[ゆけむり通信Vol.37]

1/1/2000
『ミネリ・オン・ミネリ MINNELLI ON MINNELLI』


愛すべき父と超えがたき母と

 とにもかくにも、この公演を観ようと渡米予定を 3日も早めて元旦に飛び、客が少なかったせいで直行便のキャンセルに遭ったりしながらも無事にニューヨークに到着したわけだが、ホントのところそれほど大きな期待を抱いていたわけではないのは、こちらにも書いた通り。それが証拠に、買っておいた席は、最高額の $125ではなく、 3段階の真ん中($75)。
 ンなわけで、メチャクチャがっかりしたというほどでもないけど、残念ながらショウの出来は、心配した主役の調子だけでなく、演出面でも、けっして満足出来るものではなかった。

 主演ライザ・ミネリ Liza Minnelli の状態は、『マイ・フェイヴァリット・ブロードウェイ MY FAVORITE BROADWAY』の時よりは確かによかった。しかし、それは、前回はほとんど出ていないに等しかった歌声が少しは出るようになった、という意味で。最高を 5とすれば、 2が 3になった程度だ。
 不健康に太ったライザの身体はキレが悪く、思うように踊ることは出来ず、話し声は絶えずゼーゼーとこすれるような音を伴い苦しそうで、聴いているこちらが心配になるほどだった。

 そして、演出(フレッド・エブ Fred Ebb)。
 今回のショウのタイトル、『ミネリ・オン・ミネリ』とは、ライザ・ミネリ Liza Minnelli が父ヴィンセント・ミネリ Vincente Minnelli の監督作品のナンバーを歌い踊るという意味。となれば、ライザの出来はともかく、ヴィンセント・ミネリ作品をどう料理するのかという興味も当然ある。

 ご存知の通り、ヴィンセント・ミネリ監督は、全盛期の MGMミュージカルを支えた大プロデューサー、アーサー・フリード Arthur Freed の主要スタッフとして活躍した人で(それ以前は舞台の仕事をしていた)、監督したミュージカル映画には、スタンリー・グリーン Stanley Green の「ハリウッド・ミュージカル映画のすべて HOLLYWOOD MUSICALS Year By Year」(村林典子訳、音楽之友社)に載っているだけでも次の 13作品がある(はアーサー・フリード製作)。

 『キャビン・イン・ザ・スカイ CABIN IN THE SKY』(43年)
 『若草の頃 MEET ME IN ST. LOUIS』(44年)
 『ジーグフェルド・フォリーズ ZIEGFELD FOLLIES』(46年)
 『雲流るるはてに TILL THE CLOUDS ROLL BY』(46年)
 『踊る海賊 THE PIRATES』(48年)
 『パリのアメリカ人 AN AMERICAN IN PARIS』(51年)
 『ラヴリー・トゥ・ルック・アット LOVELY TO LOOK AT』(52年)
 『バンド・ワゴン THE BAND WAGON』(53年)
 『ブリガドゥーン BRIGADOON』(54年)
 『キスメット KISMET』(55年)
 『恋の手ほどき GIGI』(58年)
 『ベルズ・アー・リンギング BELLS ARE RINGING』(60年)
 (以上 MGM)
 『晴れた日に永遠が見える ON A CLEAR DAY YOU CAN SEE FOREVER』(70年)。
 (パラマウント)

 ミネリ監督のミュージカル映画は、前掲書でのスタンリー・グリーンの記述によると 16本あるらしいから、これに、 MGMの『アイ・ドゥード・イット I DOOD IT』(43年)と『ヨランダと盗賊 YOLANDA AND THE THIEF』(45年)の 2本を加えると、残るは 1本。それがおそらく、『雲流るるはてに』(ジュディ・ガーランド Judy Garland 出演場面のみ演出)や『ラヴリー・トゥ・ルック・アット』(ファッション・ショウ場面のみ演出)同様一部だけを演出し、しかもクレジットされなかった『ブロードウェイ BABES ON BROADWAY』(41年)ということになるのだろう。でも、そうすると、グリーンの [4作品以外は MGMのアーサー・フリードがプロデュースしている] という発言と矛盾するのだが……、ま、いいや。

 こうした作品群の中から今回のショウで採り上げられたのは――、
 第 1幕=『キャビン・イン・ザ・スカイ』『ジーグフェルド・フォリーズ』『若草の頃』『バンド・ワゴン』
 第 2幕=『パリのアメリカ人』『キスメット』『恋の手ほどき』『晴れた日に永遠が見える』
 (これに、意外にも第 1幕冒頭に『THE CLOCK』という非ミュージカル映画のナンバーが加えられていたのだが、その謎については後述)
 この選択は、ハリウッド映画監督デビュー作の『キャビン・イン・ザ・スカイ』以下、出来やヒットの度合いから言って、まず順当なものだろう(選ばれなかった『踊る海賊』の「Be a Clown」や『ベルズ・アー・リンギング』の「Just in Time」などの有名曲は、確か第 2幕冒頭のコーラスによるメドレーで歌われていた)。

