『MY SISTER EILEEN』
Richard Quine(Columbia)

ロバート・フォッシー振付映画の謎

 『フォッシー FOSSE』に、プレヴュー時にはあってオープンした時には消えていたナンバーがあったことは、こちらに書いた。
 プレイビルには「Alley Dance」と書かれていたそのナンバーのオリジナルは、 1955年公開(日本未公開)のミュージカル映画『マイ・シスター・アイリーン』(監督/リチャード・クイン Richard Quine)のワンシーンで、そちらでのタイトルは、資料によれば「Got No Room for Mr. Gloom」となっている。振付家としてクレジットされているだけでなく出演もしているフォッシーが、トミー・ロール Tommy Rall というバレエ出身のダンサーとダンス合戦をするという場面で、オープン後の『フォッシー』からカットされた背景には、その難易度の高い振付を舞台で毎日繰り返すのは困難すぎるという判断があったのかもしれない。なにしろ、『フォッシー』の中で最もミスの多かったと思われる「Steam Heat」の“吸い上げ帽子”を含みつつ、さらに“ハンカチ縄跳び”だのなんだのが加わるというアクロバティックな振付なのだから。
 僕がそのオリジナルの場面映像を初めて観たのは、 NHKでオンエアされた、宮本亜門の前説付きのボブ・フォッシー特集(おそらく追悼)番組でだが、確か、その場面についての解説で、出自の異なるダンサーとダンスを競い合う撮影をフォッシーは心から楽しんでいた、とグウェン・ヴァードン Gwen Verdon が発言していたように記憶している。

 その『マイ・シスター・アイリーン』のヴィデオをニューヨークで見つけた。
 で、買って帰って観てみると、いくつかの謎が浮かび上がってきた。そうした謎について調べたりしているうちに思ったのは、この映画はフォッシーの転換期を象徴する不思議な作品なのではないか、ということだ。
 

題材の謎

 観て、まず驚いたのは、その内容。オハイオからニューヨークに出てきた姉妹がダウンタウンのアパートで暮らすことになる話なのだが、これって、『ワンダフル・タウン WONDERFUL TOWN』と同じじゃないのか?
 同じはずだ。スタンリー・グリーン Stanley Green の「BROADWAY MUSICALS Show By Show」に、以下のことが書いてあった。
 『マイ・シスター・アイリーン』は、元々はニューヨーカー誌に発表されたルース・マッキニー Ruth McKinney の短編小説シリーズのタイトルで、その最初の舞台化が 1940年にブロードウェイでヒットした同名のストレート・プレイ。そのミュージカル化が 1953年にブロードウェイでオープンする『ワンダフル・タウン』。そして、どちらも脚本は、ジョセフ・フィールズ Joseph Fields とジェローム・チョードロフ Jerome Chodorov。
 なるほど、元ネタが同じだったことはわかった。しかし、だとすると、わからないのは、なぜミュージカル映画化が『ワンダフル・タウン』ではなく『マイ・シスター・アイリーン』なのか、ということ。
 『ワンダフル・タウン』は、 559公演という当時としてはまずまずのロングランを記録しているし、なにより、「Ohio」「Conga!」という傑出した楽曲があった(作曲/レナード・バーンスタイン Leonard Bernstein、作詞/ベティ・コムデン Betty Comden &アドルフ・グリーン Adolph Green)。それを、わずか 2年後に、わざわざ別の楽曲作者(作曲/ジュール・スタイン Jule Styne、作詞/レオ・ロビン Leo Robin)を立ててミュージカル映画化した理由がわからない。
 調べてみると、『マイ・シスター・アイリーン』は 1942年に舞台と同じ非ミュージカルとして 1度映画化されている(その時の主演がロザリンド・ラッセル Rozalind Russellで、ごぞんじの通り彼女は 11年後に『ワンダフル・タウン』で同じ役、姉妹の姉を演じていて、この辺も面白いのだが……)。 1度映画化されたタイトルの方が知名度が高いと考えたということなのだろうか。あるいは、権利の問題か何かで『ワンダフル・タウン』の映画化がうまくいかなかったのか。

