[ゆけむり通信Vol.49 & 50]

9/21 & 11/22/2002
『ヘアスプレイ HAIRSPRAY』

楽しく躍動的な骨太作

 初めは新手の『グリース GREASE』かと思った。
 時は 1962年。場所はアメリカの地方都市ボルティモア。主人公は高校生。開幕一番、そのヒロインが歌い出す楽曲は、ロネッツ(「Be My Baby」)もどきのティーンエイジ・ポップ風味。――と材料がそろえば、お気楽な懐古的シックスティーズ青春ミュージカル『グリース』を連想するのは自然だろう。
 でも、ただ 1つ違っていたのは、ヒロインは、ものすごく太っていたのです。
 そのヒロインがダンス好きだったことで彼女の周りの世界が少しだけ変わる、という意味では『フットルース FOOTLOOSE』にも似ているが、“世界”に切り込む角度の鋭さが違う。
 02-03年シーズンの最初にブロードウェイに登場した新作ミュージカル『ヘアスプレイ』は、楽しげな外観の(そして確かに楽しい)、その実、骨太な意欲作。終始ニコニコしながら観ることが出来て、感動もした。

 1962年、ボルティモアの若者たちは、 TV番組「コーニー・コリンズ・ショウ」に夢中。かなり“水平方向に大柄な”女の子トレイシーもその 1人。高校から帰ると、ちょっとトロい親友のペニーと一緒に自宅の TVセットにかじりつき、若い男女が最新の音楽に乗せてイカしたダンスを披露するのを食い入るように見つめる。トレイシーのお気に入りは、歌がうまくてカッコいいリンク。
 ある日、番組に出演している女の子の 1人がトラブルで降板。トレイシーは母親の反対を押し切って、新メンバーを決めるためのオーディションを受けに行く。リックに出会えて夢見心地のトレイシーだったが、番組のプロデューサーで、出演者中最もキュートなルックスの女の子アンバーの母親でもあるヴェルマから、にべもなく追い返される。
 でも、トレイシーはめげない。同じ高校の黒人の男の子シーウィードたちにヒップなダンスを教えてもらって TVのスタジオに乗り込み、司会者コリンズやリックに認められてレギュラーの座を勝ち取る。そして、月に 1度だけ黒人が番組に登場する“ニグロ・デイ”を毎日にしてほしいとオンエア中に発言、ヴェルマの反感を買う。リンクを狙うアンバーも、別の意味で心穏やかではない。
 ここからドラマは、トレイシー VS. アンバー&ヴェルマの様相を呈してくる。
 “大柄な”女の子向けファッションの店から PRに協力してほしいという依頼を受けたトレイシーは、個性的でありながら家庭の主婦であり続ける、やはり“大柄な”母エドナを口説き落とし、母娘一緒にモデルとして世に出る。そんなトレイシーの目立ちぶりが面白くないのが、女王様気質のアンバー。学校のドッジボールの授業でトレイシーをいたぶるが、これが逆効果。心配したリンクが、ペニーやシーウィードと一緒にエスコートを申し出る。
 4人はシーウィードの案内で、黒人街にある彼の母親の経営するレコード・ショップに向かう。そこで引きあわされたシーウィードの妹は、トレイシーの後にオーディションを受けにきて肌の色を理由に落とされた子だった。クールなブラック・ミュージックに満ちた、その店は、トレイシーにとっては夢のようなところ。思わず常連の黒人の子たちと一緒に踊りだす。そこにやって来るのが、アンバーとヴェルマ、エドナと夫のウィルバー。アンバー母娘は、“こんなところ”から早く出るようリンクを促すが、トレイシーに惹かれているリンクは残る。一方、トレイシーの両親はシーウィードの母と意気投合。
 そんな空気の中で、トレイシーは、番組ジャックを提案する。「毎日を“ニグロ・デイ”に」を実践しようというのだ。それを聞いて、ビビるリンク。全国でオンエア予定の「コーニー・コリンズ・ショウ」の特別版が控えていて、彼はそこでスターになるつもり。結局リンクは去り、トレイシーは落ち込む。
 ともあれ、トレイシーとエドナの先導で番組ジャックに向かう面々。しかし、騒ぎは大きくなり、警官隊が出動。スタジオにいたアンバー母娘を含めて、みんな逮捕されてしまう。
 アンバー母娘は、すぐにご赦免。他のみんなも、ウィルバーが保釈金を払って釈放されるが、トレイシーだけは囚われの身のままとなる。近々番組内で行なわれるミス・ヘアスプレイ・コンテストに彼女を出させないための、アンバー母娘の差し金だ。しかし、トレイシーへの愛を自覚したリンクが監獄に忍び込み、ヘアスプレイのガスとライターによる即席バーナーで鉄格子を焼き切って(!)、彼女を解放する。
 一旦シーウィード家のレコード・ショップに逃げ込んだトレイシーは、ミス・ヘアスプレイ・コンテスト当日の番組ジャックを改めて計画。今度は綿密な作戦を立てて乗り込むことになり……。