 ところが、こうしてわざわざ映画を絞り込んだにもかかわらず、登場するナンバーのほとんどが、ショウ場面としてのさしたる工夫もなく、ただ歌われるだけなのだ。
 もちろん、舞台にはライザ 1人が現れるわけではなく、 6人の“ライザ・ボーイズ”とでも呼ぶべきソング&ダンス・マンたちがいて、ライザをサポートして様々な趣向で登場する。が、どのナンバーの演出も、映画の名場面の再現でもなければ、ミレニアムらしい(笑)新たな切り口で臨んだものでもない、凡庸な仕上がり。
 例えば、『バンド・ワゴン』の名場面の 1つで、フレッド・アステア Fred Astaire とジャック・ブキャナン Jack Buchanan がデュオで歌い踊る「I Guess I'll Have to Change My Plan」を、ライザはボーイズの 1人とデュオで歌うが、振りらしい振りはほとんどなく、舞台奥から 2人並んで体を揺らしながら前に進んでくるだけ。オリジナルのあの優美さを再現しろとは言わないが、間違いなく見どころの 1つにすることの出来るナンバーだったはずだから、なにがしかのアイディアがほしかったところだ。
 まあ、それも、ライザがあの状態では仕方がないかもしれない。主役が動けないのでは振付も限られてくるのも当然だろう。

 しかし、だ。セットの工夫は出来たはずだ。
 ホリゾントの壁部分を縦に 4つに区切るように 3枚の細い帯状の鏡が等間隔に並び、やはり鏡で出来た可動式の角柱が 2本、そして、吊り下げ式の大きなパネルが何種類か。パネルには人物の写真や映画公開当時のポスターなどの他、ミネリ監督の映画そのものもダイジェストで映し出される場面もある。
 と、まあ、ほとんど驚きとは無縁のセット。なにより、豪華さ、贅沢さが感じられない。

 唯一(特筆すべきはこのシーンしかない)、このショウのねらいから言ってこれしかないというアイディアを盛り込んだナンバーが、第 2幕の大詰めに登場する。
 第 1幕後半に置かれていた『若草の頃』のシークエンスが、実は『晴れた日に永遠が見える』の後にもう 1度現れる(アメリカでのこの映画の認知度は非常に高い。大ヒット作だったのだ)。その最後に、映画中で最もヒットした「The Trolley Song」を、ライザがボーイズを率いて歌うのだが、歌い出すと同時に、下りていたパネルに、映画中で歌っているジュディ・ガーランドが映し出される。
 演奏は生オーケストラ、歌っているのはライザ・ミネリ、映し出されているのはガーランド、そして音楽は、ガーランドの姿(口の動き)に完璧にシンクロしている!
 さらに! 極めつけの演出が用意されている。歌の終盤になって、突然、音楽が映画のサウンドトラックに切り替わるのだ。 1943年 12月 2日に録音された、ガーランドの歌、 MGMスタジオ・オーケストラの演奏に。それが数秒間。そして再び生演奏とライザ&ボーイズの歌に一瞬にして戻る。

 この後、このショウは、ライザによって歌われる、ジョン・カンダー John Kander とフレッド・エブのコンビが書き下ろした「I Thank You」というナンバーで幕を閉じるのだが、クライマックスはと言えば、結局、あのガーランドの声に切り替わった数秒間だったということになる。
 愛すべき父へのリスペクトを込めたショウが、終わってみれば超えがたい魅力を持った母の素晴らしさを再確認させる結果になっている――本人が不調だったことも含めて、ライザの、なんとも皮肉で複雑な境遇が図らずも浮き彫りになった、そんなショウだった。
 にもかかわらず、多くの観客はライザを受け入れる。アメリカの芸能を愛する人々にとって、母ジュディ・ガーランドと二重写しになって、ライザは、愛すべきショウビジネスの象徴なのだと思う。
 ボロボロになって亡くなった母が生きた以上の歳月を、すでに生きてきたライザが今何を思うかなんて、僕には想像もつかないが、彼女が健康な歌声を取り戻すことだけは心から祈りたい。

 最後に、『THE CLOCK』のことだが、これ、ジュディ・ガーランドが初めて出演した非ミュージカル映画として知られている。未見だが、とにかく彼女は全く歌わないという。そこからの楽曲がこのショウで使われたということなのだが、プレイビルに挟み込まれたクレジットに書かれている楽曲作者の名前と、映画のクレジットにある音楽担当者の名前とが違っていることも含めて、いろいろ調べてみますので、ちょっと宿題ということにしてください。

(1/21/2000)

Copyright ©2000 Masahiro‘Misoppa’ Mizuguchi

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