 ともあれ、コロンビア映画のボス、ハリー・コーン Harry Cohn は『マイ・シスター・アイリーン』のミュージカル映画化を実行に移したわけだ。
 

映画初振付の謎

 そのコーンが準主役兼振付家としてのフォッシーと契約するにあたっては、振付家としてのブロードウェイ・デビュー作となった前年(54年)のヒット舞台『パジャマ・ゲーム THE PAJAMA GAME』が大きく影響している、と、フォッシーの伝記「RAZZLE DAZZLE The Life and Work of Bob Fosse」(St.Martin's Press)の中で著者ケヴィン・ボイド・グラブ Kevin Boyd Grubb は書いている。
 そして、同書によれば、フォッシーが振付家として、その『パジャマ・ゲーム』に関わるまでには次のような経緯があったという。
 ブロードウェイ周辺で活動していたフォッシーは、 MGMのスカウトに見出されて、フレッド・アステア Fred Astaire の後を継ぐ者と期待されてハリウッド入りする。そして、 53年の映画版『キス・ミー・ケイト KISS ME, KATE』(振付はアステアとのコラボレーションで知られるハーミズ・パン Hermes Pan)でフォッシーは、クレジットはされないものの、『フォッシー』でも再現されていた「From This Moment On」の中の自分とキャロル・ヘイニー Carol Haney(翌年『パジャマ・ゲーム』で「Steam Heat」を踊るのが彼女)のデュオ部分の振付を任される。その [48秒のフォッシーとヘイニーのダンス] を観て、『パジャマ・ゲーム』の演出家チーム、ジョージ・アボット George Abbott とジェローム・ロビンズ Jerome Robbins はフォッシーに声をかけることになる(ロビンズはそれ以前に、フォッシーが振付を手がけた舞台レヴューのワークショップを観ていたらしいが)。
 この「From This Moment On」での振付が、映画でのフォッシーの実質的振付家デビューであることは、よく知られている事実だ。
 ところが、伝記「RAZZLE DAZZLE」の中に、こんな記述があるのだ。

 [フォッシー自身が、映画の振付活動の始まりは『キス・ミー・ケイト』の「From This Moment On」のダンスからだと認めているけれども、(デビー・)レイノルズ Debbie Reynolds によれば、フォッシーは『ギヴ・ア・ガール・ア・ブレイク GIVE A GIRL A BREAK』での自分のダンスは自分で振り付けている。]

 『ギヴ・ア・ガール・ア・ブレイク』というのは、映画版『キス・ミー・ケイト』と同じ 53年に公開された MGM映画で、伝記「RAZZLE DAZZLE」には、『ギヴ・ア・ガール・ア・ブレイク』『キス・ミー・ケイト』より先に作られたようなニュアンスで書かれている。だからこそ、先の引用のような表現――つまり、『キス・ミー・ケイト』より前にフォッシーが映画で振付をしている、というような表現になるわけだが、この 2作、スタンリー・グリーンの「ハリウッド・ミュージカル映画のすべて HOLLYWOOD MUSICALS Year By Year」(音楽之友社)によれば、公開順は逆になっている。
 実はこの年、『やんちゃ学生 THE AFFAIRS OF DOBIE GILLIS』というフォッシー出演の MGM映画がもう 1本公開されていて、「RAZZLE DAZZLE」では、『ギヴ・ア・ガール・ア・ブレイク』『やんちゃ学生』『キス・ミー・ケイト』の順で作られたかのように書かれているのだが、他のデータで調べると、公開順は、『キス・ミー・ケイト』『やんちゃ学生』『ギヴ・ア・ガール・ア・ブレイク』ということのようだ。もしかしたら、製作順は公開順と違って「RAZZLE DAZZLE」の記述通りなのかもしれないが、根拠になる記述がないので何とも言えない。
 となれば、だ。どちらが先かはともかく、クレジットはないけれども『ギヴ・ア・ガール・ア・ブレイク』でのフォッシーのダンスが彼自身の振付だ、というレイノルズの発言の真偽を確かめたい。さらに言えば、同じ年に同じ会社で撮った 3本の内 2本でそうなら(クレジットなしで自分のダンスを振り付けているのなら)、残るもう 1本でもそうである可能性も高い。とにかく、『やんちゃ学生』『ギヴ・ア・ガール・ア・ブレイク』を観てみよう。
 ってことで、その 2本のヴィデオを取り寄せた(なお、上記の 53年公開 3作品の内、日本で公開されたのは『やんちゃ学生』のみ。公開は 1960年で、きっかけは、年表的に見ると、この映画版を元にした TVシリーズ『ドビーの青春 THE MANY LOVES OF DOBIE GILLIS』の同年の国内オンエアだと思われる)。
 

