[ゆけむり通信Vol.33]

3/16/1999
『オクラホマ! OKLAHOMA!』


古びる名作もある

 [ゆけむり通信Vol.33 INDEX] には [来シーズンのブロードウェイ入りを目指す] 作品だと書いたのだが、その計画が、上演権所有者の意向によって立ち消えになったらしいという話を、ロンドンからの帰国直後に、来日(?)中の大平和登氏からうかがった。さもありなん。異国の都ロンドンではともかく、故郷ニューヨークでは、物語を支える心情が、今は受け入れられないだろうと思った。

 「歌、踊り、物語がみごとにとけあっている。ロジャースのスコアは彼の作品のなかでもベストのひとつであるといえば十分だろう。ハマースタインは本格的でオリジナルな台本と親しみやすい歌詞を書いた。アグネス・デ・ミルはちょっとした奇跡を起こした……アメリカ演劇の傑作である。」

 アラン・ジェイ・ラーナー Alan Jay Lerner 「ミュージカル物語 The Musical Theatre: A Celebration」(筑摩書房)からの孫引きだが、ヘラルド・トリビューンに載った初演評だ。『オクラホマ!』は、ミュージカル史上最も画期的な作品のひとつとして、すでに評価が定まっている。
 しかし、いかに名作であっても、古びることもあるのだ。ことに、リチャード・ロジャース Richard Rogers & オスカー・ハマースタイン 2世 Oscar Hammerstein K コンビの作品は、作者たちが(無意識の内にか?)抱えていたイデオロギーから古びる可能性が高いのではないだろうか。

 ロジャース&ハマースタインの第 1作として知られる『オクラホマ!』の初演は 1943年。以降 2人は 1959年の『サウンド・オブ・ミュージック THE SOUND OF MUSIC』まで舞台ミュージカル 9作品(他に『回転木馬 CAROUSEL』『アレグロ ALLEGRO』『南太平洋 SOUTH PACIFIC』『王様と私 THE KING AND I』『私とジュリエット ME AND JULIET』『パイプ・ドリーム PIPE DREAM』『フラワー・ドラム・ソング FLOWER DRUM SONG』)を共作するが、その 17年間は、アメリカが第 2次世界大戦に本格参入してから終戦後文字通り世界一の大国になっていく道程と、ピッタリ一致する。
 それまで、ロレンツ・ハート Lorenz Hart と組んで、洗練された都会的な作品を書くことの多かったロジャースが、ハートの精神的・肉体的トラブルという不可避の理由で長年のコンビを解消した後、『ショウ・ボート SHOW BOAT』の作者の 1人であるハマースタインと組んでナショナリズムの気分漂う作品群(『アレグロ』『私とジュリエット』『パイプ・ドリーム』は全く観たことがないので、そういった作品かどうかわからないが)を作り始めたのは、時代の必然だったのかもしれない。
 特に 4作目の『南太平洋』以降は、物語の舞台が、太平洋戦争下の南太平洋の島(『南太平洋』)、 19世紀半ばのタイ(『王様と私』)、サンフランシスコのチャイナタウン(『フラワー・ドラム・ソング』)、 30年代後半のオーストリアのチロルの町(『サウンド・オブ・ミュージック』)と、異国(あるいは国内の異国)に広がっていく。この方向は、反植民地主義国家にして民主主義社会の尖兵を自認していた当時のアメリカの心情と見事にシンクロしている。

 『オクラホマ!』が開幕した 1943年は、アメリカがそれまでの孤立主義から、そうした積極外交へと本格的に転換していった時期にあたる。もちろん戦時下でもあり、ナショナリズムの気運が高まっていたに違いない。文献をひもとけば、ブロードウェイでも、大恐慌以降多く見られた政治風刺的な作品が、この頃までにはすっかり影を潜めていたことがわかる。
 そんな時代に登場した『オクラホマ!』の舞台は、今世紀初頭のアメリカ中西部。新たな可能性(利益)を求めて突き進む開拓民たち(白人たち)の世界だ。
 半世紀を隔てた相似形。(白人の)自由世界を守るために海外へ軍隊を送り出す時代にぴったりの題材となった。
 さらに半世紀経った今回、ウェストエンドでのリヴァイヴァルを観ながら強く感じたのは、作品の底に流れる“不寛容”の気分だ。

