・キャリアーニ John Cariani。コメディ・リリーフ的役で、スラップスティックの匂いのする、わかりやすい演技をするので、観客には大受け。僕には少し演技過剰に見えたが、ごぞんじの通り、トニー賞にノミネートされた。

(6/5/2004)

Copyright ©2004 MIZUGUCHI‘Misoppa’Masahiro

[ゆけむり通信Vol.58 INDEX]


[HOME]