レイノルズ発言の謎

 結論から言うと、予想は大当たり。両作ともに“フォッシー印”のダンスが確認出来る。

 まず、『やんちゃ学生』の場合。
 クレジットされている振付家はアレックス・ロメロ Alex Romero(ミュージカル・ファンに知られている仕事は、ラス・タンブリン Russ Tamblyn 主演の『親指トム Tom Thumb』か)だが、実は、ダンス・ナンバーは、数も少ないし質的にも食い足りない。そもそもが、デビー・レイノルズの人気に乗っかって(『雨に唄えば SINGIN' IN THE RAIN』公開の翌年です)低予算で作られたとおぼしいモノクロ映画で、甘い脚本の学園コメディにちょこっとショウ場面をくっつけたという印象なのだ(監督/ドン・ワイズ Don Weis、製作/アーサー・M・ロウ・ジュニア Arthur M. Loew, Jr.)。
 そんな中で唯一見応えがあるのが、フォッシーのソロから入るナンバー「You Can't Do Wrong Doin' Right」。
 場所はレストラン。ジュークボックスにもたれかかったフォッシーが、始まった音楽に合わせて踊り始める。で、共演のバーバラ・ルイック Barbara Ruick の歌に移り、彼女の歌に合わせて今度は 2人で踊る。ここまでの印象が『キス・ミー・ケイト』の「From This Moment On」にかなり近いシャープなもの。これは紛れもなくフォッシーの振付だ。
 同ナンバーの後半は、同じレストランにいた主演カップル、レイノルズとドビー・ギリス役のボビー・ヴァン Bobby Van が加わって、男女 2ペアのダンスになる。すると、シャープさが薄れてヴォードヴィル調のコミカルさが加わる。この後半については確信はないが、途中でフォッシーとヴァンのアクロバティックな動きが入ることからして、フォッシー振付の可能性は高い(ちなみに、ボビー・ヴァンと『マイ・シスター・アイリーン』のトミー・ロールとフォッシーの 3人は映画版『キス・ミー・ケイト』で一緒に踊っている)。
 ところで、このナンバーの初めにフォッシーが被っているのが、短いフチのついた帽子で、ここではすぐに脱ぎ捨ててしまうが、『マイ・シスター・アイリーン』の「Alley Dance」(「Got No Room for Mr. Gloom」)でも、後述するが『ギヴ・ア・ガール・ア・ブレイク』のデビー・レイノルズとのデュオ・ダンスでも、やはり似た帽子を被っている。こうした帽子使いは“フォッシー印”の証拠のような気がするのだが、どうだろう。

