[ゆけむり通信Vol.37]

1/2/2000
『キス・ミー・ケイト KISS ME, KATE』


上質だがスリルなし

 コール・ポーター Cole Porter 最大のヒット作(1070回)『キス・ミー・ケイト』は名曲が多く、初演(1948年)のオリジナル・キャスト・アルバムは愛聴した。もちろん、その舞台は観ていないが、今ではボブ・フォッシー Bob Fosse 絡み(映画初振付シーンを自演している)で語られることの多い、ダンス場面の充実した MGMでの映画版は楽しく観た。
 だから今回のリヴァイヴァルに期待していたかというと、そうでもない。時代とズレる部分が出てくるのではないかと思っていたからだ。そして、その危惧は半ば的中した。
 ――と、ここまでを読んで観るのを止める人がいるかもしれないのでつけ加えておきますと、けっして観てがっかりするような舞台ではない。半世紀以上前の名作のリヴァイヴァルとしては上出来と言っていい。
 ただ、コール・ポーターのミュージカル・コメディにしてはやや立派すぎてスリルがなかった、というお話をこれから――。

 話の内容は、こうだ。

 1948年 6月、ボルティモアのフォード劇場に、シェイクスピアの『じゃじゃ馬ならし THE TAMING OF THE SHREW』を演じるカンパニーがやって来る。その中心役者は、“じゃじゃ馬”カタリーナを演じるスター女優のリリーと、その元夫で、カタリーナをならすペトルーキオを演じるワンマン座長のフレッド。
 別れても実は惹かれ合っているこの 2人が、舞台の上同様、舞台裏でも丁々発止の恋の主導権争いを行なう、というのがメイン・ストーリー。
 これに、カタリーナの妹ビアンカを演じるロイスと、ビアンカの恋人ルーセンショーを演じる、ロイスの恋人でギャンブル好きのビルという若いカップルや、ビルの借金の取り立てに来て間違えてフレッドにつきまとうギャング 2人組、リリーの婚約者の軍人などが絡んで、もつれた糸がさらにもつれ……。
 ――という展開は、同じコール・ポーターの 14年前の傑作『エニシング・ゴーズ ANYTHING GOES』に似てないか? 最後は全て丸く収まって大団円、というのも同じ。

 ともあれ、(劇中の)舞台上のみならず舞台裏にまで、『じゃじゃ馬ならし』的勘違いと男女の策謀が横溢するコメディで、ひたすら軽く、明るい。
 この作品の魅力は、そうした、ある種喧噪的なドタバタ世界を、コール・ポーターの洒脱で優美な楽曲が彩り、ちょっぴり毒を含んだロマンティックな気分で染め上げていくところにある。
 だから、むずかしいのだと思う。そのバランス感覚と言うか距離感と言うか。
 冒頭に書いた、 [時代とズレる部分が出てくるのではないか] という危惧は、まさにこの部分についてで、ブロードウェイ初演の1948年という年には、まだぎりぎり、“喧噪”と“優美”とが溶け合うシャレた古き佳き世界が、舞台と客席の間に成り立っていたと思うのだ。
 しかし、ロジャース&ハマースタイン Richard Rogers & Oscar Hammerstein K の活動は 5年前に始まっており、ミュージカルの世界は新たな潮流に乗って、この頃から急速に現実度を増していくことになる。同時に観客の感覚も変わっていく。
 そうした時代の流れの中で、 40年代後半という時期がちょうど過渡期だったことを示す次のようなエピソードが、アラン・ジェイ・ラーナー Alan Jay Lerner 「ミュージカル物語」に載っている。
 『キス・ミー・ケイト』の製作過程で、脚本を書いたスピーワック夫妻 Sam & Bella Spewack が [作詞作曲にはコール・ポーターを推薦した] ところ、 [コールはだいぶ前から時代遅れと見なされており(時代は変わっていた)]、 [製作者の側からは反対の声も上がった] というのだ(ちなみに、ポーターの最後のブロードウェイ・ミュージカル『絹の靴下 SILK STOCKINGS』の開幕は 55年)。

