『ジェリーズ・ラスト・ジャム JELLY'S LAST JAM』
5/27、7/23/1992、6/6/1993
(VIRGINIA THEATRE,Broadway)


『ノイズ/ファンク』はここから生まれた

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枠からはみ出た印象

 『ジェリーズ・ラスト・ジャム』がブロードウェイに登場したのは、『クレイジー・フォー・ユー CRAZY FOR YOU』と同じ1991-1992年のシーズン。
 この年はミュージカルの当たり年で、トニー賞授賞式当日(5月31日)のニューヨーク・タイムズ“アート&レジャー”欄第1面には、ファンや関係者の喜びを表すように、 [On Broadway, the Lights Get Brighter] という見出しが躍った。
 『ガイズ・アンド・ドールズ GUYS AND DOLLS』の素晴らしいリヴァイヴァルや、エイズを扱ったオフの人気シリーズを集大成した『ファルセットーズ FALSETTOS』など話題作が並んでいたわけだが、『ジェリーズ・ラスト・ジャム』はオリジナリティという点で際立って見えた。
 どこか枠をはみ出している。そんな印象を受けた。

 こちらにも書いたが、ジョージ・C・ウルフ George C.Wolfe脚本・演出の『ジェリーズ・ラスト・ジャム』は、90年代ミュージカルの最重要作『ブリング・イン・ダ・ノイズ、ブリング・イン・ダ・ファンク BRING IN 'DA NOISE, BRING IN 'DA FUNK(ノイズ/ファンク)』の前哨戦的存在でもあったわけだから、定型外の感触があったのも、今になってみれば納得がいく。
 と結論を急ぐ前に――。

 1920年代後半に活躍したジャズ・ミュージシャン、ジェリー・ロール・モートン Jelly Roll Mortonの生涯を描いたこのミュージカル、都合3度観たが、観るたびに何かしら発見があり、理解を深めた気がした。
 1度目(5/27/92)と2度目(7/23/92)のモートン役はタップ・ダンスのスーパー・スター、グレゴリー・ハインズ Gregory Hines(オリジナル・キャスト)、3度目(6/6/93)はブライアン・ミッチェル Brian Mitchell。
 当時書いたそれぞれのリポートを、多少整理しながら古い方から並べるが、2度目には予想外の“事件”が起こったりして、けっこう波乱に富んでるんです、これが。

◆第1回 1992年5月27日20:00〜◆

 自らジャズの創始者を名乗ったニューオーリンズ生まれのジェリー・ロール・モートンは、白人の血の混じった黒人=クレオールであることに誇りを持ち、他の黒人を差別する。
 自分は黒人ではないという意識と、自分の音楽がまぎれもなく黒人のものであるということの狭間で揺れ動きながら、モートンは誰にも愛されずに死んでいく。
 簡単に言えばそういった内容。

 まず、ジェリー・ロール・モートンの死の日、という設定で全体のムードを決定しているのがうまい。冒頭で不吉なイメージを植えつけられる。
 死の床にあるモートン自身が死神のような男(チムニーマン)の案内で自分の人生を振り返る、という構成。

 ただし、沈鬱な場面ばかりではなく、むしろ陽気で喧騒的な歌とダンスがたくさん詰まっている。が、やはり見終わった時には、単純に「楽しかった」とは言えない複雑な“何か”を感じる。
 それと同時に、ある種さわやかな感動があるのも確かだ。
 その感動とは、おそらく、このショウの持つテーマとは別に、これだけの素晴らしいショウを作り上げた人々の情熱に対する感動なのだ。

 グレゴリー・ハインズは、重量感のあるタップを前面に出したダンスが、やはり素晴らしい。89年パルコ劇場でのワンマン・ショウで見せたショウマンシップたっぷりの陽気なイメージとはひと味違った、陰影の深い人物像を作り上げた演技も見事だった。
 若き日のモートンを演じるサヴィオン・グローヴァー Savion Gloverも、ダンス、演技、共に達者。
 『タップ・ダンス・キッド THE TAP DANCE KID』(1983) でブロードウェイ・デビュー、映画『タップ TAP』に出演、『ブラック・アンド・ブルー BLACK AND BLUE』(1989) でトニー賞にノミネート、という豊かな経験を持つだけのことはある。
 もちろん、その他のダンサーたちも20年代の狂騒的で頽廃的な雰囲気のダンスをたっぷり見せ、文句なし。

