[ゆけむり通信Vol.29]

3/20/1998
『ラグタイム RAGTIME』


生真面目な野心作

 『蜘蛛女のキス KISS OF THE SPIDER WOMAN』や、『ショウ・ボート SHOW BOAT』『キャンディード CANDIDE』のリヴァイヴァルなどをハロルド・プリンス Harold Prince の演出でブロードウェイに送り込んできていた、トロントを本拠とするライヴェント社 Livent Inc. が、フォード社と組んで 42丁目に新劇場フォード・センターをオープンしたのが昨年暮れ。その柿落とし作品となったのが、トロント、ロスアンジェルスで成功を収めてからブロードウェイ入りした『ラグタイム』だ。

 原作は 75年に書かれた E・L・ドクトロウ E. L. Doctorow のベスト・セラー小説。 81年に映画化され、その時の音楽は確かランディ・ニューマン Randy Newman が書いていたと思う。

 今世紀初頭のアメリカ合衆国における人種間の対立と宥和のドラマ。簡単に言ってしまえば、そういう内容で、舞台は、WASP を頂点とする白人、社会進出を図ろうとする黒人、ヨーロッパから遅れてやって来たユダヤ人を多く含む貧しい移民、の3グループに分かれた全キャストによるタイトル曲のコーラスで始まる。
 この3者の中で同時多発的に起こる様々な出来事を、まずは並列的に、そしてしだいに錯綜させながら描いていき、資本主義国家として急速な近代化を遂げようとする時代のアメリカの光と影を浮き彫りにしようとする。ミュージカル『ラグタイム』のめざすスケールは大きく、野心的だ。
 だが、その試みが100%成功したかと言えば疑問が残る、というのが僕の感想。
 大きく広げて投げ入れた投網をダイナミックに引き絞っていくという手法は、小説や映画であればなんでもないが、舞台ではむずかしい。製作者の高い志と、才能と資金を惜しみなく投入した舞台の充実ぶりには拍手を送りたいが、名手テレンス・マクナリー Terrence McNally (脚本)の腕をもってしても、この素材は充分にはさばききれなかった。

 以下、ストーリーを書きます。

 登場人物の多いこの物語の要になる家族は、誰も名前を持たない。リトル・ボーイと呼ばれる少年と、ファザー、マザー、マザーズ・ヤング・ブラザー、グランドファザー。白人の中産階級家庭だ。
 物語は、北極探検に行くファザーをその家族がニューヨークの港で見送るところから始まる。
 ちょうどその頃、やはりニューヨークのエリス島に、ユダヤ人タテーとその娘リトル・ガールが移民船で到着する。
 その後にヴォードヴィル劇場の景が挟まって、ニューヨーク郊外ニュー・ロシェルの自宅で庭の手入れをしていたマザーが黒人の捨て子を見つける。その母親サラもすぐに発見されるが、マザーは2人を家に保護する。
 こうして3つのグループに属する人々が見えない糸で結ばれていく。
 次に来るのが、タテー親娘が厳しい入国審査を経てマンハッタンに上陸し、成功を夢見る景。
 続いてハーレムのジャズ・クラブ。そこでラグタイムと呼ばれる新しいスタイルでピアノを弾き、歌うのがコールハウス・ウォーカー・ジュニア。サラの子供の父である彼は、生活を改めることを決意し、去っていったサラをT型フォードで迎えに行くことにする。
 ここで、マザーとリトル・ボーイ、タテーとリトル・ガールが鉄道の駅ですれ違う景が入る。
 コールハウスは、途中、道を尋ねた消防署の白人たちと険悪な雰囲気になるが、無事にニュー・ロシェルに着く。が、サラは彼に会おうとしない。そこにファザーが探検から帰ってきて、様子の変わった家庭にとまどう。
 頑なだったサラだが、何度も訪ねてきて誠意を見せるコールハウスにようやく心を開き、2人で将来の夢を語り合う。
 その頃タテーはマサチューセッツのローレンスにいて、過酷な条件の下で働かされている。そんな現実を、無政府主義を唱える活動家エマ・ゴールドマンがニューヨークのユニオン・スクエアで告発するのを見て、マザーズ・ヤング・ブラザーは啓発される。
 一方ローレンスではストライキが強行され、危険を感じた労働者たちは、子供を安全のために里子に出すことにする。タテーも娘を一旦は汽車に乗せるが、思い直して自分の手に取り戻し、やはり2人で生きていくことを心に誓う。その時、以前タテーが屋台で売っていたパラパラ漫画をほしいという客が現れ、強気で売りつけたタテーは光明を見出す。
 ここで話はサラとコールハウスに戻る。ドライヴの途中、以前消防署で出会った人種差別主義者の白人たちに取り囲まれる。危険を感じたコールハウスはサラを逃がし警官を呼んでくるが、T型フォードは鉄くずと化していた。穏健派の黒人解放運動指導者ブッカー・T・ワシントンの教えを守るコールハウスは法的に告発しようとするが、問題にされない。
 コールハウスの力になろうとするサラは、遊説に来ていた副大統領に直訴しようと駆け寄る。そして、警備員に殴られ、死ぬ。コールハウスは深い悲しみに沈み、激しい憎しみを抱く。

