[ゆけむり通信Vol.36]

11/20/1999
『プッティング・イット・トゥゲザー PUTTING IT TOGETHER』


役者はそろった! が…

 スティーヴン・ソンダイム Stephen Sondheim の楽曲によるミュージカル・レヴュー『プッティング・イット・トゥゲザー』がニューヨークに初めて登場したのは 93年のことだが、この時はマンハッタン・シアター・クラブという小さな劇場での限定公演で、しかもキャストの 1人がニューヨークの舞台に久々に立つジュリー・アンドリューズ Julie Andrews だったため、チケットはすぐにソールドアウト。結局その舞台は観ることが出来なかった。
 しかし、それほど話題の作品であったにもかかわらず、どういう訳か、際だった賛辞は聞こえてこなかった。
 そんなわけで、必ずしも成功した訳じゃなかったのかなあ、と僕などは思っていた、その『プッティング・イット・トゥゲザー』が、今度はブロードウェイの劇場へと鞍替えして、ニューヨークに戻ってきた。
 観たのは正式オープン前日。ほぼ完成した舞台と見ていいだろう。

 結論から言えば、今回の舞台、 5人(しか登場しない)の役者はすべてトニー賞にノミネートされてもおかしくないほどの演技(歌や踊りを含めて)を見せる。そういう意味では見事なのだが、不思議なことに作品そのものは、複雑なニュアンスを持つと言われるソンダイムの楽曲を集めたにしては、深みの足りない中途半端な印象のものだった。
 そう言えば、と、観終わってから思い出したのが、やはりソンダイムの楽曲を集めた 77年(ブロードウェイ・オープン)のショウ『サイド・バイ・サイド・バイ・ソンダイム SIDE BY SIDE BY SONDHEIM』についての、大平和登氏の評だった。「ブロードウェイ」(作品社)に収められたその評の中で大平氏は、ソンダイムの経歴を紹介しながら、特に作詞と共に作曲も手がけるようになってからの彼の革新性を充分に評価した上で、最後に、そのショウについてこう感想を述べていた。

 [彼のミュージカル観からして、こんなに独立して歌だけきかされたのでは、歌の良さや面白さがさっぱりきわだたず、歌う人たちの軽い動きだけでは、全く歌にそぐわないのである。(中略)彼の音楽はやはり作品の中で聴くべきだと痛感したのであった。] (太字部分は原文では傍点付き)。

 この舞台は、コンサート形式のものだったようで、 [第一部十八曲、第二部十三曲を、女性歌手二人、男性歌手一人、それにナレーターを付して歌われるのである] と同書にはある。
 『プッティング・イット・トゥゲザー』は、それに比べれば、多少は芝居の要素が入っている。
 役柄は、中年の夫婦、若い男女、それにオブザーヴァーと名乗る男。このオブザーヴァーが、先の舞台のナレーターと役割として重なるのかもしれないが、その他の 4人は名前こそないものの、こちらの舞台では固有のキャラクターを与えられている。その 4人の男女が、とあるカクテル・パーティで出会い、恋の鞘当てめいた関係に陥る。
 そうした状況設定がある分、こちらの舞台もコンサート的要素があるとは言え、具体的なドラマが見えてくる。……ということなのだが、やはり物足りない。特にソンダイムの場合、先の発言で大平氏が指摘している通り、よりドラマと密接に結びついた楽曲作りを標榜してきただけに、こうした、悪く言えば“とってつけたような”設定の中で歌われると、その歌唱自体が素晴らしくても(実際素晴らしいのだが)、どこかしらわざとらしさが感じられてしまうのだ。
 これならいっそ、オリジナルのドラマ部分をダイジェストした上で楽曲を聴かせるコンサート形式にした方が、まだしもだったのではないだろうか。