 トニー賞受賞の照明はもとより、舞台装置も衣装も、陽気さと不吉さとが背中合わせになった世界を巧みに表現して、ドラマとダンスを盛り上げていた。

 受賞はしなかったが、トニー賞にノミネートされたジョージ・C・ウルフ の脚本がやはりよく出来ているのだろう、しっかりした骨組みの見応えのあるショウだ。

 [複雑な“何か”]なんて言い方が、いかにも本質を捉えきってない感じ。
 でも、これが実感だったわけだが、ここで、5月31日(トニー賞授賞式当日)、及び6月1日(授賞式翌日)のニューヨーク・タイムズに出た3つの記事を紹介する。このミュージカルがどんな風に注目されていたかが、よくわかると思う。

 まずは、当時のニューヨーク・タイムズ劇評担当の親玉だったフランク・リッチ Frank Richによるトニー賞授賞式当日の“アート&レジャー”欄第1面の記事から。

 〔『ジェリーズ・ラスト・ジャム』『ファルセットーズ』で注目すべきなのは、最良の新しいアメリカ舞台劇を作り出す現代的情熱をミュージカルの劇場に持ち込んだことだ。
 ウルフ氏(ジョージ・C・ウルフ)が考えた通り、『ジェリーズ・ラスト・ジャム』は、単に黒人対白人のメロドラマという外面的出来事としてでなく、アフリカ系アメリカ人たちのアイデンティティ (及び彼らの人種差別主義との戦い) を彼らの内側から見せることで、アフリカ系アメリカ人を正しく描いた最初のブラック・ブロードウェイ・ミュージカルである。
 ウルフ氏のテーマに対する深い見識、洗練、そして誠実さは脚本と演出に反映され、新しいミュージカルのスタイルを作っている。彼は、ジャズやブルース、そしてショウビジネス界では無類の影響力を持つグレゴリー・ハインズのタップ・ダンスをただ並べてみせたりはせず、ダンスで表現された痛みや激しい怒りと同様に、音楽の人種的政治的意味を暴き出そうとする。
 このショウが……刺々しく (最後のナンバーを除いて) 非妥協的だが……様々な人種を含んだ観客によってヒットしつつあるのは、ブロードウェイ文化の歴史における画期的事件と言えそうだ。〕

 次は、グレン・コリンズ Glenn Collinsという人のトニー賞翌日のコラムから。
 トニー賞で、『ジェリーズ・ラスト・ジャム』は、ミュージカル作品賞を含む今シーズン最多の11部門にノミネートされたが、主演男優グレゴリー・ハインズ、助演女優トンヤ・ピンキンズ Tonya Pinkins、照明ジュールズ・フィッシャー Jules Fisher の3部門受賞に終わった。そのあたりのことについて書いている。

 〔(トニー賞発表の夜) 何人かの劇場関係者はこう考えた。
 ほとんどのトニー賞選考委員は、過ぎ去った栄光のブロードウェイを蘇らせたことで『クレイジー・フォー・ユー』を (ベスト・ミュージカルに) 選んだ。
 一方、ジェリー・ロール・モートンの人種差別主義に対する痛烈な問いかけをもった『ジェリーズ・ラスト・ジャム』は、研磨剤のように選考委員の神経を激しく逆なでしたんじゃないか。〕

 最後に紹介するのはフランク・リッチの記事と同じ日に載った読者の投稿記事。
 長年“ジェリー・ロール・モートンの世界”というコンサート・ツアーを行なっていると自己紹介するボブ・グリーン Bob Greeneなる人物が、5月3日のニューヨークタイムズに載ったというデビッド・リチャーズ David Richards による『ジェリーズ・ラスト・ジャム』評について、次のような主旨で異議を唱えている(要約です)。

