「幻の劇場 アーニー・パイル」
斉藤憐

東京宝塚劇場が消えた10年

 先日、『サウンド・オブ・ミュージック THE SOUND OF MUSIC』のチケットを買いに日生劇場に行った時、東京宝塚劇場の前を通ったら、ヘルメットを被った人たちがロビーのあたりにいて、なにやらチェックしていた。
 看板類のなくなった劇場は殺風景で、ジャニーズ関係の落書きが目立つのも寂しい気分を煽る。
 僕はそんなに熱心な宝塚ファンではないから記念写真を撮ったりもしないのだが、少し違った意味でこの劇場には思い入れがあり、なくなることを残念に思っている。

 「幻の劇場 アーニー・パイル」(新潮社)は、『上海バンスキング』で知られる劇作家・斉藤憐が86年に上梓した“占領下の東京宝塚劇場”にまつわるセミ・ドキュメンタリー小説だ。
 ご存知だと思うが、専科(笑)じゃなくて戦火を免れた東京宝塚劇場は終戦後しばらく米軍に接収されていた。
 正確には、1945年のクリスマス・イヴ、12月24日から1955年1月27日まで、アメリカ第8軍の支配下にあった。そして、その間、東京宝塚劇場はアーニー・パイル劇場と呼ばれた(てなことは、みんなこの本に書いてあるわけだが)。
 ここで芸術監督として活躍したのが偉大なる伊藤道郎。彼の下に当時最高の日本人スタッフが集められ、日本人の歌手やダンサーが、日本人の1人もいない客席に向かって連夜素晴らしいショウを繰り広げた。観客は米兵であり、日本人客は入ることが出来なかったのだ。

 そんなアーニー・パイル劇場の内外を舞台にした、日本人、アメリカ人、日系アメリカ人、フィリピン人たちが織りなす人間ドラマ(フィクション)の中にルポルタージュ(ノンフィクション)を挿入して、実に刺激的な読み物に仕上げたのが、この1冊。

 何が刺激的かと言うと、ひとつは、題材をどう料理するかという劇作家の手の内が垣間見えるところ。
 あとがきに [本書は、一九八三年に本多劇場で上演した「グレイ・クリスマス」、一九八四年に博品館劇場で上演した「オオ・ミステイク」、一九八五年に新橋演舞場で上演した「アーニー・パイル」の三本の芝居をもとに物語を組み立てた] とある。いずれも未見だが、『オオ・ミステイク』を除く2本は而立書房から出ている脚本を読んだ。
 「幻の劇場 アーニー・パイル」と併せ読むと、資料や取材を元に、作家がどういう風にイマジネーションを働かせたかが見えてきて、ワクワクする。

 もうひとつ刺激的なのは、この時代と、この時代のショウ・ビジネス世界のあり方。
 もちろん、書き手の切り口が鋭いから刺激的になっているのは間違いないのだが、誤解を恐れずに言えば、僕は、この“占領下”という特殊な時代そのものに激しい魅力を感じる。そして、その時代の象徴のような場所が、アーニー・パイルだったと思うのだ。
 アメリカに対する、戦前の無邪気な憧憬、戦中の洗脳的憎悪、戦後の距離感のはっきりしない誤解。全てが、この占領下のアーニー・パイルに集約されているような気さえする。
 戯曲『アーニー・パイル』は、おそらくそのような発想で書かれたと思う。

 その舞台化がどんなものだったか、ご存知の方がいたら教えていただきたいが、僕はこの題材、ミュージカル化して東京宝塚劇場で宝塚歌劇団にやってほしいと密かに思っていた。
 それはもう叶わぬ夢となってしまったが、このまま埋もれさせてしまうには、あまりに惜しいアイディア。そう僕は思っているのですが、プロデューサーのみなさん、いかがでしょう。劇場は変わってもいい、やってみませんか?

 「幻の劇場 アーニー・パイル」は、東京宝塚劇場取り壊しに当たり、ブロンズ新社から「アーニー・パイル劇場」として復刻出版された。

(1/31/1998)

Copyright ©1998 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

previous/next


[HOME]