[ゆけむり通信Vol.47]

5/4/2002
『モダン・ミリー THOROUGHLY MODERN MILLIE』


“シャレ”に徹しきれず

 東宝が権利を買って大地真央主演で翻訳上演しそうな作品、それがブロードウェイ版『モダン・ミリー』だ。
 その根拠は――、 1). 主人公が若い女性であり、 2). 彼女がファッショナブルな衣装を何度か着替え、 3). 素敵な男性とのロマンティックな恋物語が基本にあり、 4). ノスタルジックな空気が漂う、 5). 明るいアメリカン・ミュージカル、――だからだ。そして、 6). 時代感覚が乏しいところも、東宝にピッタリかな、と。

 元はジュリー・アンドリューズ Julie Andrews 主演の同名映画(1967年)で、スタンリー・グリーン Stanley Green 著(村林典子訳)「ハリウッド・ミュージカル映画のすべて」(音楽之友社)によれば、映画の製作者ロス・ハンター Ross Hunter は、アンドリューズのブロードウェイ登場作となったロンドン産のノスタルジックなミュージカル『ボーイフレンド THE BOY FRIEND』(ブロードウェイ初演 1954年)の映画化権を買おうとしてかなわず(71年にケン・ラッセル Ken Russell 監督で映画化されたのはごぞんじの通り)、似た雰囲気のオリジナル作品を作ろうと思い立ったらしい。
 友人矢崎に調べてもらったら、この映画、日本でも 67年に公開されている。僕が小学 6年生の時だ。黒白の市松模様の 20年代ファッションに身を包んだジュリー・アンドリューズのポスターを見た記憶がある。が、『メリー・ポピンズ MARY POPPINS』(64年)や『サウンド・オブ・ミュージック THE SOUND OF MUSIC』(65年)とはまるで違う印象に、小学生のガキんちょは、なんだかよくわからん、と感じて、観に行きたいとすら思わなかったようだ。しかも、中学生の頃愛読していた「映画音楽」(青木啓・日野康一共著/誠文堂新光社)には、 [演出の歯切れが悪く、失敗作に終わった] などと書いてあった。
 そんなわけで、僕が映画『モダン・ミリー』を観るのはずっと後になる。きっかけは小林信彦著「われわれはなぜ映画館にいるのか」(再編されて、現在、ちくま文庫「映画を夢みて」)。中に、「ジョージ・ロイ・ヒルの不思議な世界」と題された評論があり(ちなみに、その次に載っているのが「MGMミュージカルから何を学ぶか?」)、そこでジョージ・ロイ・ヒル George Roy Hill 監督作品『モダン・ミリー』の面白さが詳しく語られている。いわく――、

 [これは「ウエスト・サイド物語」(六一)以後の、数少ないおもろいアメリカ・ミュージカル映画(「フラワー・ドラム・ソング」「ローマで起こった奇妙な出来事」など)の一本である。]
 [ジョージ・ロイ・ヒルは、ここで、六〇年代ミュージカルから失われた“たのしさ”を再現しようとけんめいになっている。]
 [サイレント映画のスポークン・タイトルの多用、超二枚目の登場、怪中国人といったサイレント映画趣味に、二〇年代風にアレンジした沢山の曲を入れて、狂乱のグッド・オールド・デイズを謳歌する。]
 [アカデミー賞(オリジナル音楽賞)を得た曲に乗って、田舎出のミリーともども、二〇年代のニューヨークを歩こうという楽しい映画で、こういうアソビ映画に乗れない人は不幸だと私は思う。]

 ――さらに細部のギャグなどについても書かれているのだが、まあとにかく、この文章を読んで以来、僕は『モダン・ミリー』を探し続け、何年か後にヴィデオソフトを見つけて、ようやく目の当たりにすることが出来た。それでどうだったかを改めて語るまでもないだろう。「映画音楽」の論評に反して、本国アメリカでは 60年代のミュージカル映画の中で 7番目の劇場配給収入を記録したらしいし(前出「ハリウッド・ミュージカル映画のすべて」)、公開当時 [日本での評価は、なにかアイマイだった] (前出評論、小林氏)というのがウソなくらいに、ヴィデオ時代以降は日本でもミュージカル・ファンの間で高い人気を得ている。僕も大好きだ。

 で、結論から言えば、舞台版『モダン・ミリー』は、映画版と比べると物足りない。“シャレ”の度合いが後退しているからだ。映画にあったロイド映画や『屋根の上のバイオリン弾き FIDDLER ON THE ROOF』などのパロディの削除は妥当な判断かもしれないが、そうした具体的な再現はともかく、むしろ、映画版の持っていた“シャレ”の感覚を舞台に生きる形で再生しきれていないところに物足りなさの原因がある。
 とりあえず、ストーリーを紹介しよう。大筋で映画版を踏襲している。