 リチャーズは、『ジェリーズ・ラスト・ジャム』が史実にかなり近いものでありジェリー・ロール・モートンの人格をよく考えて作られている、と言っているが、モートンの研究家であり演奏者である私に言わせれば、見方がかなり歪んでいる。
 ジェリー・ロール・モートンは独創的な作曲者でありピアニストであり楽団リーダーであった。そして、人種差別主義者ではなかった。
 厳しいが輝かしく創造的な人生を送ったモートンは、自分の亡霊がブロードウェイで辛いめに会わされていることに複雑な感情を抱くかもしれない。

 最後の投書には“モデルと創作”という微妙な問題が絡んでいるが、ともあれ、『ジェリーズ・ラスト・ジャム』が、何かしら従来のブロードウェイ・ミュージカル像とは違う部分を抱えていたことは、こうした記事からもうかがえる。


拍手で中断した舞台

 さて、問題の“事件”が起こったのは2度目。暑い真夏の出来事だった。

◆第2回 1992年7月23日20:00〜◆

 第1幕第2景、主演のグレゴリー・ハインズと子役のサヴィオン・グローヴァーがタップの競演をする最初の大きな見せ場があって、拍手と歓声がワッと来る。
 普通なら、その拍手と歓声が静まり、狂言回しチムニーマンが次の景へと進行させる。
 ところが、この日、いつまでも拍手を止めない男性客が1人いた。
 「ミスター・ハインズは素晴らしい! もう一度 (今のタップを) 観たい!!」そう叫びながら立ち上がって拍手を続けている。
 おかげでチムニーマン役のキーズ・デイヴィッド Keith Davidは次のセリフに入れない。
 観客は「おいおい、いい加減にしろ」と思いつつもハインズの様子をうかがう。
 困惑した表情でこちらも動くに動けないハインズ。――が、ついに叫んでしまう。
 「Oh, no!」

 これが“事件”の全容で、その後は何事もなかったように進んでいった (というのもすごい) のだが、その時のハインズの困惑の表情が目に焼きついて消えず、そこに、「ミュージカルの“芸術的野心”と“娯楽性”」という難問が潜んでいるのを見た気がした。

 フランク・リッチの言葉を借りれば、『ジェリーズ・ラスト・ジャム』は、〔単に黒人対白人のメロドラマという外面的出来事としてでなく、アフリカ系アメリカ人たちのアイデンティティ(及び彼らの人種差別主義との戦い) を彼らの内側から見せることで、アフリカ系アメリカ人を正しく描いた最初のブラック・ブロードウェイ・ミュージカル〕であり、脚本・演出のジョージ・C・フルフは〔ジャズやブルース、そしてショウビジネス界では無類の影響力を持つグレゴリー・ハインズのタップ・ダンスをただ並べてみせたりはせず、ダンスで表現された痛みや激しい怒りと同様に、音楽の人種的政治的意味を暴き出そうと〕している。
 これが、このミュージカルの“芸術的野心”だ。

 にもかかわらず、やはり〔ショウビジネス界では無類の影響力を持つグレゴリー・ハインズのタップ・ダンス〕や慣れ親しんだ〔ジャズやブルース〕があるからこそ、観客は安心して楽しむ。
 これが、このミュージカルの“娯楽性”だ。

 “芸術的野心”と“娯楽性”。
 この2つの要素は必ずしも相反するものではなく、また、全体を10として一方が7一方が3という風に補完し合うものでもない。同時に存在し得るものであり、ミュージカルに限らず商業芸術にとっては、どちらも、なくてはならない要素だ。
 しかし、その両者の必要性が、ことブロードウェイ・ミュージカル (オフ・ブロードウェイまで含めてもいい) においては非常に高いのではないか。
 と言うのは、ロングランによって興行の成立するニューヨークでミュージカルをヒットさせるためには――、

 A)スタート時点で興行の成否を決定する批評家や演劇好きのニューヨーカーたちの、誇りと愛情に裏打ちされた先進的で辛辣な目
 B)ロングランを支える観光客の、本場で高い料金で観るのだから確実に楽しませてくれるものだけを観ようとする貪欲な目