 物語はこうだ。
 オクラホマのある村では毎年、ボックス・ソーシャルと呼ばれるイヴェントが行なわれる。若い娘たちの作ったランチを競売にかけ、競り落とした男はその娘とデートできるという、一種のパーティだ。
 牧童のカーリーはボックス・ソーシャルに、牧場主の姪ローリーを誘って行きたい。ところが、牧童と反目する農夫の 1人で乱暴者のジャドもローリーを狙っている。ローリーはカーリーの気を惹くために、ジャドと出かけるなどと言ったりもするのだが、結局はカーリーの申し出を受ける。にもかかわらず、カーリーと出かけるとジャドによって不吉なことが起こる夢を見たローリーは、直前になってジャドの誘いに OKしてしまう。
 ボックス・ソーシャル当日、農夫と牧童が一堂に会するピリピリした空気の中で、ローリーのランチは、ジャドとの激しい競り合いの末、カーリーが落とす。そして、カーリーとローリーの結婚も決まる。
 一件落着かと思いきや、結婚式にジャドが乱入。カーリーを殺そうとし、返り討ちに遭う。カーリーは殺人罪で逮捕されそうになるが、村の判事がそうはさせじと、その場で急遽裁判を開き、正当防衛で無罪にしてしまう。
 これに、判事の娘で惚れっぽいアド・アニーをめぐって 2人の男が恋の鞘当てをする別の三角関係も絡んで、そちらはユーモラスに描かれるのだが、あくまでサブの話。

 他愛ない恋物語に勧善懲悪の味つけをしたようにも見えるが、僕には、善意の共同体が、内部の異物を徹底したやり方で排除する話に思えた(急ごしらえの法廷での無罪宣告は、リンチの正当化だとも言える)。しかも、異物であるジャドは、どうしようもない陰鬱な乱暴者として描かれるが、意味なく周りと折り合うことを嫌う個人主義者だという見方も出来るのだ。
 アメリカの暗黒面とも言える、そうした部分がクロースアップされる結果となったのは、イギリス人が作ったせいなのか、それともオリジナルからそうだったのか。
 僕には、オリジナルがすでに抱えていた問題だったが、当時は、時代の気分がそこに目を向けさせなかった(あるいは、むしろ歓迎した)のではないかと思えてならない。

 今回の『オクラホマ!』は、 93年の『回転木馬』に次いで、キャメロン・マッキントッシュ Cameron Mackintosh とロイヤル・ナショナル・シアター Royal National Theatre が組んで製作したロジャース&ハマースタイン作品リヴァイヴァル第 2弾だが、演出(トレヴァー・ナン Trevor Nunn)、振付(スーザン・ストロマン Susan Stroman)、装置・衣装(アンソニー・ワード Anthony Ward)、照明(デイヴィッド・ハーシー David Hersey)などの主要スタッフは全て替わっている。にもかかわらず、一見くすんだ、しかしその底に華やかさを秘めた、視覚的な仕掛けの多い、“立派”な舞台に仕上がったのは前作同様。
 ことに装置は、『回転木馬』とはやや趣が違うが、象徴的で大胆な造形が施されているのは全く同じで、強く印象に残る。凹レンズで覗いた時の地平線のように U字形にえぐれた背景(その向こうにオーケストラがいるのを最初だけ見せ、ふさいだ後は様々な表情の空となる)や、幕の表面にズラリと並んだ立体的なトウモロコシや、骨組みだけの大きな納屋など、アイディアも優れている。
 そうした装置や、鮮やかさを抑えてはいるが美しい衣装の色彩を生かす、落とし気味の照明も、渋い効果を上げる。
 『回転木馬』では、亡きケネス・マクミラン Kenneth MacMillan の振付がウェストエンド、ブロードウェイの双方で大きな賞賛を浴びたが、今回登用されたスーザン・ストロマン(『ショウ・ボート』の仕事ぶりを認めてということか)は、得意の小道具を使っての細かい振りを組み合わせたダンス(特に最初のダンス・シーン)などで充分に力を発揮する他、オリジナル舞台でアグネス・デ・ミル Agnes de Mille が名を挙げた、最大の見せ場である第 1幕最後のバレエでも、古典を踏まえた確かな技量を見せる。
 ダンスも含めて、役者のレヴェルも上々だった。
 しかし、そうした視覚的なうまさが物語をリフレッシュさせたかと言うと、そうでもない。むしろ、見た目の“立派”さと物語のテイストとが必ずしも噛み合わず、極端に言えば(極端に言えば、ですよ)、空虚な感じすらした。

 舞台としての完成度だけに目を向けるのならともかく、作品の背後に横たわる思想のようなものを考え合わせると、ロジャース&ハマースタイン作品の多くは、古びることから逃れられないのではないだろうか。

 と言いつつも、録画予約しようっと(笑)。

(12/31/1999)

Copyright ©1999 Masahiro‘Misoppa’ Mizuguchi

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