 『ギヴ・ア・ガール・ア・ブレイク』の振付は、ガワー・チャンピオン Gower Champion と、演出も兼ねているスタンリー・ドーネン Stanley Donen との並列クレジット(ドーネンがジーン・ケリー Gene Kelly の代わりにチャンピオンと組んでみたという印象もある)。製作は『キス・ミー・ケイト』と同じくジャック・カミングス Jack Cummings、作曲はバートン・レイン Burton Lane、作詞はアイラ・ガーシュウィン Ira Gershwin で、こちらはお金のかかったカラー作品。ブロードウェイ・ミュージカルの主演女優を選ぶというのが話の骨子で、ショウ場面も多く、けっこう楽しめる。そして、ミュージカル・スターとしてフォッシーを売り出しにかかっている印象を受ける。
 しかし、伝記「RAZZLE DAZZLE」によれば、ヒットしなかったらしい。「ひどい映画。 42丁目(の映画館)で公開されて、即、死んだはず」というフォッシー自身のコメントも載っている。
 ガワーとその妻マージ Marge のチャンピオン夫妻がビリングのトップになっていて、ヒットしなかった理由はその辺にもあるのかもしれないが(残念ながら 2人はスクリーンではイマイチ華がない)、実質上の主演は明らかに 2番目に名前が出るレイノルズで、実にイキイキしている。これで相手役のフォッシーにスター性があれば案外当たったかもしれない、とも思う(役の設定は、ガワーがブロードウェイの演出・振付家、フォッシーはその助手、マージとレイノルズは主演女優候補。その他に、作曲家役でカート・カズナー Kurt Kasznar、主演女優候補役でヘレン・ウッド Helen Wood が出演)。
 ともあれ、ここでのフォッシーは、『やんちゃ学生』と違い、 3つのナンバーで踊りまくる。
 その内の 1つが、前述の帽子を使ったレイノルズとのデュオ・ナンバー「In Our United State」(これも何かのオムニバス映像で観ていたことに気づいた。川の傍の公園で 2人が踊って、最後にフォッシーが川に落ちる。そのオムニバス映像が何か、ご記憶の方がいらしたらご教示いただきたい)。フォッシーのダンスがバック転から入ってジャグラー風に帽子を扱うあたり、「Alley Dance」(「Got No Room for Mr. Gloom」)がジャグラー風な帽子扱いから入ってバック転で終わるのと呼応していて、フォッシー自身の振付と思われる。レイノルズとのデュオ・ダンスになってからは、ちょっと特定しがたいが、流れから言ってフォッシー振付ナンバーだと考えて間違いないだろう。
 残る 2つの内、 1つは、やはりレイノルズとのデュオ・ダンスで、こちらも「In Our United State」。アレンジ違いだ。もう 1つは、チャンピオン、カズナーと組んで 3人で踊るコミカルな「Nothing Is Impossible」。
 これらについては、フォッシーがどこまで振付に関わっているか、観ただけでは確信を持てない。と言うのが、逆に映画におけるチャンピオンの振付の特徴というのがよくわからないからで(調べた限りでは、彼の映画での振付作品はこれの他にもう 1作、前年公開の MGM作品『Everything I Have Is Yours』があるだけで、そちらは未見)、この作品での他のナンバーを観るとかなりジーン・ケリーを意識したような“バレエ+アスレティック”な印象を受けるが、もちろんチャンピオンの手法はそればかりではないはず。フォッシー同様、ヴォードヴィル的ルーティンもしっかり身についているのは間違いないし。
 とりあえず後者は、クレジットされている振付家のチャンピオン自身も踊っているナンバーなので、これはチャンピオンの振付だろうという気はする。が、 3人が交互に踊ったりする部分のフォッシーのソロとか、チャンピオンとフォッシーによるトリッキーなデュオ部分とかには、フォッシーのアイディアが反映している可能性もありそうだ(チャンピオンとフォッシーが一緒に踊っているというのは、後の大物振付家の共演なわけで、それだけですごいのだが、振付のアイディアも共同だとしたら余計に面白くなる)。
 気になるのは前者。フォッシー演じる演出助手の夢想の中でレイノルズが主演女優となり、人工的なセットの上で 2人で踊るのだが、これが映画的に凝っている。半分ぐらいが逆回しの映像になっているのだ。しかも、その逆回し部分が充分に計算された振付らしく、とても自然に見える不思議な動きをする。フォッシーがメインのナンバーだし、このチャレンジ精神に満ちたアイディアはフォッシーのものなのではないだろうか。
 

『マイ・シスター・アイリーン』の謎

 さて、こうして観てくると、この 53年はフォッシーが映画の振付家としての基礎を築いた年だということがわかる。その活動が『パジャマ・ゲーム』の振付家起用につながり、舞台振付家として名を挙げ、やがてフォッシーは本格的に振付・演出家として多方面で活躍するようになっていく。
 しかし、同時にこの年、集中的にスクリーンに登場してハリウッドにおけるミュージカル・スターの座を目指したフォッシーの役者としてのキャリアは、以降、急速に終息に向かう。具体的に言うと、晩年近くの若干の映画出演(74年スタンリー・ドーネン監督『星の王子さま THE LITTLE PRINCE』の蛇役と、 77年『THIEVES』に麻薬中毒者役でゲスト出演)を除けば、 55年の『マイ・シスター・アイリーン』と、舞台同様振付を担当した 58年公開の『くたばれ!ヤンキース DAMN YANKEES』映画版の 2作に出演するだけ。しかも、後者での登場はグエン・ヴァードンのダンス・パートナーとしてで、帽子を被って(ここでも帽子だ!)顔もわからないぐらいの印象でだ。つまり、本格的な出演は『マイ・シスター・アイリーン』 1作で終わっていると言っていい。

