[ゆけむり通信Vol.34]

5/12/1999
『南北戦争 THE CIVIL WAR』


凡庸な大作

 『ジキル&ハイド JEKYLL & HYDE』で“オペラもどき”ならぬ“『オペラ座の怪人 THE PHANTOM OF THE OPERA』もどき”、『スカーレット・ピンパーネル THE SCARLET PIMPERNEL』で“オペレッタもどき”と、ここまでイギリス風味で攻めてきた作曲者フランク・ワイルドホーン Frank Wildhorn は、ブロードウェイ 3作目にして、初めて“アメリカの音楽”を提出してみせた。しかし、アレンジはともかく、楽曲はみんな、どこかで聴いたようなオリジナリティの乏しいものばかり。
 加えて、脚本(ワイルドホーン、グレゴリー・ボイド Gregory Boyd、ジャック・マーフィ Jack Murphy)が平凡。と言うのも、それを支える歴史観が薄っぺらだからで、舞台から見えてくるのは、自分の書いた曲を聴かせたいという作曲者のエゴだけだ。
 そうした凡庸な素材を、それなりに観られるものに仕上げた演出のジェリー・ザックス Jerry Zaks の手腕には、頭が下がった。

 南北戦争は、日本が明治になるより少し前の出来事。それにもかかわらず、「この前の戦争」と言うと南北戦争のことを指すと言われるぐらい、アメリカ人の心には深く刻まれてきた事件らしい。リンカーンが尊敬する大統領の 2番目だかに挙げられるのも、そういうことと関係があるのだろうし、おそらく学校でもしっかりと教え込まれるのに違いない。
 その南北戦争を時の経過を追って絵巻物的に見せていくミュージカル『南北戦争』からは、例えば聖書物語同様、必ずアメリカ人大衆に受け入れられるはずだ、という製作サイドの読みがうかがえる。

 だから、あえて突っ込んだ描き方をしなかったということもあるのだろう。
 登場人物に名前は付いているものの、それは、ある集団の中の類型的な誰かにすぎない。したがって、細切れに挿入されるエピソードも類型的。ああ、そういうことってあるよね、という観客の想像力を超えない。
 例えば――、南軍北軍に分かれて戦うことになる友人、戦場に赴いた夫と家で待つ妻、娼婦を引き連れて戦地でひと稼ぎする男、等々。そして――、南北に分かれた友人の一方はもう 1人の腕の中で死に、妻の元には夫の訃報が届き、ポン引き男は裁きを受けるように殺される。何という意外性のなさ。
 こうした白人たちの話の一方で、黒人たちの苦悩と希望が描かれるのだが、これがまた紋切り型。軸になるのは、奴隷市場で引き裂かれるように別々に売られた夫婦が再びめぐり会うという話だが、途中に何も物語がないので、ご都合主義にしか見えない。妻が仲間と決行した農地からの集団脱走がうまくいって(!)北を目指す途中で、自由の身になった夫とめぐり会うなんて! 面白かったのは、黒人の指導者の 1人が希望を抱いてリンカーンに会いに行き、帰りに「政治家め!」と罵るところぐらい。
 とにかく、あらゆる話がドラマとしての体を成していない。

 それを、とにもかくにも 1つにまとめあげたのが、プロジェクション(ウェンドール・K・ハリントン Wendall K.Harrington)と照明(ポール・ギャロ Paul Gallo)を効果的に使った演出。
 ことに、装置にかけなかった分の金をこちらに回したのだろうと思われるプロジェクションが、舞台のイメージを大きく広げていた。舞台奥に映し出されていた星条旗が左右にズレていくと、それぞれ南軍と北軍の旗になり、その前に兵士たちが整列するといった動的な使い方から、限りなく広がる空や鬱蒼とした森の映像で状況や気分を表現するという静的な使い方まで、様々な手法を駆使して貧弱なドラマ世界を支えた。
 照明は戦闘シーンで力を発揮。 3か所ほどのスポットライトの中で、兵士たちが、絵画的構図での静止とアクションを断続的に繰り返すという戦闘に描き方は、音楽や効果音(銃声等)とのタイミングもよく計算されていて、うまい。しかも、何度かある戦闘ごとに違う趣向を凝らしてあって、飽きさせない。これには、いわゆる殺陣(デイヴィッド・リオング David Leong)も貢献している。

 さて、そして音楽だ。
 ここには、大まかに言って 3種類の音楽が出てくる。 1つは相変わらずのオペラ的なもので、これは“アメリカの音楽”とはあまり関係がない。“アメリカの音楽”は残る 2つ。カントリー・ロックとゴスペル。
 ゴスペルはともかく、フォーク的なギター弾き語りからバンド演奏まで含めて、カントリー・ロック(と言ってしまうが)のサウンドは、今のブロードウェイ・ミュージカルにはないもので、なかなか新鮮だった。これは、ミュージカル・ディレクター(ジェフ・ラムズ Jeff Lams)の功績だと思うが、そこには、作曲者ワイルドホーンの嗅覚も働いている気がしてならない。 3作目の“売り”として、そのぐらいのことを考えてもおかしくはない。
 ただし、楽曲そのものは、初めに書いたように、オリジナリティに乏しい。悪いが、こちらは CRT(カントリー・ロッキン・トラスト)のサポーターだ。ゴスペルも古いものまでそれなりに聴いてきている。新鮮味がない、どころか、借り物感さえ漂っている気がした。ことにゴスペル的楽曲は怪しい。
 そのゴスペル的なやつがいちばん盛り上がる、というあたりに、この作品の限界が見える。

 どういう訳かワイルドホーン作品には金を出す人がいるようで、それでワイルドホーン本人は勘違いしているのかもしれないが、最も成功した『ジキル&ハイド』にしたところで、実は一流のミュージカルとは言いがたい。
 同じように人間的な深みの感じられないアンドリュー・ロイド・ウェバー Andrew Lloyd Webber が、曲がりなりにも一流になったのは、それまで誰も作らなかったような作品を手がけて成功してきたからだ。しかし、ワイルドホーン作品には、そうした新しさはない。
 彼が自分の才能を生かそうと思うのなら、優れた脚本家、作詞家と組むことが必要なのではないだろうか。『ジキル&ハイド』でレズリー・ブリカッス Leslie Bricusse と組んだように。

(6/5/1999)

Copyright ©1999 Masahiro‘Misoppa’ Mizuguchi

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