[ゆけむり通信Vol.46]

3/21/2002
『成功の甘き香り SWEET SMELL OF SUCCESS』


テンポは快調、話は単調

 1957年製作の同名映画の舞台ミュージカル化。『成功の甘き香り』は、 50年代ビッグ・バンド風ジャズと社会派ドラマとを融合させて、骨太なミュージカルを作ろうとしたのだと思う。
 健闘はしている。装置・衣装(ボブ・クロウリー Bob Crowley)、照明(ナターシャ・カッツ Natasha Katz)は、舞台を陰影のくっきりしたクールな印象に仕上げてムードをよく出しているし、スムースな場面転換を含めて演出(ニコラス・ハイトナー Nicholas Hytner)は小気味いい。職人マーヴィン・ハムリッシュ Marvin Hamlisch 作曲の楽曲(クレイグ・カーネリア Craig Carnelia 作詞)は、『コーラスライン A CHORUS LINE』を直接的に思い起こさせる部分もあったりはするが、中途半端だった前作『グッバイ・ガール THE GOODBYE GIRL』に比べると、ひと味違うシャープさがある。そして、これがブロードウェイ・デビューだというクリストファ・ホィールダン Christopher Wheeldon の、バレエ畑出身らしいキレのいい振付は、ことにアンサンブルの動きに迫力を与えて強い印象を残す。
 しかし、面白い舞台にはならなかった。
 問題は、話が平板で単調に感じられるところにある。

 ストーリーはこうだ。

 1952年、ニューヨーク。
 大きな影響力を持つ新聞コラムニスト、 J・J・ハンセッカー。誰もが彼に取り入ろうとするが、とりわけプレス・エージェント(芸能関係の宣伝係)連中は、彼に認められるかどうかが職業上の生死を分かつので、ネタの売り込みも必死。しかし、ほとんどが相手にされない。シドニーもそんな 1人。
 ところがシドニーは、ダウンタウンのクラブで J・J と偶然出会い、気に入られて成功へのきっかけをつかむ。同時に、それは、破滅への一歩でもあったのだが。
 J・J がクラブに現れたのは、妹スーザンを探してのことだった。スーザンを溺愛する J・J は、彼女を常に自分の庇護の下に置いておかずにはいられない。しかし、スーザンは、若いピアノ弾きダラスと愛し合っていた。先のクラブにいたのも、そこで演奏していたダラスと会うためだった。
 スーザンとの仲を知りつつ、そのダラスを、シドニーは J・J に売り込む。 J・J の力で注目の的となり、大いに売れるダラス。ところが、 J・J が、ダラスとスーザンのこと、そしてシドニーが 2人の関係を知っていたことに気づく。
 怒った J・J は、 2人を別れさせるようシドニーに迫る。シドニーは、ダラスがマリワナ所持容疑で逮捕されるように仕組み、 J・J の商売敵のコラムニストに事件を記事にしてもらう。しかも、記事にするのと引き換えに、シドニーはコラムニストに自分の恋人をひと晩提供する。
 スーザンとダラスを呼び、表向きは励まして味方のふりをする J・J だったが、意外にもスーザンは、 J・J から独立するべきだと主張するダラスと別れると宣言。実はスーザンは、今回の事件の裏に J・J の意思が働いていることを察知し、これ以上ダラスがひどい目に遭うのを避けようと考えていた。ところが、 J・J は、スーザンの思惑をはるかに超えて執拗だった。シドニーに、ダラス殺害を命じたのだ。
 さすがに抵抗するものの、成功への甘い香りに抗いきれずに、悪徳警官を買収してダラスを殺させるシドニー。しかし、自分の恋人や、スーザンによって、その罪を暴かれる。そして最後は、すべての責任をシドニーに負わせようとする J・J によって、ダラスと同じように抹殺されてしまうのだった。