 1920年代のニューヨーク。好景気の波に乗って高層ビルが次々に建てられ、街全体がわき返っている。
 そんな大都会に、小さな田舎町からやって来たのがミリー。ヒップな都会娘に変身して玉の輿に乗るのが夢で、ねらいをつけた会社に潜り込むのに成功。まんまと素敵な上司グレイドン氏の秘書に収まるが、相手はなかなか“その気”になってくれない。一方に、ミリーを気に入ったらしい謎の若者ジミーがいて、なにかと近づいてくる。
 ところで、ミリーが暮らしているのは、地方出身の若い娘ばかりを相手にしている下宿ホテル。しかし、経営者の中国人ミアーズ夫人は隙を見ては宿泊している女の子を拉致、海外へ売り飛ばすべく、 2人の手下を使ってチャイナタウンへと運び去っていた。
 この、恋と誘拐の 2つの流れが、ミリーの新しいホテル友達ドロシー嬢を軸に 1つに合わさる。どう合わさるかと言うと――、ジミーがドロシー嬢の部屋から楽しそうに出てきたり、グレイドン氏がドロシー嬢にひと目で恋をしてしまったりと、本人の思惑は不明ながら恋敵的存在としてミリーの前に立ちはだかることになるドロシー嬢が、恋のゆくえも不明なままにミアーズ夫人一味に連れ去られる、――という具合。
 そして最後は、ドロシー嬢を救うために一致団結したグレイドン氏とジミーとミリーが、誘拐組織の根城に乗り込んでいく。はたして、その結末は?

 [サイレント映画趣味] の [アソビ映画] にふさわしい“バカバカしいほどに昔風の”恋と冒険の話。
 舞台版『モダン・ミリー』は、こうした話を盛り上げるべく随所にギャグを入れ込んではいるのだが、観客を否応なくノセていくリズムがなかなか生まれてこない。
 理由の 1つは、語り口に“シャレ”がないから。
 ストーリー上の謎が多い第 1幕(前記のストーリー紹介で言えば、ジミーがドロシー嬢の部屋から楽しそうに出てくるところまで)は特にテンポが悪い。各景ごとに人物紹介の印象が濃い、全体の流れが見えにくい構成で、ストーリーだけでは観客の意識がついていきにくいのだが、同様に謎の多い展開の映画の場合、スポークン・タイトル(サイレント映画の字幕)の使用や役者がカメラに問いかけるといった [アソビ] の演出がある。「ストーリー、今はよくわかんないかもしれないけど、そのうちわかるって」なんていうノリで話を進めるので、逆に楽しくなる。しかし、舞台版の演出はかなりオーソドックスで、筋運びのための大胆なアイディアがない。そのため、舞台上でいろいろやっている割には、観ている側に停滞感が残る。
 ここは、日本の無声映画で言うところの活弁のようなナレーターを置けとまでは言わないが、狂言回しとなる役者がいてもいいのではないか。『シティ・オブ・エンジェルズ CITY OF ANGELS』(89年)に出てきたようなラジオ番組のコーラス隊なんていう存在も面白いかもしれない。あるいは、ミリー自身をもっと狂言回し的に仕立てる、つまり積極的に観客に向かって話しかけさせる、という演出はどうか。ミリーが観客と一緒に謎を解き冒険していくという展開は、感情移入しやすく、わかりやすいだろう。とにかく、そういう観客と舞台とのつなぎ役を置けば、流れの見えにくい“バカバカしいほどに昔風の”話をテンポよく転がすことが出来たはずだ。
 第 1幕で提出された人物関係のもつれや謎がバタバタっと解けていく第 2幕は、一転して快調な展開になる。それだけに、第 1幕のもたつきは惜しい。
 もう 1つ、そうした語り口の問題と重なる部分もあると思うのだが、ノリを悪くしている原因として、演出(マイケル・メイヤー Michael Mayer)にコメディ感覚のズレがあるのではないか。随所に仕かけられたギャグのキレが、イマイチ悪いのだ。
 最もわかりやすい例で言えば(ここから先、ギャグのネタを割ります。映画も観てなくて、これから映画か舞台を観ようと思ってる人は要注意!)、エレヴェーターのギャグ。
 ミアーズ夫人のホテルのエレヴェーターが古くてなかなか動かないのだが、これが、(小林氏の前出評論の表現を借りれば)“なぜか”乗っている人間がチャールストン(タップ?)を踊ると動きだす。映画ではトボケた味でかなり笑えるこのギャグ、舞台ではそれほどの効果を生まない。と言うのは、その前にさんざん派手なダンス・シーンを見せられているので踊りだすことに新鮮味がなく、なおかつ、大きなエレヴェーターが何かあるだろうなと思わせる形でこれみよがしに設置されているので意外性に乏しく、しかも、踊りだすタイミングが笑いのツボにはまっていない。
 その他のギャグも、大がかりな仕かけ(装置デイヴィッド・ギャロ David Gallo)を使ったものが多いのだが、同時に大味。中国人たちのやりとりを電光掲示板で英語に翻訳してみせるギャグなど、第 1幕から第 2幕へとエスカレートするアイディアもあって、初回観劇ではけっこう笑えるが、ネタがわかった後で観直しても笑えるかどうか。
 ここでも、やはり“シャレ”が足りないと言うべきだろう。