 ――の両方を高い次元で満足させることが必要であり、乱暴に言えば、A)が“芸術的野心”を、B)が“娯楽性”を強く求めるからだ。

 『ジェリーズ・ラスト・ジャム』は、ヴォルテージの高い“芸術的野心”を“娯楽性”とうまく融合させロングランへ向けてひた走っている、とりあえずの成功作だ。
 人々は〔グレゴリー・ハインズのタップ・ダンス〕の持つ高度な“娯楽性”に満足すると同時に、そうした芸を中心にして斬新な何かを表現しようとする“芸術的野心”に感動する。
 単純に言えばそういうことなのだが、しかし、7月23日のハインズの叫びは、こうした成功作においてすら、その両者のバランスが非常に微妙なものであることを物語っていた。
 それは、舞台の核であるグレゴリー・ハインズが名の通ったスターであるがゆえのジレンマだとも思うのだが。


見えてくるタップの意味

 3度目は約1年の間を置いて翌年のトニー賞授賞式当日のマチネー。
 グレゴリー・ハインズが降りてからひと月後の舞台、その変貌やいかに。

 

◆第3回 1993年6月6日15:00〜◆

 スーパースター、グレゴリー・ハインズの降板に際しては、さすがに細心の注意が払われたようだ。
 主役のジェリー・ロール・モートンが、ハインズからブライアン・ミッチェルに替わったのが5月4日。そのほぼ1か月前の4月6日から、ジェリーをあの世へ案内する狂言回し、チムニーマンに、72年の『ピピン PIPPIN』でスターになった (トニー賞受賞) ベン・ヴェリーン Ben Vereen を配したのは、おそらく、スターのイメージの移行――ハインズの『ジェリーズ・ラスト・ジャム』からヴェリーンの『ジェリーズ・ラスト・ジャム』へ――をスムーズにするためだと思う。

 同時に、そのスターの入れ替わりによって、劇中でのジェリーとチムニーマンとの比重が変わり、ミュージカル全体のイメージが大きく変わった。
 そのことにはっきり気づいたのが、第1幕第2景「THE WHOLE WORLD'S WAITIN'TO SING YOUR SONG」でのグレゴリー・ハインズと少年時代のジェリーを演じるサヴィオン・グローヴァー Savion Glover (体がひと回り大きくなった) とのタップの競演の後。

 前回にも書いたことだが、昨年の7月23日、ここで客の1人 (俗に“ブラボーおやじ”と呼ばれる類の人) がしつこくアンコールを送り、次のセリフを言うべきチムニーマンが立ち往生するという事件があった。最終的にハインズに「Oh, no!」と叫ばせてしまったこの事件は、よくも悪くも、このミュージカルがグレゴリー・ハインズというスターのタップ・ダンスによって成り立っていることを示した。
 ところが今回は、2人のジェリーのタップ競演の後、間髪を入れずに「ブラボー!!」と陽気に叫んで積極的に話を進めたのは、チムニーマンなのだ。ベン・ヴェリーンの陽性のスター性を生かした演出によってチムニーマンの役が膨らみ、ジェリーと同等の重みを持つ人物になっていたのだ。

 これは、A)昨年7月23日の事件の再発を防ぐための変更なのか。あるいは、B)ハインズがミッチェルに替わったことで観客の反応が鈍るのを補うためなのか。
 A)の可能性がないではない。が、B)はない。ミッチェル=グローヴァーの競演は充分に受けていたから。

 しかし、むしろここでは、チムニーマンを膨らますことで、ハインズが主役であるがゆえにグレゴリー・ハインズ・ショウにならざるを得なかった作品の全体像を、より鮮明に見せたことの方が重要だ。
 すなわち、白人の血の混じった黒人=クレオールであることに屈折した誇りを持つがゆえに一時は時代の寵児になりながらも最後は誰にも愛されずに死んでいく、というジェリーの皮肉な悲劇を掘り下げていった全体像を (これまでも頭ではわかっていたが、今回は感情の部分に深く入り込んできた)。
 僕はどちらかと言えば“ショウ場面至上主義者”で、ハインズやサヴィオンのタップの見せ場があるだけで充分だったりはする。それはそうなのだが、今回ハインズの求心力から解き放たれて全体像が鮮明に見えたことで、このミュージカルのタップの意味についても気づいて、その深さに感動したのだ。