 最終的には絵に描いたようなハッピーエンドになるこの話、表面的には、高慢ちきな連中と自由を愛するヒロインたちが対立する『青い山脈』的(わかる?)青春ドラマ(ラヴ・ストーリー付き)のように見えるが、注意深く観ていると、トレイシーがオーディションに落ちた直後の 1シーンでガラッと様相が変わるのがわかる。
 子供っぽい黒人の女の子が期待に胸をふくらませた表情でオーディションを受けに来る。彼女に対して、あざけるような態度をとるヴェルマたち。強いショックを受ける女の子。
 その時に気がつく。太っていることも有色人種であることも、あるいはペニーのようにトロいことも、同様に“異形”だと排除する世界観がここに“ある”、ということに。
 キング牧師らによるワシントン大行進の前年、黒人の公民権がほぼ無視されていた時代が舞台であるにもかかわらず、そうした世界観を、“あった”ではなく“ある”と感じるのは、全米多発テロ以降ますます独善的になっていくブッシュ(2代目)の時代だということもあると思うが、黒人でなくても排除の対象になるという普遍性が、ドラマの中にあるからだろう。これについては、トレイシー母娘の話もさることながら、ところどころにさりげなく挿入されているペニーのエピソードが、実は効いている。
 そうした“異形”の者たちのドラマは、短命に終わった意欲作『サイド・ショウ SIDE SHOW』と同質の厳しさを持っていたりもするのだが、作品として、あくまで陽性の顔つきのエンターテインメントとして成り立っているところが『ヘアスプレイ』の見事なところ。
 “異形”の者たちがソング&ダンスの魅力で社会の表舞台に出ていくという設定は、ある種のバックステージものでもあり、だからこそミュージカルという表現にズバッとはまったのだろうが、重いテーマをシックスティーズ・ポップスの衣装をまとった軽々とした語り口で楽しげに見せた脚本(マーク・オドネル Mark O'Donnell、トーマス・ミーハン Thomas Meehan)と演出(ジャック・オブライエン Jack O'Brien)は大いに評価されるべき。『マ(ン)マ・ミーア! MAMMA MIA!』に似て、客席はノリのいい楽曲で大いに盛り上がるが、両者の熱狂の内実がまるで異なるのは言うまでもない。

 そのシックスティーズ風の楽曲(作曲・作詞・編曲マーク・シャイマン Marc Shaiman、作詞スコット・ウィットマン Scott Wittman)。前述の「Be My Baby」はじめ「Land of 1000 Dances」「Please Mister Postman」「Heatwave」「Sixteen Tons」等々の具体的なタイトルが浮かぶような形で、設定された時代のヒット曲を引用しつつ、それが単なる懐古的なまがいもので終わらないだけの現代性も備えているという、『グリース』とはひと味違った仕上がり。中に挟まっている、ヴォードヴィル調やゴスペル調のナンバーも味わい深く、音楽的な厚みを与えるアクセントになってもいる。
 振付(ジェリー・ミッチェルJerry Mitchell)は、若者たちの群舞には際立った斬新さはないものの、 TVのダンス・ショウのルーティンを超えた躍動感があり、楽しい。個人的には、前述のヴォードヴィル調のナンバーで踊るトレイシーの両親のオールド・ファッションドなダンスがよかった。
 60年代気分をわざとチープな作りで醸し出した装置(デイヴィッド・ロックウェル David Rockwell)もアイディアが詰まっている。ことに、背景や幕として使われる、上からズラッと下がった帯状の板が印象的。スタジオを表現するために上から出てくるマイクロフォンの群れも面白い。
 やはり 60年代気分を楽しく見せてくれる衣装担当は、第一人者、ウィリアム・アイヴィ・ロング William Ivey Long。

