[ゆけむり通信Vol.40]

9/1/2000
『ママ・ミーア! MAMMA MIA!』


柳の下に 2匹目のフィーバー?

 前回のロンドン訪問の時にはプレヴュー開始直前で観られなかったのだが、そうこうするうちにチケット入手困難の噂が聞こえるヒット作となったのが、この『ママ・ミーア!』
 先日、レコード店でオリジナルキャスト CD の日本盤を見かけたが、元になったアバ ABBA (正式には 1つめの B が裏返しなのはごぞんじの通り)の原曲邦題に倣って、作品タイトルも『ママ・ミア!』という表記にしてあった。しかしながら、楽曲タイトルは「Mamma Mia」で“!”がないわけだから、この際ミュージカルのタイトルとは別物と考えて、ぜひとも歌っている印象に近い『ママ・ミーア!』という表記で押したい。――なんてことは、実はどうでもいい(笑)。
 とにかく、ロンドンでのヒットの余勢を駆ってブロードウェイ『キャッツ CATS』の後がまに決まったこの作品。僕がこちらで指摘したロンドン産ミュージカルの特徴の 1つ、“コンサート的ノリ”を基調にした舞台作りで、その意味では、同じロンドン産でも、『キャッツ』より、むしろ『サタデー・ナイト・フィーバー SATURDAY NIGHT FEVER』に近い。なにしろ、往年のアバのヒット曲が 20曲以上歌われるのだから、『サタデー・ナイト・フィーバー』同様、劇場の気分が仮想ディスコ化するのは、当然と言えば当然だ。
 そんなわけで、 [表現の深みや芸術性の高さは求めず、そういう娯楽作品なんだと割り切ることが出来れば、まずは楽しんで観ていられる] という『サタデー・ナイト・フィーバー』に対する評が、そのまま流用出来る、柳の下の 2匹目のドジョウ的作品。したがって、ブロードウェイでのヒットは望み薄なのではないか、というのが僕の推測。

 ギリシアの小島に住む 20歳のヒロイン、ソフィは、会ったことのない 3人の男性に宛てて手紙を出す。もうじき迎える自分の結婚式に来てもらうためだ。そのわけは――。
 母と 2人で暮らしてきたソフィは、父親のことを知らなかった。それが誰なのかも。ソフィの母ドナは元歌手で、昔“アバのような?”女性 3人のグループを組んでいた。ソフィを身ごもったのは、そんな時代の話。盗み見たドナの日記から類推して、その頃彼女に言い寄っていた男性は 3人。だったら、この際 3人とも呼び寄せて、結婚式と同時に父親探しもやってしまおう。――これがソフィの魂胆。
 結婚式前日、父親容疑者たちがそろって島にやって来る(彼らは友人同士)。でもって、迎え討つは、ドナとかつての歌手仲間の、こちらも 3人(この辺で話の成りゆきが、なんとなく見えてくる)。
 ソフィに個別に事情を打ち明けられた 3人のおじさんたちは、全員が自分こそ父親だと思い込むが、母親たるドナは真相を明かすどころか、何を今さらって感じ。予想に反してこじれる話に、ソフィはすっかり混乱。一方、ソフィの婚約者とその仲間たちは、バチェラー・パーティで勝手に盛り上がる。結婚式前夜の島は、わけのわからないドンチャン騒ぎに突入してしまい……。
 さあ、どうなる!? ――っつったって、劇中の当事者はともあれ、観客にとっては深く感情移入するほどの事件じゃないし、仮にコメディとしてとらえても、ひねりが足りない。予想通りに大団円を迎える第 2幕=結婚当日であってみれば、まあ、お話(脚本/キャサリン・ジョンソン Catherine Johnson)は“他愛ない”と言って差し支えないだろう。
 むしろ、アバの楽曲の内容にふさわしい状況を作り出すのに都合のいいストーリーを(言葉は悪いが)でっち上げた、という印象。ソフィの母がかつて歌手としてアバ風のグループを組んでいた、なんていうのは、それを実現するための強引な設定としか思えない。
 もっとも、作品そのものに、「A New Musical based on the songs of ABBA」というサブタイトルが付いているのだから、とやかく言う方が野暮なのかも。

 そう、とにもかくにも、この作品の肝は、アバのヒット曲がガンガン歌われるところにある。言ってみれば、ミュージカル仕立てのアバの疑似コンサートのようなもの。
 そうした製作サイドのねらいを裏打ちするように、楽曲の基本的なアレンジは、あくまでオリジナルに近く、しかもオリジナルの魅力を超えないというカラオケ状態。シンセサイザー主体のその音色には繊細さがなく、音量は劇場サイズに比べて大きすぎる。
 楽曲の挿入のされ方も、前述したように、楽曲に合わせてストーリーを組み立てたのでは? と感じるぐらい安易。唯一、偶然(!?)見つけたギターを爪弾いて歌い始めるところに別の人物が加わる、という工夫が「Thank You for the Music」のシーンであるが、これとても、ギターでコード名を言いながら歌い始める『グリース GREASE』の「Those Magic Changes」に酷似。ダンスにしても、第 2幕冒頭の幻想的ダンス・シーンが、力の入った演出ゆえに逆に異質に見えてしまうほど、この作品のミュージカル・ナンバーにはアイディアがない。
 まあ、でも、観客の期待が別のところにあるのであれば、それも問題なし。出演者がひたすら気持ちよくアバ的に歌うのを聴かせていただくのが、この作品の楽しみ方ってもんなのだろう。

 そうした、総じて他愛ない舞台にあって、かろうじて芸を見せてくれるのが、ドナの仲間ロージーとターニャを演じる 2人の女優(すでに主要キャストはオリジナルではなくなっているが、とりあえず僕が観たのは、ロージー=レズリー・ニコル Lesley Nicol、ターニャ=ルイーズ・ゴールド Louise Gold)。彼女たちが歌うところは、それぞれのキャラクターを生かした、“ノリ”だけでないショウ場面になっていて、多少ホッとする。
 まあ、他の役者にしても、彼らに問題があるわけではなく、作品が彼らの芸を引き出す作りになっていないので、力量を知る機会がないということなのだが。

 半円形に弧を描いたギリシア風の白壁 2つの組み合わせを様々に変えて場面転換とする装置は、シンプルでありながら効果的(人力で動かしていたのが大劇場では珍しい)。青を基調にしたバックとの対比も美しい。床に埋め込まれている遊歩道状の板張りが浮き上がって、艀になったりするアイディアも、大げさな装置の多いウェストエンドの舞台にあっては、使い方が適度で好感が持てた。装置/マーク・トンプソン Mark Thompson。

 「話は他愛なくてもいい、演出や演技で芸を見せてほしい」――これまた『サタデー・ナイト・フィーバー』同様のキャスト全員によるコンサート式(ロンドン式と言ってもいい)カーテンコールの「THE 夜もヒッパレ」的盛り上がりを観ながら、僕はそう思わずにいられなかった。

(9/28/2000)

Copyright ©2000 Masahiro‘Misoppa’ Mizuguchi

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