[ゆけむり通信Vol.31]

9/29/1998
『ダイナ・ワズ DINAH WAS』


もっと歌ってちょうダイナ

 ブルーズ/ジャズ・シンガーとして 50年代を中心に活躍したダイナ・ワシントン Dinah Washington。彼女を主人公にした伝記的ミュージカル『ダイナ・ワズ』は、オフで 5月に幕を開けた。

 昨年 9月に観た『オールウェイズ…パッツィ・クライン ALWAYS...PATSY CLINE』の時にも書いたが、この『ダイナ・ワズ』も、伝記的とは言っても例えばブロードウェイでは全く当たらなかったロンドン産のバディ・ホリー Buddy Holly モノ『バディ BUDDY』に代表されるような、話は時間軸に沿って流れ、見どころは演奏のソックリ・ショウのみ、というような単純な作りの作品ではない。
 しかし、ミュージシャンにスポットを当てたミュージカルの場合、どうしても観客が歌のソックリ度(及び姿の相似度)を意識して観てしまうのも確かで、その点、オリジナル・キャストのイヴェット・フリーマン Yvette Freeman は非常によく似ていたらしい。
 が、 9月に入って主役が交替した。
 新たなダイナ役は、 96-97年のシーズンに『ザ・ライフ THE LIFE』でトニー賞を獲ったリリアス・ホワイト Lillias White。
 似てたかって? 覚えてない。トニー賞受賞以前から迫力たっぷりの歌に定評のあった彼女がとにかく歌いまくるこの舞台、むしろ『リリアス・イズ』とでも呼びたくなるほどで、ダイナに似てるかどうかなんてまるで気にならなかったからだ。

 1959年、ラスヴェガスのサハラ・ホテル。自身のショウのためにやって来たダイナは、宿泊を拒否される。当時のアメリカでは、黒人が白人のホテルに泊まることなど考えられないことだったのだ(このあたりの事情は、サミー・デイヴィス・ジュニア Sammy Davis Jr. の自伝「ミスター・ワンダフル」に詳しい)。
 しかし、ダイナは入館を要求してロビーに置いたスーツケースの上に座り込む。そして彼女の回想が始まる……。
 厳格な母の下で抑圧されていた少女時代、奔放で屈折した恋愛の数々、歌手としての成功に伴うストレス……そういったシーンが、現在進行形のホテルのシーンに挟まって現れる。
 そしてクライマックスは、そのホテルでのショウ場面。

 実はこの話、そんなに面白くはない(脚本オリヴァー・ゴールドスティック Oliver Goldstick、演出デイヴィッド・ペトラーカ David Petrarca)。
 有名なスターの私生活が必ずしも幸福ではなかったというのは常套と言ってもいいくらいのものだから、それを劇的に見せるには、エピソードの掘り下げや構成の技が必要だろう。
 前述した『オールウェイズ…パッツィ・クライン ALWAYS...PATSY CLINE』は、 1ファンを狂言回しにする新鮮な構成で、バンドを除けば 2人しか登場しない小規模なミュージカルをうまく成立させていた。
 また、大所帯のブロードウェイでは、ジーグフェルド・フォリーズのスターの人生をジーグフェルド・フォリーズのスタイルで見せるという、メタ・ミュージカルとでも言うべき複雑な仕掛けのある構成を持った『ウィル・ロジャース・フォリーズ THE WILL RODGERS FOLLIES』や、ジャズ・ピアニストの生涯に人種内差別という新たな切り口を持ち込みつつそれをタップ・ダンスで表現するという荒技を駆使した『ジェリーズ・ラスト・ジャム JELLY'S LAST JAM』などが見事な成果を見せていた。
 それらに比べると、『ダイナ・ワズ』の(59年の)現実→回想→現実→回想→現実という構成は、スリルに欠ける。また、助演が 4人いて、男性 3人が 2役ずつ、女性 1人が 4役をこなすというのもゴチャゴチャして、ややせわしなく、チープな印象を残す。
 だもんで、せっかくのホワイトも実力を持て余し気味。役不足な感じさえあった。

 いっそ、最初から最後までラスヴェガスのホテルでのショウという設定にしたらどうだったんだろう。で、舞台上に幻想の過去が現れる。歌ってる最中に母親が登場して、そんな堕落した歌は止めろと言ったり、バンドの中に突然昔の恋人が現れてソロをとったり……。
 そうすれば、構成としても面白い上に、ホワイトの歌をもっとじっくり味わえる楽しい舞台になったように思えるのだが。

 劇中最も盛り上がったのがホワイトが歌う場面でなかったというのも皮肉。
 ホテルのメイドに扮した助演の女優シビル・ウォーカー Sybyl Walker がダイナに呼ばれてステージに上がり、歌ってごらんと言われるシーン。初めはおっかなびっくりで怖ず怖ずと蚊の鳴くような声だったのが、しだいにノッてきて、最後はすごい迫力でシャウトする。
 それまで一度も彼女が歌ってなかっただけに、ここはウケた。

 レンガ壁が奥に向かって観音開き式に動く装置(マイケル・イヤーガン Michael Yeargan)は、舞台を、ホテルのロビーからアポロ劇場、レコーディング・スタジオ、TV スタジオ、ラスヴェガスのステージなどに変化させるのに貢献していたが、こうした大がかりな仕掛けなしで同じ舞台をいくつもの場所に見せた『オールウェイズ…パッツィ・クライン ALWAYS...PATSY CLINE』の据え置き装置の方が刺激的だと思った。

 バンドは、ピアノ、ベース、ドラムス、木管、トランペットの 5人。芝居の達者なバンドマンが多いが、ここでもドラマーが、ちょっとしたコミカルな芝居でいい味を発揮していた。

 ところで、左のジャケットは『THE DINAH WASHINGTON STORY(The Original Recordings)』(Mercury) という、ダイナの足跡をザッとたどった 2枚組 CD のものだが、ここで使われている切手のデザインが舞台でも最初と最後に大きく使われていた。 93年にリリースされているこの CD と、舞台は連動する部分があったのだろうか。
 1924年生まれのダイナは 40年前後からプロとして歌い始め、50年代には“ブルーズの女王”として成功を収めたが、パッツィ・クラインが飛行機事故で亡くなったのと同じ 1963年に、クスリとアルコールの過剰接種でこの世を去っている。享年 39歳。
 39歳で死んだ、というナレーションに観客が、オー! と嘆声を漏らすのを聞いて、時が流れたこともあるだろうが、白人の多くはダイナ・ワシントンのことなんて知りゃあしないんだな、と思った。

(10/28/1998)

Copyright ©1998 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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