 グレゴリー・ハインズだからタップを踊るのは当たり前だと思って観ていた。が、よく考えれば物語の上ではタップは必然性がない。アステア映画等でもタップには一応の必然性が用意されているが、ここにはそれはない。なにしろジェリー・ロール・モートンはダンサーではなくピアニストなのだから。
 しかし、そうした演出上の困難を承知の上で、あえてタップを導入したのはなぜか。
 答は、タップの表現力の深化。人間ドラマと有機的に結びつけることで、タップの持つ感情表現の力をより深く豊かに発揮させようとしているのだ。
 それは、何気なく見えるが、実は、かなり画期的なことなのではないか。

 今年のトニー賞授賞式でジョージ・C・ウルフは、『エンジェルズ・イン・アメリカ ANGELS IN AMERICA:MILLENNIUM APPROACHES』というシーズン最大の話題作となったプレイの演出で受賞しながら、あいさつの最後に「I love JELLY'S LAST JAM's casts!」と叫んだ。もちろん宣伝の意味もあると思うが、彼がそう言わずにはいられない気持ちが、よくわかる気がした。グレゴリー・ハインズ降板後も踏ん張っている『ジェリーズ・ラスト・ジャム』は、この気鋭の演出家にとって大きな誇りなのだ。
 その鋭い演出の力が、今回、ようやく見えてきた。

 屋台骨を背負うことになったベン・ヴェリーンの好演はもちろんだが、グレゴリー・ハインズの後という重いプレッシャーを負って、ブライアン・ミッチェルもよくがんばっている。ジェリーのイメージを変えない方針らしい演出にのっとった、ハインズの特徴を受け継ぎながらの演技とタップの大変さは、想像に余りある。
 ただし、ミッチェルの白人的な容貌は、クレオールであるがゆえの屈折を持った主人公を演じるのによりふさわしく、今回、ジェリーが親友を黒人として侮辱する場面で客席からブーイングが起こったのは、その効果によるところも大きいと思う。

 しかし、1か月のハインズとヴェリーンの共演期間中は、どんな舞台だったのだろう。観た人がいたら聞いてみたい。


受け継がれた野心

 『ノイズ/ファンク』は、レヴュー形式をとっているということもあるが、『ジェリーズ・ラスト・ジャム』より抽象性が高い。にもかかわらず成功を収めつつあるのは、ひとつには時代の空気があるだろう。
 ヒップ・ホップの商業的成功なくしては『ノイズ/ファンク』の成功もなかった。
 それは間違いないが、彼らが巧みにヒップ・ホップを取り入れて成功した、というわけではないことを、特にミュージカル製作に携わる人たちは銘記しておいてほしい。

 『ノイズ/ファンク』の表現の新しさは『ジェリーズ・ラスト・ジャム』からスタートしている。そこで試みたタップ・ダンスの新たな表現が、サヴィオン・グローヴァーを軸にした若い世代のダンサーによってさらに模索され、深化された結果が『ノイズ/ファンク』のストリート・タップになった。
 その背景には、何世代にも及ぶエンタテインメントとしての自分たちの芸に対する再考察と、アフリカン・アメリカンである自分たちのアイデンティティの再検証があったはずだ。
 スタイルの模倣だけではとうてい及ばない芸の深さと志の高さが、そこにはある。

 それにしても、この『ジェリーズ・ラスト・ジャム』から『ノイズ/ファンク』へのダイナミックな流れ、アメリカン・ミュージカルの底力を見せつけられるようでスリリングだった。
 さらに付け加えれば、この変遷を見ていたので、畏友・萩原健太が言うところの、ヒップ・ホップはジャズの90年代的展開だ、という意味が僕には実感できる。

※7月23日分のリポートを書くにあたって、大平和登著「ブロードウェイ」(作品社)のロングランに関する記述を参考にしました。

(7/28/1997)

Copyright ©1997 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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