 『マイ・シスター・アイリーン』でのフォッシーの役どころは『ギヴ・ア・ガール・ア・ブレイク』の時と似ていなくもない。主演級が、オハイオから来た姉妹役のベティ・ギャレット Betty Garrett(姉)とジャネット・リー Janet Leigh(妹)、姉と恋仲になるのがジャック・レモン Jack Lemmon(お付き合い出演の印象だが一応ソロで歌うナンバーもある)の 3人で、ビリングで言うと、リー、レモン、ギャレットの順。リーにひと目惚れする純な青年役のフォッシーは、その次に名前の来る準主役。
 で、フォッシーが踊るのも、『ギヴ・ア・ガール・ア・ブレイク』と同じく 3つのナンバー。トミー・ロールと組んで踊る「Alley Dance」(「Got No Room for Mr. Gloom」)、リー、ギャレット、ロールと組んで 4人で踊る「Give Me a Band and My Baby」、リーと踊る「There's Nothin' Like Love」の 3つだ。
 この内、ダンサーとしてのフォッシーの魅力が全面的に発揮されるのは「Alley Dance」(「Got No Room for Mr. Gloom」)だけで、あとの 2つは、その意味では物足りなさが残る。しかし、視点を振付家フォッシーに向けると、いずれも“らしさ”がよく出ていて楽しめるダンス・ナンバーに仕上がっている。具体的には以下の通り。
 「Alley Dance」(「Got No Room for Mr. Gloom」)は、冒頭にも書いた通り『フォッシー』のプレヴュー時に再現されていた、 2人のダンサーが技を競い合うアクロバティックなナンバーで、演技者的にも振付家的にも文句なし。
 「Give Me a Band and My Baby」は基本的に 4人が並んで踊るコミカルなナンバー。あまり踊れないジャネット・リーも含めてのアンサンブル重視のダンスなので、フォッシーにしてもロールにしても派手には踊らないが、振付家フォッシーならではの奇妙な動きが多彩にちりばめられていて、観飽きない。
 「There's Nothin' Like Love」は、『ギヴ・ア・ガール・ア・ブレイク』のレイノルズとの公園でのダンスと設定の似た、中庭でのデュオ・ダンスだが(木を女性に見立てて枝に帽子をかけるのも一緒)、こちらは指鳴らし等の小さい動きを組み合わせた抑えめの振付。おそらくリーが踊れない(踊れないったって全然踊れないわけじゃないよ)がゆえのアイディアだと思うが、それを感じさせないロマンティックな仕上がり。
 こうしたナンバーを“今の目”で観ていると、フォッシーが、衰退し始めている映画ミュージカルの流れに、舞台ミュージカルのダンスの技で抗おうとしているように見えてくる。
 しかし、ブロードウェイ・ミュージカル『パジャマ・ゲーム』の「Steam Heat」を創出した“新進気鋭”の振付家フォッシーを起用したにしては、製作者側の姿勢は曖昧だ。コロンビア映画のハリー・コーンは古臭い自分のダンス観をフォッシーに押しつけようとした、と共演者トミー・ロールは伝記「RAZZLE DAZZLE」で語っているが、だいたい、ホントに踊れるキャストがフォッシーとロール以外にいなかったり、脚本(ブレイク・エドワーズ Blake Edwards と監督リチャード・クインの共同)の力点がショウ場面よりギャグに寄っていて、しかも両者が融合していないので盛り上がりに欠ける結果になっていたりするのは、製作者が本気じゃないか勘どころがわかっていないかどちらかで、これではフォッシーもやりにくかっただろう。
 その証拠に、フォッシーが加わらないダンス・ナンバーは、結果的にはルーティンをこなしている程度の振付にしか見えない。『ワンダフル・タウン』で言えば「Conga!」にあたる、大団円を迎えるための大人数によるナンバー「What Happened to the Conga」のスラップスティック的面白さも生かし切れていないし。