 ここまでが第1幕。

 第2幕は、コールハウスの、社会に対する復讐の意味合いを含んだ抗議行動を中心に展開する。
 コールハウスは消防署の連中を殺害し、T型フォードの修復と消防署長の引き渡しを要求。最後は爆破の意図を持ってモーガン図書館に仲間と立てこもる。ここがクライマックス。
 急進的思想に同調するマザーズ・ヤング・ブラザーは、コールハウスと行動を共にする。
 コールハウスの子供を保護しているマザーは、マスコミの目を逃れて、リトル・ボーイと共にアトランティック・シティに赴く。そこで、映画監督となって活躍するタテーとリトル・ガールに再会する。
 ファザーは、当局の指示でコールハウス説得のために図書館に入る。
 というのが、第2幕の主な人物の動き。

 細かく書いた第1幕の構成を見ていただくとわかるが、リトル・ボーイ一家+サラ &コールハウスの話の合間に、タテー親娘のエピソードが細切れに挟み込まれている。実は、そこにさらに、魔術師フーディニやモデル、イヴリン・ネスビット、ヘンリー・フォード、エマ・ゴールドマンら実在の人物のシーンも入ってくる。
 巧みに構成されてはいるのだが、やはり描く範囲が多岐にわたりすぎ、主要人物を描き込む余裕がなくなってしまっている。特にサラとコールハウスは、同情はできても感情移入するところまでは人間が見えてこない。
 そのため、第2幕のコールハウスの行動も結果的に紋切り型に映る。

 ここは思い切って話をサラとコールハウスに絞り込んで、コールハウスのジャズ・ミュージシャンとしての面をさらにふくらませつつ2人の生き方をじっくりと描き込み、それを軸にその時代のうねりを感じさせるという風にした方が、逆に広がりも出たのではないか。

 開幕前の舞台には巨大な3Dメガネが吊り下げられていて、そこに原寸の3Dメガネを持ったリトル・ボーイが現れる。すなわち、彼の視点で物語を見ていくという宣言で、複雑に入り組んだ登場人物たちの感情を子供のイノセントな思考で整理して観客が受け入れやすいようにするという役割を彼のセリフや歌が担っているのだが、その仕掛けが十全に生きなかったのも、やはり大人たちの方を描ききれなかったからだと思う。

 ステファン(スティーヴン?)・フラハーティ Stephen Flaherty (作曲)とリン・アーレンズ Lynn Ahrens (作詞)は僕の好きな作品を書いてきた人たちで(『ワンス・オン・ディス・アイランド ONCE ON THIS ISLAND』『マイ・フェイヴァリット・イヤー MY FAVORITE YEAR』、映画『アナスタシア ANASTASIA』)、今回も、複雑なニュアンスを含んだ味わい深いタイトル曲はじめ、佳曲をそろえた。
 ただ、アレンジ(ウィリアム・デイヴィッド・ブローン William David Brohn)によって、時に立派に聞こえすぎるのが、やや不満。
 その辺には演出家(フランク・ガラティ Frank Galati)の意向も反映しているだろう。かっちりした演出は重く感じられるところもあり、それがグラシエラ・ダニエル Graciela Daniele の振付を抑える結果になったのかもしれない。
 装置(ユージン・リー Eugene Lee)、衣装(サント・ロカスト Santo Loquasto)、照明(ジュールズ・フィッシャー Jules Fisher &ペギー・アイゼンハウアー Peggy Eisenhauer)の仕事ぶりはいずれも優秀。

 主演男優(コールハウス役)ブライアン・ストークス・ミッチェル Brian Stokes Mitchell は誇り高い男をよく演じているが、前述したようにそのキャラクター自体の描き込みが足りないので、陰影に欠けるように見えた。ダンスをチラッとしか見せないのも惜しい。
 タテー役ピーター・フリードマンはエキセントリックとも思える役を熱演。断片的にしか現れないこの役は、もうけ役かも。
 この舞台で一番光ったのが、マザー役マリン・マッズィー Marin Mazzie。彼女の存在が全体を支えたと言ってもいい。
 ファザー役マーク・ジャコビー Mark Jacoby も『ショウ・ボート』のゲイロード役とはまるで違う地味な役だが、要所を締めた。
 『回転木馬 CAROUSEL』『マスター・クラス MASTER CLASS』で見事な歌と個性を見せつけたオードラ・マクドナルド Audra McDonald だが、サラ役は役自体にふくらみがなく、魅力を発揮できなかった。

 ところで、2種類のプレイビルならぬショウビルを載せてあるが、下の方はプレヴュー時のもの。ぜいたくですね。
 そのショウビルの Who's who 欄に、ブライアン・ストークス・ミッチェルのサイト・アドレスが書いてあったので転載しておきます。

 http://www.brianstokes.com

(5/11/1998)

Copyright ©1998 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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