[ゆけむり通信Vol.34]

5/11/1999
『イット・エイント・ナッシン・バット・ザ・ブルーズ
IT AIN'T NOTHIN' BUT THE BLUES』


お勉強ショウ

 42丁目にある子供向け演目専用のニュー・ヴィクトリー劇場で 3月下旬から 2週間の限定公演を行なった『イット・エイント・ナッシン・バット・ザ・ブルーズ』は、全公演ソールドアウトの好評を受けて、 4月 22日プレヴュー開始、 24日オープンというスケジュールでリンカーン・センターでのロングラン公演に移った。そういう経緯があっただけに、それなりの期待もあったのだが、残念ながらハズレだった。
 同じように歌ばかりで構成されたショウに『スモーキー・ジョーズ・カフェ SMOKEY JOE'S CAFE』があるが、それほど高いレヴェルにあるわけではないその作品と比べても、かなり見劣りのする舞台だった。

 ブルーズの歴史を教えてあげよう、というのが、この作品のコンセプト。
 大きな流れは黒人のブルーズ。まずアフリカ、奴隷としてアメリカ南部へ、そこから流れて北の都市部へ、という黒人たちの地理的移動と共に変遷していくブルーズのスタイルを並べてみせる。
 それに、傍流の白人系カントリー・ブルーズが挟み込まれる。

 女性 3人、男性 4人、内 1人ずつ白人。計 7人の歌手が、デュエットやトリオもあるが、基本的にはソロで、時代を追って代表的ブルーズ曲を歌い継いでいく。ただそれだけの単純な構成。
 7人の歌手は全員で登場し、時折踊ったりもするが、基本的には歌う時以外は自分に与えられたイスに座っている。ただ、サウンド的に、第 1幕のアコースティックに対して第 2幕はアンプリファイドなので、後半の舞台には左後方にバンドが陣取りはするが。

 セットも極めてシンプル。
 円形舞台の奥、左右に、やや歪んだ方形の大きなパネルが吊され、その手前に、凹んだ緩い弧を描く形でイスが 7つ。内 3つは、少し後ろに作られた低い壇の上に置かれている。これだけ。
 変化するのは、パネルに投影されるプロジェクターの画像と照明のみ。

 以上のような条件から想像がつくかと思うが、全体の印象は“国立ブルーズ博物館”(なるものがあったとして)における啓蒙ショウといったところ。羅列的で単調、盛り上がりに欠ける。
 なによりがっかりするのは、歌にグルーヴが感じられないことだ。もちろん、歌い手や楽曲によって、いくらかの差はあるが、全体にノリが悪い。歌中心のショウであるにもかかわらず、だ。
 演出が意図したと思われる歌手同士のコミュニティ感も生まれてこない。

 おそらく歌手は、歌う動機がつかめていないんじゃないだろうか。
 『ノイズ/ファンク BRING IN 'DA NOISE, BRING IN 'DA FUNK』が同じように、アフリカから始まる自分たちの芸能のルーツをたどって見事に現代に生きる出演者自身のアイデンティティに結びつけてみせたのに比べて、この『イット・エイント・ナッシン・バット・ザ・ブルーズ』は“お勉強”の色合いが濃い。浮かび上がってくる“ブルーズ観”は、「虐げられた黒人(と貧しい白人)の魂の発露」といった紋切り型のものでしかなく、これでは出演者も、歌を自分に引きつける動機のつかみようがない。
 観客の側から言えば、これならホンモノのブルーズ歌手のライヴを観た方がいい、ということになる。

 ブルーズの歴史をたどるのがねらいとは言え、単なるコンサートではなく、わざわざ舞台パフォーマンスにするからには、やはりなにがしかの興味深い切り口がほしかった。
 いや、それ以前に、単なるコンサートとしても、選曲が無難すぎて面白味に欠けるというところがあった。これで喜ぶのは、ブルーズのことなんてほとんど知らない、ある年齢以上の白人客だけだろう。

 この作品がトニー賞の候補になったのは、ソールドアウトの限定公演(チケット代が安かった!)からロングランに移る時期がちょうどノミネーションの時期と重なり、その頃他の作品の多くが苦戦していたからだと思われる。そのタイミングが少しでもズレていたら、少なくとも作品賞、脚本賞からはハズされていたはずだ。
 トニー賞後に最初に閉まるのは、『君はいい人、チャーリー・ブラウン』ではなく、この作品だ。そう僕は予想する。

(6/4/1999)

Copyright ©1999 Masahiro‘Misoppa’ Mizuguchi

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