[ゆけむり通信Vol.46]

3/23/2002
『オクラホマ! OKLAHOMA!』


よみがえらぬ古典

 いくぶん陽気になっている気はした。
 同じプロダクション(製作/キャメロン・マッキントッシュ Cameron Mackintosh、ロイヤル・ナショナル・シアター Royal National Theatre)による 99年のロンドン版と比べて、の話だ。
 ヒロインのローリー(ジョゼフィーナ・ガブリエール Josefina Gabrielle)と“悪役”ジャド(シュラー・ヘンズリー Shuler Hensley)はロンドン版からの横滑りではあるものの、大半のキャストが、作品の舞台であり生まれ故郷でもあるアメリカの人間になっているのが大きい。
 ことに、ジャドとローリーを争うカーリー(『フル・モンティ THE FULL MONTY』のパトリック・ウィルスン Patrick Wilson)や二枚目半のウィル(ジャスティン・ボーン Justin Bohon)といった牧童役はより開放的になり、その結果、ロンドン版に感じられた収まり返った行儀のよさ(=立派さ)みたいなものが薄らいでいた。キャストの要(かなめ)となるローリーの叔母を演じたのが、軽妙に動ける達者なコメディエンヌ、アンドレア・マーティン Andrea Martin だったことも見逃せない。
 おかげで、スーザン・ストロマン Susan Stroman 振付のダンス・シーンが、よりいきいきして見えたのは事実だ。

 しかし、今回のブロードウェイ版に対する僕の感想は、本質的にロンドン版を観た時と変わらない。要約すると、「見た目は立派だが、内在する排他的なイデオロギーに違和感を覚える」、ということだ(詳細はロンドン版の観劇記をお読みください)。
 まあ、前述した製作、振付だけでなく、演出(トレヴァー・ナン Trevor Nunn)、装置・衣装(アンソニー・ワード Anthony Ward)、照明(デイヴィッド・ハーシー David Hersey)などの主要スタッフがロンドン版と同じ、その仕事ぶりも全く変化していないのであれば、それは当然のことではある。

 まあ、そんなわけで、ロンドン版を観た時点での、 [故郷ニューヨークでは、物語を支える心情が、今は受け入れられないだろう] という僕の推測など無視して、キャメロン・マッキントッシュは、『回転木馬 CAROUSEL』同様、ロンドン版をそのままニューヨークに持ってきたのだが(笑)、しかし、この作品、予定していた翌シーズンにはブロードウェイ入りを果たせなかった。それが、 3年の後、同時多発テロを経て一部に急激なナショナリズムの高揚が見られるという状況の母国に上陸することになったのは、ねらいなのか、偶然なのか。
 ともあれ、この、内輪でない者に対して“不寛容”なドラマを持ったミュージカルが今のアメリカでどう受け取られるか、は興味の 1つではあった。しかし、(あくまでも“内輪でない者”の見解だが)必ずしも国威発揚という方向には観客は動かなかったように思う。
 むしろ人々は、ドラマ以前の問題として、楽曲の悠然としたテンポに古臭さを感じていたのではないか。いや、他人のことを推測で語るのはよそう。少なくとも僕の耳には、古典の似合うロンドンでならともかく、生き馬の目を抜くニューヨークで聴くと、ロジャース&ハマースタイン Richard Rogers & Oscar Hammerstein U の楽曲は“のんびりさ”加減が際立ち、初演からの 60年という時の流れを否応なく感じてしまった。

 最後に。
 ロンドン版の観劇記でも書いたことだが、この舞台の完成度は高い。ことに、ダンス・シーンは観て損はしない。
 時代と関わりのないリヴァイヴァルの好きな東宝なら(『回転木馬 CAROUSEL』同様)翻訳上演を考えるのかもしれない。
 そういう作品だ。

(4/12/2002)

Copyright ©2002 MIZUGUCHI‘Misoppa’ Masahiro

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