[ゆけむり通信Vol.34]

5/5/1999
『アニーよ銃をとれ! ANNIE GET YOUR GUN』


スターを観よう

 リヴァイヴァル『アニーよ銃をとれ!』を、頭の固い評論家連中がエセル・マーマン Ethel Merman 版(初演 1946年、再演 1966年)を引き合いに出してクサしてるらしいが、ホメるしか能のない日本のミュージカル評論家(!)とは別の意味で、困ったものだと思う。決定的名演は名演でその思い出は大事に胸の奥にしまって、新たな舞台の別な魅力に素直に反応すればいいじゃない。
 バーナデット・ピータース Bernadette Peters 版は、彼女のミュージカル女優としての素晴らしさと、グラシエラ・ダニエル Graciela Daniele のアイディアの詰まった演出とが見事に噛み合って、とても楽しめる舞台に仕上がっていた。

 19世紀末。山出しの娘アニー・オークリーは、抜群の射撃の腕を買われて、バッファロー・ビル率いるワイルド・ウェスト・ショウへの参加を乞われる。幼い弟妹を養うにはもってこいの申し出。おまけにアニーは、一座の射撃の名手フランク・バトラーにひと目惚れしていた。
 旅公演を続けるうちにフランクもアニーに惹かれるようになるが、アニーをスターにしたいバッファロー・ビルたちの思惑に自尊心を傷つけられ、ライヴァルのポーニー・ビルのショウに去っていく。
 アニーたちは心機一転、ヨーロッパ公演に出て大好評を得るが、手にしたのは名誉の勲章ばかりで経済的には行き詰まる。尾羽打ち枯らして帰国の途につく彼らだが、そこに、マディソン・スクエア・ガーデンで大成功を収めているという噂のポーニー・ビルから、合同公演を打たないかという願ってもない打診がある。
 ところが、ニューヨークに着いてみると、実はポーニー・ビルのショウも困窮していて、バッファロー・ビルと組むことで蒔き直しを図ろうとしていたことがわかる。しかしまあ、ともあれ手を結ぼう、という話になる。アニーとフランクも久しぶりに会って、変わらぬ互いの想いを確かめ合う。が、話が射撃の腕に及ぶや 2人は互いに譲らず、最後の決着をつけることになる。
 さて、 2人の恋のゆくえやいかに。

 おそらく、初演当時ですら“古き佳き”という香りがしたに違いないこの話を、現代によみがえらせるにあたって、オリジナル脚本(ハーバート&ドロシー・フィールズ Herbert & Dorothy Fields)の改訂を担当したピーター・ストーン Peter Stone が用意した(グラシエラ・ダニエルの発案ということも考えられるが)アイディアは、入れ子式。
 上に書いたアニーとフランクの話を、バッファロー・ビル一座が演じてみせるというスタイルにしてみせたのだ。

 開演前に下りている幕には、サーカスのような大テントと、それに覆い被さるようにしてこちらをのぞく白いヒゲの人物が描かれていて、「Buffalo Bill presents ANNIE Get Your GUN」という文字が見える。どういうことだろうと思って観ていると、白いヒゲを生やしたバッファロー・ビルが客席側からステージに上がってきて幕開きを宣言。両袖にあつらえられたロープの巻き取り器(もちろん見せかけ)で幕が巻き上げられると、そこは大テントの中。バッファロー・ビル一座の公演会場だ。
 中央には円形の板張りステージがあり、両脇に階段状に組まれた観客席とおぼしきベンチには、バンドがいる(実はバンドの大半はオーケストラ・ピットにいるのだが)。
 オリジナル版と違って、ここでいきなり歌われるのが、邦題「ショウほど素敵な商売はない」で知られる「There's No Business Like Show Business」。まず舞台奥から現れたフランク・バトラーがゆっくりと歌い始める。すると、バッファロー・ビルが口上を述べる。これからとっておきの“大荒れのロマンティック・ストーリー”をご覧にいれる、と。続いて、アニーを除く主要な登場人物が次々に登場。紹介されては歌い継ぎ、最後はみんなで歌い上げて拍手を受ける。
 そこでバッファロー・ビルが言う。「舞台はオハイオへ!(このセリフ、ちょっと記憶曖昧)」みんなは「エーッ!?」と言いながらあわてて舞台の模様替えをする。木枠に収まった観音開きの大きな扉が下りてきて、いくつかのトランクが置かれ、これで田舎町のホテルの出来上がり(わざと田舎芝居らしい安っぽいセットにしてある)。
 その場の芝居に出演しない役者の何人かは、脇のベンチに控える。
 これが、アニーが登場するまでの導入部。

