『ベルリン & アメリカン・シアター・ソングス
KURT WEILL : BERLIN & AMERICAN THEATER SONGS』

ロッテ・レーニャ Lotte Lenya(Sony Classical)

さすらいの異邦人女優

 007 映画の新作『トゥモロー・ネバー・ダイ TOMORROW NEVER DIES』がもうすぐ日本でも公開されるが、アメリカでは、これ、クリスマス・シーズンの公開で、去年12月の渡米時はちょうどその直前。大々的な宣伝活動をやっていて、テレビの映画チャンネルでも、旧作をがんがんオン・エアしていた。
 忍者わんさかの『二度死ぬ YOU ONLY LIVE TWICE』は大笑いだけど、浜美枝のかわいさったらないね。なんて感じでホテルの部屋で観るともなく観ていたのだが、ある日劇場から戻ってテレビをつけたら、ちょうど『危機一発(ロシアより愛をこめて) FROM RUSSIA WITH LOVE』をやっていた。そう言えば、と思って眠気をこらえて観ていたら、出てきた。
 靴の先に仕込んだ毒針でショーン・コネリーを殺そうとする女スパイ。ロッテ・レーニャ。

 CD 『ベルリン & アメリカン・シアター・ソングス』は、日本では昨年夏に初めて発売されたが、92年暮れに刊行されたドナルド・スポトー著 / 谷川道子訳の伝記「ロッテ・レーニャ ワイマール文化の名花(文藝春秋)のディスコグラフィには外盤表記ですでに載っている。ジャケット裏のデータから推察するに、『ベルリン・シアター・ソングズ』が 55年に(これは伝記にも出てくるから確実)、『アメリカン・シアター・ソングズ』が 58年に、そして2つを合わせた形の再発売盤が 70年に、それぞれ LP としてリリースされ、CD 化は 88年、ということだろう。
 日本盤が出るまでの9年という時間が、レーニャの日本での認知度の低さを表わしているのか。

 ともあれ、レーニャが、夫クルト・ヴァイル Kurt Weill の作曲した楽曲を歌い尽くした感のあるこのアルバムは、ヴァイル・ミュージカル曲集としても秀逸なだけに、日本盤発売はうれしかった。でもねえ、レーベル名を見てもわかるようにクラシック扱いされていて、見つけるのに苦労しました。

 タイトルとは逆に、アルバムの前半が英語による『アメリカン・シアター・ソングズ』。「September Song」から「Lost In The Stars」まで12曲。「Speak Low」のような有名曲もあるが、あまり聴くことのない渋めの曲も多い。ニューヨーク録音のこちらは、やや流麗なアレンジ。
 後半の『ベルリン・シアター・ソングズ』はハンブルグ録音。全曲ベルトルト・ブレヒト Bertolt Brecht の詞。このアルバムを録音するためにドイツに戻ったレーニャは、まだ第二次大戦の傷跡の残るベルリンでブレヒトのアパートを訪れ、収録する曲を歌って聴かせたという。
 [そのとき、自分の女たちと子供以外には温かみや人間性を示すことはまれであったタフで皮肉屋のブレヒトが、すすり泣きを始めた。](前掲書)
 「Mack The Knife」として知られる「Die Moritat Von Mackie Messer」に始まって、ブレヒトに「もう二度とこんなふうに歌う人はいないだろう。僕はもうこの詩を永遠に忘れないよ」と言わせた「Surabaya-Johnny」まで8曲(1曲を除いてはドイツ語で歌われる)。前半に比べるとザラついた感じの演奏をバックにした、レーニャの絶唱と言っていい。

 余談。
 後半1曲だけ英語で歌われるのが「Alabama Song」。
 伝記によれば、レーニャは夫ヴァイルの紹介でブレヒトに会い、これを歌ってオーディションを受けたらしいが、僕がこの歌を初めて聴いたのはドアーズ The Doors のファースト・アルバムでだ。その頃はヴァイルもブレヒトも知らなかったし、ドアーズのオリジナルだと思い込んでいた。暗いユーモアをたたえた不思議な楽曲で、聴けば聴くほど忘れられなくなる。
 これを秀逸なアレンジで日本語で歌ってみせたのが、バンドたまの中心メンバーだった柳原幼一郎。アメリカのロック / ポップスを日本語で歌うという、斬新(かつ日本では古典的?)な企画のアルバム『ドライブ・スルー・アメリカ DRIVE THRU AMERICA』は、音楽的にも優れていると同時に、日本人のアメリカ文化咀嚼の好例として刺激的。ミュージカル・ファンとしても学ぶべきところが多い。コール・ポーター Cole Porter の美しい「Every Time We Say Goodbye」も入ってるしね。
 もし見かけたら、即ゲットをオススメします。

 ところで、メチャクチャ面白い前掲の伝記を、この文章を書くに当たってパラパラ読み直していたら、今年はレーニャ生誕 100 年であることに気づいた。
 で、もう1つ気づいたのが、彼女ウィーン生まれなのだけれども、彼女の生まれた1898年というのは、皇妃エリザベートが暗殺された年だったんですね(って、この辺、宝塚ファンじゃないとわかりにくいかもしれませんが、こちらをご覧ください)。ここで無理矢理エリザベートの姿と重ねるつもりはないが、現実にもウィーン、ベルリン、ニューヨークとさすらったレーニャの魂は、その地理的距離以上の彷徨を重ねたように見える。
 奇しくも、今ブロードウェイでは、『三文オペラ THE THREEPENNY OPERA(DIE DREIGROSCHENOPER)』(映画版での名演はヴィデオで観られます)と並ぶ女優レーニャの代表作『キャバレー CABARET』のリヴァイヴァルがプレヴュー中。そこにレーニャの幻を観ることが出来るかどうか。
 楽しみにしている。

(2/28/1998)

Copyright ©1998 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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