 もちろん、観客を惹きつけるための工夫は様々に凝らされていて、例えば、オブザーヴァーが意外な登場の仕方をして驚かせ、そのまま楽屋落ち的語りで観客の緊張を解く導入部など、(これから観る方のために具体的なことは明かさないが)うまいものだ。このオブザーヴァーは狂言回しとして大活躍で、登場人物の紹介をしたり、各シーンのタイトル――“The Revenge”だとか“Desperation”だとか――をタイミングよく告げたりして、話をテンポよく運んでいく。
 セットの使い方も面白い。舞台背後にそびえるセットは、パースの狂ったアパートメント内部の立体模型のようであり、その中に小さな部屋がいくつか作り込まれているのだが、てっきり雰囲気作りのオブジェだと思っていると、意外にも、それらの部屋に役者が実際に現れる。まさか、こんな上の方のこんな小さな部屋には――というような部屋にまで現れて、まあなんと言うか、楽しい。また、そうした演出は、登場人物の孤独感を表現しているという見方も出来なくはない。
 そのセット全体に映し出されるスライドも、単なる気分の醸成というのではなく、ドラマの状況に応じて無数のクエスチョンマークが現れたりするなど、それ自体がジョークになっていて、視覚的にも意味的にも舞台に変化を与える。
 ……のではあるが、そうしたアイディアの数々も、結局は脚本(と言うか構成と言うか)の線の細さを補うため、ということに気づいてしまう。

 何度も言うように、役者は素晴らしい。おそらく、プロデューサー、キャメロン・マッキントッシュ Cameron Mackintosh は、この充実したキャストの力でなんとか押し切ろうと考えたのだろう。

 初演のジュリー・アンドリューズに代わる今回のスターは、アンドリューズと 2人して今年のトニー賞のステージに登場したキャロル・バーネット Carol Burnett。日本人には馴染みが薄いが、アメリカでは長い間自身の TVショウを持っていたこともあり、認知度はかなり高い(TVショウの内容は僕らも、ヴィデオで出ている、シリーズ終了後に作られたスペシャル版から伺い知ることが出来る)。もしかしたらイギリス人であるアンドリューズより有名なのかもしれない、とも思う。
 ブロードウェイ・デビューは 59年。それが最近、大地真央絡みで日本でも話題の『ワンス・アポン・ア・マットレス ONCE UPON A MATTRESS』だったわけだ。 96-97年のリヴァイヴァル版に主演したサラ・ジェシカ・パーカー Sarah Jessica Parker が、バーネットと比べられて不当に低い評価を受けてしまうほど、その舞台の彼女は鮮烈だったらしい。
 僕が生でバーネットを観たのは 3年前の 6月。『クレイジー・フォー・ユー CRAZY FOR YOU』の脚本家ケン・ラドウィグ Ken Ludwig の書いた、ミュージカルではないコメディ、『バッファローの月 MOON OVER BUFFALO』の舞台でだが、劇中、直立したまま卒倒してみせる彼女の、そのぶっ倒れぶりの見事さにシビレた。
 つまりキャロル・バーネットとは、優れたミュージカル女優でもあり、優れたコメディエンヌでもあり……という、アメリカ人好みの成熟したエンターテイナーなのだ。
 この舞台でも、彼女はその魅力を存分に発揮して、倦怠期を迎えた既婚の女性を、苦く、そしてユーモラスに演じている。
 白眉は、『カンパニー COMPANY』の、同作品中でも印象的なナンバー 2曲。「The Ladies Who Lunch」と「Not Getting Married Today」。哀しみと皮肉なおかしさが交錯するスローな前者、神経症的な早口で機関銃のように歌われる後者、対照的なタイプの 2曲を、貫禄たっぷりに歌いきる。オリジナル作品のイメージにこだわる人は、バーネットの歌いっぷりが陽性に過ぎると言うかもしれないが、それは役者の責任ではない。この舞台構成で、このキャスティングをしたのであれば、バーネットの歌唱はベストの出来と言っていい。

 その他の出演者は、夫役がジョージ・ハーン George Hearn、若い女性がルーシー・ヘンシャル Ruthie Henshall、若い男性がジョン・バロウマン John Barrowman、そしてオブザーヴァー役がブロンスン・ピンチョウ Bronson Pinchot。
 いずれ劣らぬ個性と実力で、前述したようにトニー賞ノミネーション級の演技(しつこいが、歌や踊りを含めて)を見せるが、バーネットのギャグの反射神経に拮抗する輝きを放っていたのは、僕の目には、ヘンシャルのダンサーとしての身体のキレだと映った。

 この作品、観るんなら、この 5人が出ている内に。フルプライス払ってでも、彼らの芸は観る価値があります。

(12/13/1999)

Copyright ©1999 Masahiro‘Misoppa’ Mizuguchi

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