 さて、今回の舞台だが、半世紀を経てのリヴァイヴァルであるにもかかわらず、正攻法で作られている。正攻法というのは、初演当時リアルタイムであった 1948年という時代設定を、例えばノスタルジックに彩るでもなく、あるいは現代に移し替えるでもなく、そのままストレートに描いている、ということだ。
 象徴的なのが、冒頭に歌われる「Another Op'nin' Another Show」。
 このナンバーは、作品の舞台となるおかしなバックステージ世界を観客に紹介する意味も持ったショウビズ讃歌だが、その演出がリアル。初演の録音を聴くと、序曲の後で、いかにも「これからお芝居が始まります」というくっきりした調子で歌われ、作品世界へのワープ感が強いが、ここでは、序曲がないまま、装置を準備中のスタッフが静かに歌い始め、それを劇場にやって来た役者が思い入れたっぷりに歌い継いでいく。その後、演奏は序曲的な登場ナンバーのメドレーに変わってダンスが始まり――、とショウ的に盛り上がりはするが、導入の描写は写実的。ことさら「半世紀前のボルティモアへようこそ」でもなければ、「おかしな世界の始まり始まり」でもない。あえて言えば、「今も昔も変わらないバックステージのお話でございます」という感じ。
 この辺、最近のリヴァイヴァルの例で言えば、冒頭からフィクション中のフィクションというスタイルを強調した『アニーよ銃をとれ! ANNIE GET YOUR GUN』と対照的。
 その理由は、おそらく、楽曲がいい上に脚本もしっかり出来ているから、作品世界の印象を特にひねらなくても、各場面をきっちり作っていけば古びたものにはならない、と判断したからだろう。加えて、バックステージの世界そのものが時代の変化ほどには変わっていない、ということもある。
 結果、正攻法の作りで、現代の観客を充分沸かせている。その限りでは、コール・ポーター・ミュージカルの再生に成功しているように見える。

 その背景にはキャストの健闘もある。
 ことに、『キス・ミー・ケイト』の楽曲は、ポーター作品の中でも優美さの勝ったものが多く、時にオペレッタ的でもあり、純粋に歌唱の技術としても高度なものを要求されることを考えれば、歌で実力を発揮する主演の 2人、リリー役マリン・マッズィー Marin Mazzie とフレッド役ブライアン・ストークス・ミッチェル Brian Stokes Mitchell の貢献度はかなり高い。このカップルを中心に、粒ぞろいのキャスト陣が力のこもった歌と踊りで充実した舞台を作り出している。

 だが一方で、コメディ・リリーフのギャング役 2人(リー・ウィルコフ Lee Wilkof とマイケル・マルヘレン Michael Mulheren はそろってトニー賞ノミネート)や、リリーの婚約者ハウエル将軍役(ロン・ホールゲイト Ron Holgate)などは、彼ら自身の演技は悪くないにもかかわらず、否応なく時代がかった存在に見えてしまう。
 なぜなら、半世紀前も今も様子の変わらぬバックステージの演劇関係者たちと違って、現代の感覚からすると、黒ずくめのトボケたギャングや芝居がかった将軍(演技がマッカーサーのパロディになっている……のだが、「I shall return.」なんて、若い世代のアメリカ人にわかるのか?)など、まるでリアルではないからだ。
 登場人物の、この微妙なバランスの崩れが、今回のリヴァイヴァルが内包する時代とのズレを露呈させる。“喧噪”と“優美”とが必ずしもうまく溶け合ってはいないのだ。
 もっとも、それは小さなズレにすぎない。すぎないのだが、ミュージカル・コメディの中で、もっぱらコメディ部分を担うはずの人物たちがズレてしまうと、なんだかピリッとしないのも事実で、僕には、舞台全体が“懐かしの名作”という気分で包まれているように見えて、スリルがなかった。
 ないものねだりであることを承知で言えば、立派な再演よりも、時代設定を現代に移し替えて再生させた冒険的『キス・ミー・ケイト』が観たかった、というのが正直なところ。

 演出/マイケル・ブレイクモア Michael Blakemore。
 振付のキャスリーン・マーシャル Kathleen Marshall は、若い男優 3人が献身的に踊る「Tom, Dick or Harry」など各所で力を発揮するが、最大のダンス・ナンバー「Too Darn Hot」のキレが悪かったのは、演出プランのミスか。

 こちらにも書いたが、『シカゴ CHICAGO』他でシャープなダンサーとして印象の強かったマイケル・ベイレイーズ Michael Berresse が準主役のビル役でクレジットされているのだが、代役が立って観られなかったのが残念。
 彼を観るためにもう 1度チケットを買うかどうか、迷うところ。

(5/30/2000)

Copyright ©2000 Masahiro‘Misoppa’ Mizuguchi

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