 こうした、劇中劇というスタイルは、作中に第三者的な視点を設定しすることで、ある種の自己批評性を持たせる(虚構だとわかって作っていると宣言する)やり方として、とりたてて珍しいものではない。例えば、『シカゴ CHICAGO』のスタイルもそうだ。
 が、今回の『アニーよ銃をとれ!』が採用した、登場人物たちが自分たちのショウ(バッファロー・ビルのワイルド・ウェスト・ショウ)の中で自分たち自身を演じるというスタイルは、“古き佳き”お話を演じることについての自己批評性を獲得しつつも、“古き佳き”時代の微笑ましさも残すという効果をもたらし、それがこの作品の味わいを豊かなものにした。

 だがまあ、何と言っても、バーナデット・ピータースだ。
 歌のうまさ、芝居のうまさ、そしてなにより魅力的なキャラクター。『グッバイ・ガール THE GOODBYE GIRL』の時とはまるで違う、スターの輝きがあった。それは、過去のヒット舞台のヴィデオや映画を観てもわからなかった素晴らしさだ。
 特に、第 1幕の田舎娘のトボケた可愛さ(なまりまで魅力的に聞こえる)。自分の無教養を恥じつつも卑屈にはならず、誇りを持って健気に生きる、そんな娘をいきいきと演じるピータースに、観客の目は釘付け。彼女が出ていないシーンは寂しく思えたほどだ。

 しかし、もちろんグラシエラ・ダニエルは、この作品を単なるスター芝居で終わらせない。随所に工夫を凝らして、観客の目を楽しませ、舞台に奥行きを与える。
 ことにアンサンブル使いのアイディアには目を見張った。例えば――。
 フランクの歌にポーッとなっているアニーの背後に、小さな日傘を差した可憐なバレリーナが現れ、アニーのときめく心を代弁するように踊ってみせる。
 旅に出た一座の乗る汽車の隅で、座員の男たちがブーツを磨く。その磨く音がシュッシュッシュッという汽車の走る音になって、時折スピードが変わる。
 場面転換を、小さいフラフープのような輪をいくつか使った芸や、小太鼓を抱えてのタップ・ダンスなどでつなぐ。
 ――などなど盛りだくさんで、ただぼんやりと過ぎていく場面など全くない。

 ショウ場面でいちばん盛り上がるのは、第 2幕半ばの「I Got the Sun in the Morning」か。ニューヨークのボールルームでの気取った踊りが、アニーを中心にして陽気でアクロバティックなカントリー・ダンスに変わっていき、最後に元のボールルームに戻って終わるというダンス・ナンバー。
 今回の振付はグラシエラ・ダニエル単独ではなく、トミー・テューン Tommy Tune との仕事が多かったジェフ・キャルホウン Jeff Calhoun と共同。

 キャストは、アンサンブルから子役に到るまで穴がない。
 フランク役のトム・ウォパット Tom Wopat は、ウェスタン・スタイルにヒゲ面で尾崎紀世彦そっくり(笑)。マッチョだけど心優しい西部男を気持ちよく演じている。歌も声量たっぷりで味がある。
 貫禄ある三枚目、バッファロー・ビル役のロン・ホルゲイト Ron Holgate や、アニーの恋敵で憎まれ役のドリー・テイトを演じたヴァレリー・ライト Valerie Wright もうまい。
 が、この舞台の影の要だと思ったのが、一座の事務局長的存在チャーリー・ダヴェンポート役のピーター・マークス Peter Marx。別にマジメ人間でもないのにやっかいごとを任される性分で、自分も胃が痛くなるようなストレスを抱えているにもかかわらず、他人のことが気がかりな男を、独特の困り顔で演じる。裏で場面をつないでいるのが、この人の軽妙な演技だ。

 最後に。
 今回のリヴァイヴァルにあたって、オリジナル脚本の男尊女卑的部分をピーター・ストーンが修正した、と言われていて、確かに結末部分に若干直しが入っていたが、これ、男尊女卑的だから直したわけじゃないと思った。
 オリジナルでは、アニーがわざと的を外して勝ちをフランクに譲りハッピーエンド。それが今回は、アニーがわざと外したら、フランクもわざと外して決着が着かないことになる。
 これって、そうしないとフランクがあまりにも間抜けに見えるからじゃないの? 僕にはそうとしか思えない。早い話、オリジナルの展開って、女は男を立てるべしっていう男尊女卑なんかじゃなく、負けてやれば思い通りになる相手なら負けるが勝ち、っていう単純な駆け引きなんだと思うんだけど。

 ま、とにかく、バーナデット・ピータースが出ている内に観るべし。

(5/22/1999)

Copyright ©1999 Masahiro‘Misoppa’ Mizuguchi

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