[ゆけむり通信Vol.34]

5/8/1999
『君はいい人、チャーリー・ブラウン
YOU'RE A GOOD MAN, CHARLIE BROWN』


やはり野に置け……

 客を子供に絞り、上演スケジュールを週の後半に集中させて生き残りを図った『君はいい人、チャーリー・ブラウン』。今回 9泊で 16本という効率のいい観劇が出来た理由の 1つが、この作品に土曜日の朝の公演があったことだ。
 しかし、いいことがあれば悪いこともあるもので、僕の観た 5月 8日土曜日午前 11時からの公演は、チャーリー・ブラウン役が、開幕前に話題になったアンソニー・ラップ Anthony Rapp(『レント RENT』のオリジナル・キャスト)ではなく、代役のドーン・マッケンジー Doan Mackenzie だった。けれども、捨てる神がいれば拾う神もいるもので(笑)、この作品、チャーリー・ブラウンにはあまり見せ場がない。

 ま、それはともかく、芳しい批評が得られず、チケット・セールスも苦戦中の『君はいい人、チャーリー・ブラウン』だが、けっしてヒドい作品ではない。楽曲も悪くないし、場面場面は楽しめる。
 ただし、規模の小さなこの作品、最高額 75ドルを払ってブロードウェイの劇場で観る価値があるかというと、首を傾げる人が多いだろう。
 今回のリヴァイヴァルにあたって、プロデューサーは、 67年のオリジナル上演(作曲・作詞・脚本/クラーク・ゲスナー Clark Gesner)同様、オフのこぢんまりした劇場でオープンするか、あるいはブロードウェイにふさわしい“なんらかの豪華さ”を加えるか――それで当たるという保証はもちろんないが――とりあえずはスタート地点で、そのどちらかの道を選ぶべきだった。
 しかし、器と中身とにズレがあるというマイナス要素を半額チケットで穴埋めすれば、一見の価値充分にあり。ただし、“今のキャストなら”という条件付き。
 それじゃあ、さっき言った「チャーリー・ブラウンにはあまり見せ場がない」ってのと矛盾するじゃないか、と思われるかもしれないが大丈夫。ショウをさらうのは、スヌーピーとサリーだから。

 チャーリー・ブラウンを主人公とするコミック・シリーズ「ピーナッツ」のことを知らない人はいないって前提で話を進めると――。
 ストーリーは、映画版のような大きな流れがあるわけではなく、印象としては TVのシリーズに近い。いくつものエピソードを積み重ねて、最後にちょっとジンとさせて締める。
 おわかりだと思うが、そのエピソードの部分が、ちょっぴり哲学風味を効かせた原作 4コマ漫画をふくらませた、歌入りのスケッチになっている。そういう意味で言うと、この作品のスタイルはレヴューに近い。
 登場するキャラクターはチャーリー・ブラウンの他に、我の強い女の子ルーシー(イレイナ・ルヴァイン Ilana Levine)、その弟で理屈っぽいライナス(B・D・ウォング B.D.Wong)、ルーシーが結婚を夢見るピアニスト少年シュローダー(スタンリー・ウェイン・マティス Stanley Wayne Mathis)、チャーリー・ブラウンの妹サリー(クリスティン・チェナウェス Kristin Chenoweth)、そしてスヌーピー(ロジャー・バート Roger Bart)。

