『ケイプマン』関連記事

 2度目の『ケイプマン THE CAPEMAN』観劇記に合わせて、内容が関連する「レコード・コレクターズ4月号」に書いた記事を掲載します。このサイトの読者と同誌の読者はあまり重ならないと思うので(笑)。
 ミュージカル・ファンではなく音楽好きの人向きに書いてあるので、ちょっと違和感があるかもしれませんが、逆にこのサイトではあまり書かない俯瞰的な記事なので、かえって面白い部分もあるのではないかと思っています。書いたのは1月頃で、『ケイプマン』のクローズが決まる直前でした。
 なお、タイトル・人名の原語表記、及び他のページへのリンクは省略させていただきました。

 ここ数年、ロック/ポップス畑で活躍してきた大物アーティストたちのアメリカ・ミュージカル界への進出が相次いでいる。
 93年 4月にブロードウェイで幕を開け、その後ロンドンに逆輸入もされた『トミー』のピート・タウンゼンド。カリフォルニアのラ・ホーヤ・プレイハウスで『ファウスト』を作ったランディ・ニューマン。最近「ミュージカルを作るつもり」発言をしたビリー・ジョエル。プロデューサーとしてだが、オーストラリアでの舞台に関わるというマイケル・ジャクソン。現在進行形で言えば、ポール・サイモンとエルトン・ジョン。共にブロードウェイで上演中のミュージカルの主要スタッフとしてクレジットされている。
 ミュージカル・ファンとしてはうれしい限りだが、その試み、みんながみんな成功しているわけではない。

 うまくいったのは、こうした動きに先鞭をつけた形のピート・タウンゼンドと、円熟エルトン・ジョンのイギリス勢。
 タウンゼンドは、デス・マカナフ(演出)、ウェイン・シレント(振付)といった気鋭の舞台人とがっちり手を組み、すでに高い評価を得ていた自作のストーリー改変を認めるほど柔軟な姿勢を見せて、舞台版『トミー』を成功に導いた。
 エルトンの場合は映画版の仕事(作曲)が舞台に持ち込まれた形だが、その作品『ライオン・キング』は今季ブロードウェイ最大のヒット作となること必至。ここでは、作詞にティム・ライス(『ジーザス・クライスト・スーパースター』『エヴィータ』)、舞台版演出に昨シーズンのトニー賞ノミネートで注目を浴びた奇才ジュリー・テイモアを起用したディズニーの周到さが光る。

 うまくいかない組はランディ・ニューマン、ポール・サイモン。
 ニューマンの『ファウスト』が上演されたラ・ホーヤ・プレイハウスは、実はデス・マカナフが 94年まで芸術監督を務めていた、舞台版『トミー』誕生の地。『ファウスト』の初演は 95年で、結局ニューヨークには向かわなかった(従って未見)。理由は不明だが、要するに当たりそうになかったのだろう。
 先ごろ楽曲集 CD が日本版でもリリースされたサイモンの『ケイプマン』は、今まさに苦戦中。地方公演なしで始めたプレヴューの仕上がりがうまくいかず、正式オープンを3週間繰り下げて新たに手練の演出家と振付家を投入、建て直しを図って初日を迎えたが、新聞の劇評はことごとく悪かった。脚本・演出が平板すぎる、というのがプレヴューを観た印象。ブロードウェイ初と言っていい本格的なサルサ編成のバンドをバックにルベーン・ブレイズ、マーク・アンソニーらが達者な歌を聴かせる音楽は素晴らしいのだが。

 まあ、当たってなんぼの世界だが、とは言え、スター俳優に頼ったリヴァイヴァルや今日性のかけらもないようなアンドリュー・ロイド・ウェバーもどきのそこそこの作品などより、『ファウスト』『ケイプマン』は楽曲の質や作者の志の点で価値がある。さらに楽曲に限って言えば、舞台用オリジナルという点で『トミー』『ライオン・キング』よりも大きな意味を持つ。

 「ミュージカル・シアターは世界で起こっている出来事のバロメーターだった。その後だんだん顧みられなくなってしまったけれど、ぼくはミュージカル・シアターをやってみたいんだ」
 ヴァン・ダイク・パークス、88年の発言だ(北中正和『「楽園」の音楽』より)。この時パークスは、今のブロードウェイは「ひどい状態だ」と批判した上で、「ミュージカル・シアターは、社会の改善や文化の創造のために使われるべき」だと言っている。
 ここに感じられるのは、舞台ミュージカルという表現形態に対するロマンティックな愛情だ。そして僕は、その背景に、舞台ミュージカルこそ“アメリカが生んだ”最高のエンタテインメントであるという誇りを見る。
 おそらく、こうした思いが、ニューマンやサイモン、ジョエルあたりにもあるんだと思う。でなければ、ビジネスとしてはリスクの大きいこの世界に積極的に足を踏み入れたりしないんじゃないだろうか。ヒット・チャートの世界に疲れた“年寄り”の余技と言うには、この世界もハードすぎると思う(笑)。

 一方で、ミュージカル界が新たな楽曲提供者を求めているのも確かで、2年前に『レント』『ブリング・イン・ダ・ノイズ、ブリング・イン・ダ・ファンク』といった新しい世代の作品が高く評価されたのも、そうした欲求の表れだったに違いない。とかくインサイダーで構成されがちなこの世界、エイズ禍で多くの才能を失い続けることの危機感は、かなり大きいはずだ(『レント』の楽曲作者ジョナサン・ラーソンの死因はエイズではなかったらしいが)。劇場のシンジケートやユニオンの問題など閉鎖的になる要素は多いが、そうしたことを乗り越える機運が今、あると思う(少なくとも 88年よりは前向きだ)。
 バート・バカラック&ハル・デイヴィッドの参画がポツンと1度あったきりでポップ・ミュージックのビッグ・ネームが関わることなどほとんどなかった近年のアメリカ・ミュージカル界ではあるが、『トミー』以降のこの動き、ぜひともいい方向に展開してほしい。

 個人的には、タップとヒップホップが地続きであることをブラック・エンタテインメントの歴史として見事に証明してみせた『ブリング・イン・ダ・ノイズ、ブリング・イン・ダ・ファンク』の伝統と今日性のダイナミックな二重写し的表現の白人版を、ランディ・ニューマンやヴァン・ダイク・パークスに期待しているのだが。
 しかし、ニルソンにはミュージカルを書いてほしかったなあ。

(5/15/1998)

Copyright ©1998 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

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