 ――と、映画版の印象と比較しつつ苦言を呈してきたが、大人数による華やかなダンス・シーン、大がかりなセット、陽気な雰囲気と、ブロードウェイ・ミュージカルらしい豪華さとサーヴィス精神は備えていて、この舞台が一定の完成度に達していることは間違いない。例えば、同じく昔のニューヨークを舞台とする映画ミュージカルが元ネタの『フォーティセカンド・ストリート 42ND STREET』(01年リヴァイヴァル版)と観比べても、さほど遜色のない出来だとは言える。
 ただし、オープニングでミリーが多数のアンサンブルを従えて舞台狭しと踊るチャールストンは、その『フォーティセカンド・ストリート』のタップ・シーンの亜流に見えなくもない。概して、ダンス・シーンには独自性が乏しい(振付/ロブ・アシュフォード Rob Ashford)。
 そんな中で最もイキのいいショウ場面は、第 2幕開幕直後、ミリーを中心にしたタイピストたちによるオフィスでのダンス・ナンバー「Forget About the Boy」。ここから、グレイドン氏とドロシー嬢が互いにひと目惚れして歌う大時代的アリア「I'm Falling in Love with Someone」、ビルの窓の張り出しの上でミリーがジミーとロマンティックに踊る「I Turn the Corner」と続くあたりが、この舞台の最良の部分だ。

 楽曲は、プレイビルを見る限りでは、タイトル曲(ジェイムズ・ヴァン・ホイゼン James Van Heusen 作曲、サミー・カーン Sammy Cahn 作詞、アカデミー賞主題歌賞)と第 1幕終盤でミリーの歌う「Jimmy」(ジェイ・トンプソン Jay Thompson 曲詞)とが映画からのナンバーで、他のほとんどが、ジャナイン・テゾリ(とでも読むんでしょうか) Jeanine Tesori 曲、ディック・スキャンラン Dick Scanlan 詞によるもの(「Jimmy」の舞台用補作も)。ただし、前述の「I'm Falling in Love with Someone」は、ヴィクター・ハーバート Victor Herbert 曲、リタ・ジョンソン・ヤング Rita Johnson Young 詞。
 脚本は、作詞のディック・スキャンランと映画版を書いたリチャード・ヘンリー・モリス Richard Henry Morris。

 役者で目立つのは、やはりミリー役サットン・フォスター Sutton Foster。と言うより、スーツケースを抱えて単身ニューヨークに到着したミリー自身の歌から前述したアンサンブルを従えての大チャールストン大会へとつながるオープニングからして、ミリー役者の印象づけに終始しており(このあたりも、“シャレ”を中心に据えるべき作品の方向性と噛み合っていない)、この作品自体がフォスター売り出しのために作られた感すらある。それに応えるべくフォスターも熱演しているが、今ひとつ彼女に華を感じないのは僕だけか。
 別格のスター役で独自のショウ場面が第 1、 2幕共に用意されているのが、シェリル・リー・ラルフ Sheryl Lee Ralph。『ドリームガールズ DREAMGIRLS』(81年)の主役級オリジナル・キャストの 1人だった人らしい見せ場を作って、とっちらかりがちな舞台を引き締める役割を担っている。
 が、おいしいところをさらうのは、ミアーズ夫人役ハリエット・ハリス Harriet Harris と、その手下、チン・ホー役ケン・ルーン Ken Leung、バン・フー役フランシス・ジュー(ユー?) Francis Jue。ハリスは怪演と言うほかなく、トニー賞ノミネーションも当然か。手下役の中国系の男優 2人は、はっきり言ってステレオタイプな差別的描かれ方をしているのだが、 2人まとめての扱いではなくそれぞれに個性が与えられていて、登場場面も多い。そして、それにふさわしい活躍ぶりではある。彼ら目当てと思われる中国系の観客もけっこう見かけた。
 グレイドン氏役マーク・クディッシュ Marc Kudisch は、このところブロードウェイ・ミュージカルの主役級の常連。手堅く、風変わりな二枚目を演じている。
 ジミー役ギャヴィン・クリール Gavin Creel はブロードウェイ・デビュー。軽やかな芸風が好ましい。
 ドロシー嬢を演じるアンジェラ・クリスチャン Angela Christian は『ザ・デッド JAMES JOYCE'S THE DEAD』に出ていた人だが、そこではほとんどセリフもなかった。今回もおっとりした役柄でさほど目立たないが、前述のグレイドン氏とのデュオは聴かせる。

(6/3/2002)

Copyright ©2002 MIZUGUCHI‘Misoppa’Masahiro

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