 最初の盛り上がりは、第 1幕も終盤になって訪れる。サリーが自分の妄想にスヌーピーを巻き込んで 2人でウサギ狩りに熱中するスラップスティックなイメージのナンバー「Rabbit Chasing」。チェナウェスとバートが、それまでの、面白くはあっても、どちらかと言えばのんびりしすぎた雰囲気を一気に覆して、動きで舞台を活気づける。
 そして、第 2幕。スヌーピーの空中戦(このセットがちゃちだった)で幕を開けた後のナンバー「My New Philosophy」(作曲・作詞/アンドリュー・リッパ Andrew Lippa)。サリーがシュローダーを相手に(と言うか、彼は合いの手を入れるだけで、実質的にはサリーのソロ)、そのエキセントリックなキャラクターを全開にして歌うのだが、これでチェナウェスがショウストッパーになる(この楽曲、今回のリヴァイヴァル用の新曲だが、チェナウェスのために当て書きされたのではないだろうか)。
 [ウブな小娘が野望をむき出しにしてエキセントリックに変貌していく姿を印象的に演じたクリスティン・ケノウェス Kristin Chenowethは、鮮やかなブロードウェイ・デビュー] と書いたのは、 97年 5月 29日の『スティール・ピア STEEL PIER』の観劇記(姓の読み方が違ってますが。笑)。このブロードウェイ 2作目にして、彼女はスターの座に手をかけたと思う。実は彼女、帰国前日に観た楽曲作者アダム・ゲーテル Adam Guettel のコンサートにも登場。大半が劇場関係者とミュージカル好きのニューヨーカーと思われる客席から送られた盛大な拍手が、それを証明しているように見えた。
 そしてフィナーレ前。今度はスヌーピーがショウを止める。食事の喜びをゴージャスに歌い上げる「Suppertime」。おそらくこのナンバーは、オリジナル上演の時にもハイライトだったのではないかと思われるが、ロジャー・バートが、『トライアンフ・オブ・ラヴ TRIUMPH OF LOVE』でも見せた軽快な動きと、愛嬌たっぷりの表情で、大いに盛り上げる。

 と、まあ、チェナウェスとバートが際立つ舞台だが、他のメンバーも好演。役者に関してはポイントが高い。
 では何が問題なのかと言えば、演出と装置の質が劇場の規模に合っていないこと。
 作品世界を生かすために、意図的にほのぼのとした学芸会的な演出を行ない、装置も原作のチャールズ・M・シュルツ Charles M.Schulz の絵をそのまま拡大して 2次元的なまま使っているのだが、ブロードウェイの大きな劇場では、そのねらいが生きない。そして、観客は物足りなく思う。
 ここで、例えば 95年リヴァイヴァルの『努力しないで出世する方法 HOW TO SUCCEED IN BUSINESS WITHOUT REALLY TRYING』のような CG 技術を駆使して 3次元的にコミック世界を表現する、なんていう方法もあったと思う。それはそれで楽しそうだ。が、やはり、この作品の手触りはオフの舞台に合っているんじゃないか。ブロードウェイ劇場街周辺のオフ・ブロードウェイの劇場で上演していれば、興行的にもまた違った反応があったと思う。

 想像だが、この作品のプロデューサーは、 2匹目の『レント』をねらったんじゃないだろうか。若い世代にアピールする少しばかり哲学的な内容。個性的な登場人物たち。いきいきした楽曲。これに主役でアンソニー・ラップを持ってくれば、『レント』を支えたファン層をつかめるのではないか――そう考えたんじゃないか。
 だからブロードウェイの劇場(直前にかかっていたのが『ノイズ/ファンク NOISE/FUNK』)でオープンしてもセットに金をかけなくてもいい、と考えたんじゃないか。
 しかし、いかんせん、この作品は 60年代のリヴァイヴァルであり、『レント』『ノイズ/ファンク』のような野心的な新しいイメージは持ち得なかった。
 今回の公演の苦戦は、そうした誤算が生み出したのではないかという気がしてならない。

 ところで、この作品を上演している劇場の周りには、他のブロードウェイ・ミュージカルの大型ポスターが掲示されているのだが、これが面白い。
 左の写真は、その中の 1つ、『レント』のものだが、ようく観てほしい。中央に写っているマーク役の役者が着ている黄色いTシャツ。チャーリー・ブラウンのシャツと同じ柄なのがわかるだろうか。
 実はこれ、正規のポスターの上に、サイズを合わせて手作りしたTシャツの絵柄を貼り付けてあるのだ。
 この他にも、『ラグタイム RAGTIME』(自由の女神が黄色いTシャツを着ている)『ミス・サイゴン MISS SAIGON』(ホー・チ・ミン像が黄色いTシャツを着ている)『スモーキー・ジョーズ・カフェ SMOKEY JOE'S CAFE』(出演者 2人が黄色いTシャツを着ている)『キャバレー CABARET』(のぞき窓からチャーリー・ブラウンが覗いている)の特別ヴァージョン・ポスターがある。
 お近くまでおいでの際には、ぜひお見逃しなく。
 なお、夏休みは、また上演スケジュールが変わるようなので、ご注意を。

(5/30/1999)

Copyright ©1999 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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