 この内容、大手資本ではなく独立プロダクションの製作だが、まあ、準ハリウッド産と呼んでいい 50年代半ばのアメリカ映画としてはかなりショッキングだっただろう、ということは想像出来る(そのせいか、公開時は興行的には失敗したらしい)。なおかつ、ロケを多用した黒白映像の中に写し込まれたバート・ランカスター Burt Lancaster やトニー・カーティス Tony Curtis らの演じるドラマが、今でも見応えがあるのも事実。
 ではあるのだが、半世紀が経ち、道義なき泥沼の敗北戦や現職大統領の盗聴事件等々を目の当たりにしてきたアメリカにあっては(そして、政治家のみならず社会のあらゆるレヴェルで自分の立場を利用して利権をむさぼることが日常的であることが白日の下にさらされた日本に住む者にとっては)、ストーリー上、驚くべき要素はほとんどない。それでも映画に見るべきものがあるのは、時代の空気と役者の演技をカメラによって瞬間的に封じ込めた“映画の美”がそこにあるからだ。
 しかし、客席も含めて“今その瞬間”の空気がそこにある舞台では、半世紀前の映画ではサスペンスフルだったストーリーも、現代の感覚に否応なくさらされて、陳腐さを露呈してしまう。スタッフが、そのことに気づかなかったはずはないと思うのだが。おそらく、ビッグ・バンド風ジャズとキレのいい群舞、陰影のくっきりした装置と照明、テンポのいい展開で、黒白で撮られたシャープな映画のムードを舞台的に再現すれば、ストーリーの弱さを補えると考えたのではないか。
 しかし、映画のムードを再現しようとすればするほどストーリーは素のまま立ち現れる、という結果に終わった。

 質は高いのに、どうにも面白くならない舞台を観ながら、僕は客席で考えた。こうすれば面白くなるんじゃないか、と。
 J・J をネイサン・レイン Nathan Lane が、シドニーをマシュー・ブロデリック Matthew Broderick が演じたらどうだろう。いっそ、スーザンとダラスも、キャディ・ハフマン Cady Huffman、ロジャー・バート Roger Bart という配役にしたら。おわかりだと思うが、全員『プロデューサーズ THE PRODUCERS』のオリジナル・キャストだ。そして、もちろんコメディ仕立て。楽曲もより楽しげに、振付も派手にする。神経症的なネイサン・レインがギャグを連発しながら、優柔不断なマシュー・ブロデリックを引きずり回して、観客が爆笑の渦に巻き込まれる内に、物語は残酷な結末へとなだれ込む。
 おかしくて怖いと思いますが、どうです?
 早い話、ミュージカルのソング&ダンスって、ストーリーの説明になってちゃつまらないのだ。歌や踊りが表面的な物語と交錯して表現が重層的になるところにこそ、ミュージカルの面白さがある、そう思う。

 実際に J・J を演じているのは、映画でも有名なジョン・リスゴウ John Lithgow。さすがの存在感で舞台に格を与える。が、歌は、その存在感で補っている感じ。
 シドニーは、『タイタニック TITANIC』で注目を浴びたブライアン・ダーシー・ジェイムズ Brian d'Arcy James。文字通りの熱演で舞台を引っ張る。歌も演技もうまい。
 スーザン=ケリー・オハラ Kelli O'Hara は繊細だが芯の強い役にぴったり。
 ダラス=ジャック・ノーズワーシー Jack Noseworthy はスター性を秘めた独立心の強い若者を演じて印象的。
 そして、ステイシー・ローガン Stacey Logan。『クレイジー・フォー・ユー CRAZY FOR YOU』のオリジナル・パッツィにして『美女と野獣 BEAUTY AND THE BEAST』のオリジナル・バベット(つまり、素敵なダンサーってこと)。今回は、シドニーの悲しい恋人リタ役(イメージはシリアスなパッツィ)で、出番は多くはないが、いい味を出している。

(4/29/2002)

Copyright ©2002 MIZUGUCHI‘Misoppa’Masahiro

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