 出演者も、女性陣を中心に、多彩にして充実。
 あくまでも前向きで、しかも押しつけがましくない、地上に降りた E.T. ともいうべき“異形”の善人トレイシーを演じるのは、映画『アメリカン・ビューティ AMERICAN BEAUTY』で知られるメリッサ・ジャレット・ウィノカー Merissa Jaret Winokur ……なのだが、土曜マティネーのせいか、僕の観た回はケイティ・グレンフェル Katy Grenfell という代役。が、全く問題なし。魅力的に演じきっていた。
 ドラマ上の主人公はトレイシーだが、この舞台の支柱となる役者は、トレイシーの母エドナ役のハーヴェイ・フィアスタイン Harvey Fierstein。ゲイを主人公にした傑作プレイ『トーチ・ソング・トリロジー Torch Song Trilogy』を書き、演じた人として名高い(したがって、エドナの存在には同性愛者差別の意味も暗に込められていると思う)。『ラ・カージュ・オ・フォール LA CAGE AUX FOLLES』の脚本家でもある。派手な女装をした、まさに“異形”のキャラクターなのだが、その圧倒的な存在感で舞台全体を引き締める。悪声だが、歌にも味を感じさせるのは、さすが。
 その夫ウィルバー役は、ブロードウェイのヴェテラン、ディック・ラテッサ Dick Latessa。相変わらず、飄々とした演技で、渋くキメてくれる。前述したように、フィアスタインとのデュエット・シーンは見どころのひとつ。
 憎まれ役ヴェルマを演じるリンダ・ハート Linda Hart は、懐かしい人。 1988年、初めてのニューヨークで僕にブロードウェイ・ミュージカルの楽しさを教えてくれた『エニシング・ゴーズ ANYTHING GOES』(パティ・ルポン Patti LuPone 主演)に脇役で出て、軽快なステップで踊っていたのを観て以来。難しい役どころを、今回も変わらぬ軽快さでこなす。
 アンバーを小憎らしく演じるローラ・ベル・バンディ Laura Bell Bundy。地味ながらも重要な役ペニーを演じるケリー・バトラー Kerry Butler。共に豊富なキャリアにふさわしい達者さ。
 そのペニーの母役他を八面六臂の活躍で演じ分けて大いにウケるのが、ジャッキー・ホフマン Jackie Hoffman。
 そして、シーウィードの母に扮して強力な歌を聴かせ、フィアスタインと並んで舞台を支えるのが、メアリー・ボンド・デイヴィス Mary Bond Davis。最近では、『マリー・クリスティーン MARIE CHRISTINE』の囚人役が印象に残る人だ。

 『ヘアスプレイ』。今シーズン最初のブロードウェイ・ミュージカルにしてトニー賞の筆頭候補。観逃すべからず。
 観劇後、次回分のチケットを迷わず買っちゃいました(笑)。

(11/16/2002)


 というわけで早速 2度目の観劇となった『ヘアスプレイ』。細部にまで目が行って、またいっそう楽しめた。
 ことに、前回もちょっと触れたが、トレイシーの本筋を補うように脇でさりげなく進行していくトロい親友ペニーのエピソードが、観れば観るほどよく考えられていて、面白い。前回あえて書かなかったけれども、実はペニーはシーウィード(コリー・レイノルズ Corey Reynolds)と惹かれ合う。で、リンク(マシュー・モリスン Matthew Morrison)がトレイシーを救いに行く時、同時に、黒人嫌いの母親に監禁されたペニーをシーウィードが救いに行くシーンも並行して描かれる。このあたりから両カップルはほぼ同等に扱われ始め、おかしな脇役だったペニーは、最後にはゴージャスな娘に変身して、母親をも納得させてしまう。
 声高な主張など全くなしに、ただただ大好きなブラック・ミュージックと大好きになったシーウィードへの思いに身を任せることで、一貫して黒人を拒否していた母親の心を翻させるペニーは、もしかしたらトレイシー以上に過激な存在なのかも。
 誰も観てないところで(いつもクチャクチャやってる)ガムをビヨーンと引っぱってみたり、みんながノリノリのところで 1人ノリ遅れて踊ってみせたりするペニー役ケリー・バトラーの演技は、僕の中ではトニー賞もの。最後にキメて踊ってみせるのもカッコいい。

 ところで、今回は無事に、メリッサ・ジャレット・ウィノカー(この読み方でいいのでしょうか)のトレイシーを観ることが出来た。
 印象は前回の代役ケイティ・グレンフェルとほとんど同じだが、まあ、トレイシーのキャラクターはウィノカーが作ったのだろうから、それは当然と言えば当然。チャーミングでエネルギッシュ。魅力的だった。

 最後に 1つ訂正。
 装置のところで、「上からズラッと下がった帯状の板」と書いたが、実際には、枠組みに布を張ったものだった。だから、後ろから光を当てると透けて見えるわけですね。半透明の板かと思いましたが、違ってました。

(11/28/2002)

Copyright ©2002 MIZUGUCHI‘Misoppa’Masahiro

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