 こうして『マイ・シスター・アイリーン』は、イマイチ煮え切らないミュージカル映画となった。
 ブロードウェイから呼び戻されてこの 1作をハリウッドで作ったフォッシーは、再びブロードウェイに戻った後、自分の舞台振付作の映画化で、 57年『パジャマ・ゲーム』、 58年『くたばれ!ヤンキース』の映画版に関わるが、その後、再び映画の世界に戻ってくるまでに 10年以上の時を要する。そして、監督も兼ねることになる 69年の復帰作『スイート・チャリティ SWEET CHARITY』以降、フォッシーの映画ミュージカルのショウ場面は、それまでの正面からダンサーの全身を長回しで撮るオーソドックスなものから、映画的技法を駆使した凝ったものに変わる。
 その 10年の空白と作風の変化の背景に旧来のミュージカル映画作りが崩壊していった時代があったわけだが、フォッシーがそうした時代の変化を強く予感したのが『マイ・シスター・アイリーン』だったのではないだろうか。そんなことを思いながら観ていると、この振付家フォッシーの映画公式デビュー作にしてミュージカル俳優フォッシーの実質的最終作、なんだかいとおしいものに思えてくる。
 それにしても、わからないのは、フォッシーのクレジットが、なぜか役者・振付ともに“ロバート”・フォッシーとなっていること。『マイ・シスター・アイリーン』最大の謎だ。
 

余談的謎

 さて、以下、余談。

 コロンビアで作られた『マイ・シスター・アイリーン』だが、キャストはまるで MGMだ。
 フォッシーや『キス・ミー・ケイト』に出ていたトミー・ロールの他、主演のベティ・ギャレット、ジャネット・リーは 48年の『ワーズ・アンド・ミュージック WORDS AND MUSIC』にそれなりの役で揃って出ているし、同作品には監督のリチャード・クインも役者として出てくる。また、ギャレット、リー姉妹が住むアパートの大家役は、『ギヴ・ア・ガール・ア・ブレイク』に出ていたカート・カズナーで、彼は『やんちゃ学生』にもチョイ役で出てくる。
 MGMがまとめて貸し出したのか、それとも MGMから役者が離れていった時期だということなのか、これまた謎。

 『ギヴ・ア・ガール・ア・ブレイク』がブロードウェイの主演女優を決める話だということはすでに書いたが、そのオーディションに集まった候補者の中から、作曲者役のカズナーがヘレン・ウッドを見初めるシーンがある。その時にウッドの向かって左隣に立っている女優は、同年に公開された『バンド・ワゴン THE BAND WAGON』で、やはり作曲者役のオスカー・レヴァント Oscar Levant がオーディションで見初める女優だと思うが、どうだろう。

 こうした人の流れについては、今回調べていく中で他にもいろいろと面白いことが出てきたのだが(例えばキャロル・ヘイニーのこととか)、書きだすときりがないので、とりあえず、ここまで。
 長文におつきあいいただきまして、ありがとうございました。

(2/25/2003)


 『ギヴ・ア・ガール・ア・ブレイク』のフォッシーとレイノルズの公園でのデュオ・ダンスをどこかで観た覚えがある、と書きましたが、さっそく NANAさんから情報をいただきました。
 なんと、冒頭に書いた、 NHKでオンエアされたボブ・フォッシー特集番組の中にあったらしい。それも、 [『やんちゃ学生』のジューク・ボックスにもたれかかっているところから始まるナンバー、『ギヴ・ア・ガール・ア・ブレイク』の池ポチャ、『キス・ミー・ケイト』の初振付シーン、そして『マイ・シスター・アイリーン』のダンス・バトル] が続けて出てくるということで、ここで調べたことの全貌が、ほぼ見えてたんじゃん(笑)。ガーン。

 もう 1つ。“ロバート”・フォッシーの謎について、ボブはロバートの略称だという情報をいただきましたが、それは承知の上。すでに流通していたボブを使わずに、ここでだけロバートを使った理由がわからない、ということです。
 僕の言葉が足りなかったですね。同様の疑問を抱く方がいらっしゃるかもしれないので、一応書いておきます。

 あと、これは余談のところで書こうと思っていて書き忘れたこと。
 『マイ・シスター・アイリーン』は、その後 CBSで TVシリーズになったらしい。 60年から 61年にかけて 30分番組で 26回オンエア。で、ですね、そのシリーズの主演(姉妹の姉役)が、イレイン・ストリッチ Elaine Stritch だったんです。ってことは、もしかしてミュージカル仕立てだったんでしょうか。観てみたい!

(2/26/2003)

Copyright ©2003 MIZUGUCHI‘Misoppa’Masahiro

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