[ゆけむり通信Vol.34]

5/5/1999
『サヴィオン・グローヴァー・ダウンタウン
SAVION GLOVER DOWNTOWN』


タップのチャーリー・パーカーか

 昨年の 5月から 6月にかけて行なわれた限定公演を観られなかった『サヴィオン・グローヴァー・ダウンタウン』『ノイズ/ファンク NOISE/FUNK』が終わった後だっただけに、その再演はうれしかった。

 サブ・タイトルが、“ライヴ・コミュニケイション”。
 内容をひと言で言えば、タップのジャム・セッション。ドラムス(パーカッション)、ベース、キーボード、サックス/フルート、という編成のバンドと、タップ・ダンサー(レギュラー 4人、プラス、不定期のゲストが何人か)とが、伴奏者と踊り手という関係ではなく、共演パフォーマーとして一緒に音楽とダンスを紡ぎ出す。そういう舞台だ(案内役のようにして、詩人も 1人登場する)。
 だから、スタイルとしては限りなくジャズに近い。それもビ・バップに、と僕は思った。

 ビ・バップとは――ビッグ・バンドで毎夜ダンスの伴奏ばかりやってることに飽き足らないジャズ・ミュージシャンが、仕事の後で小さなクラブに三々五々集まって、自分たちの楽しみ(あるいは腕試し)のために自由な演奏をやったのが始まりのコンボ・セッションで、短いテーマとコード進行だけが決まっていて、後はひたすらアドリブの応酬、というのが特徴的なスタイル。
 少人数のバンドとのアドリブ主体のセッションという点と同時に、観客よりも自分たちのためという気分が濃厚なところも、この『サヴィオン・グローヴァー・ダウンタウン』は、ビ・バップを連想させる。
 そのせいか、このショウの牽引役であるサヴィオン・グローヴァー Savion Glover(演出・振付)の姿が、ひたすら自身のアドリブを追求することで周りのミュージシャン連中をビ・バップの渦に巻き込んでいった孤高の天才サックス奏者チャーリー・パーカー Charlie Parker とダブって見えた。

 実は、こうしたことを強く意識したのは翌日の夜、 2度目の『フォッシー FOSSE』を観た時で、「ああそうか、サヴィオンがパーカーで、フォッシーがエリントンなんだ」と思ったのだ。
 デューク・エリントン Duke Ellington はご存知の通りビッグ・バンドのリーダーとして長くジャズ世界に君臨した人だが、その音楽スタイルを象徴する彼自身の有名な言葉が、「バンドが私の楽器だ」というもの。腕利きのミュージシャンを集めて存分に力を発揮させつつ、最終的には自分の思い描くサウンドを作り上げる、というのがエリントンのやり方だった。
 高度な技術を持つダンサーたちの肉体を使って、フォッシー・スタイルとしか言いようのないパーソナルな色合いの濃いダンス・ナンバーを作り上げたボブ・フォッシー Bob Fosse の発想と、よく似ていると思いませんか。

 こうした、規模は違うが振付家の個性が際立つダンス・ショウを続けて観て思ったのは、これからの振付家は引き出しの数だけでは勝負出来ないな、ということだ。なにか、ダンス・ナンバーを通して振付家その人の生き方が問われるような、そんな時代が来ているような気がしてならない。スーザン・ストロマン Susan Stroman の苦戦はその反映だと思うのだが、ま、この話はまた別の機会に。

 ところで、この『サヴィオン・グローヴァー・ダウンタウン』によく似たスタイルの、小さなバンドとタップ・ダンサーによるショウを、何年か前にアッパーイーストの小さなクラブで観たことがある。そこで中心になっていたのがジミー・スライド Jimmy Slide。ブロードウェイ・ショウ『ブラック・アンド・ブルー BLACK AND BLUE』にも出てきたヴェテラン・ダンサーで、『ノイズ/ファンク』でも主役ダンサーが鏡の前で踊りながら彼の名前を口にする。
 その小さなクラブで観たスライドのショウは週 1回のスケジュールで行なわれていたようだが、こうした仲間内が集まるようなショウは、おそらく伝統的に昔からあるんじゃないか。そして、スライドと人脈がつながるグローヴァーたちもその種のショウに参加したことがある可能性は高いだろう。
 そんなビ・バップ発祥時のようなアフターアワーズ的な色彩の強いタップ・ショウを、グローヴァーは、小さいながらも劇場という異空間に登場させた。その意図はいったい何だったのか。
 もちろん根底に、『ノイズ/ファンク』を当てた勢いのある今なら、こうしたラフな構成のショウでも成り立つだろう、という興行的な読みがあったのは間違いない。それに基づいて、グローヴァーはこう考えたんじゃないか。――これまでは内輪のような限られた客を相手に、どちらかと言えば趣味のようにやっていたショウだが、劇場の舞台に載せることで次のステップへの実験の場にすることが出来るんじゃないか。それが同時に、自分たちのを活動資金を集める場にもなるなら、一石二鳥だ。――そんなしたたかな意図を、僕はこの舞台から感じた。そして、グローヴァーの視線が、ひたすら自分たちブラック・エンタテインメント・コミュニティの内側に向かっていることも。

 自分たちの過去と現在を総括してみせた『ノイズ/ファンク』の次。その足がかりを、グローヴァーはこのショウでつかんだのだろうか。
 別に大がかりでなくていい。地に足の付いた、それでいて全く新しいコンセプトのショウを観せてほしい。期待は限りなく大きい。

(7/12/1999)

Copyright ©1999 Masahiro‘Misoppa’ Mizuguchi

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