“ジュークボックス・ミュージカル”出現の兆しはいつから?

 近年ブロードウェイで上演された“ジュークボックス・ミュージカル”群の観劇記の最後に、 [もっとも、何の前触れもなく、ある日突然アメリカ産“ジュークボックス・ミュージカル”が増殖し始めるはずはなく、その兆しは『マ(ン)マ・ミーア! MAMMA MIA!』のはるか前、 70年代半ばからあったように思えるのだが、――それについては長くなるので別稿に譲りたい。] と書いた。その別稿です。
 未見の舞台が多く、ほとんどが推論ですが、ま、座興として読んでみてください。

* * * * * * * * * *

1). 兆しは 70年代半ばから

 もちろん、何の前触れもなく、ある日突然アメリカ産“ジュークボックス・ミュージカル”が増殖し始めるはずはない。
 一応の指針として、トニー賞ミュージカル作品賞候補作を基準に(そのシーズンの代表作・話題作が挙げられていることを前提に)歴史を振り返ってみると、その兆しは 70年代半ばに表われている。

 まずは 1975-76年のシーズンに、 1920年代から 1930年代の既存のブラック・ミュージックを使った『バブリング・ブラウン・シュガー BUBBLING BROWN SUGAR』が作品賞の候補として現れる。そして、その 2年後。 1977-78年のシーズンが 1つの転換点に見える。
 その 1977-78年のシーズン、トニー賞のミュージカル作品賞を、『エイント・ミスビヘイヴン AIN'T MISBEHAVIN'』が獲る。ファッツ・ウォーラー Fats Waller の作曲楽曲によるこのレヴューが、おそらく、トニー賞史上初のオリジナル楽曲を持たないミュージカル作品賞受賞作だと思われる。
 さらに、この年のトニー賞は、ミュージカル作品賞の候補作に『ダンシン DANCIN'』が挙がっている。ごぞんじの通り『ダンシン』『フォッシー FOSSE』の前哨戦とも言うべき作品で(あるいは、『フォッシー』『ダンシン』の増補改訂版と言えるかも)、様々な既成曲にボブ・フォッシー Bob Fosse が振付を施して、これまたオリジナル楽曲を持たない。
 トニー賞ミュージカル作品賞が、そのシーズンの代表作を対象にしていると考えるなら、オリジナル楽曲を持たない作品が 2本候補になり、なおかつ 1本が受賞するというのは、かなり由々しき事態ではある。
 

2). 背景にはノスタルジー・ブーム+“時代遅れ感”

 俯瞰してみると、この 1977-78年のシーズンあたりが、ヴェトナム戦争泥沼化の疲弊感を経て起こったと思しいアメリカのノスタルジー・ブームが、ひと通りの盛り上がりの後に袋小路に入りつつあった感のある時期ではないか(ノスタルジー・ブームの象徴が 74年の映画『ザッツ・エンターテインメント! THAT'S ENTERTAINMENT!』か)。
 いずれにしても、『バブリング・ブラウン・シュガー』『エイント・ミスビヘイヴン』が登場した背景に、そのノスタルジー・ブームがあるのは間違いない。ちなみに、『ダンシン』に使われた既成曲にもノスタルジックなナンバーが紛れ込ませてあるし、 1977-78年シーズンの作品賞候補には気分がノスタルジックな 1930年代のプレイのミュージカル化作品『20世紀号で ON THE TWENTIETH CENTURY』も入っている。

 一方で、その頃、ブロードウェイ・ミュージカルの世界では“楽曲の時代遅れ感”が深まりつつあったのではないか。
 60年代の半ば以降、ブロードウェイ・ミュージカルの楽曲と巷のヒット曲との、スタイルの上での乖離が、年を追うごとに明らかになっていったはず。そのことは、ここで分析し、こちらでも“ジュークボックス・ミュージカル”の中で使われる既成のヒット曲の条件を「ロックンロール登場以降」と限定する理由として再確認した。その動きから言って、楽曲の面からは“ブロードウェイ・ミュージカルは時代遅れ”と感じる空気が生まれていたのも、また、間違いないと推測する。
 そうした流れに抗おうとするかのように、 67年にはオフから“ロック・ミュージカル”『ヘアー HAIR』が登場。翌 68年にはブロードウェイに進出する。また、 68-69年シーズンには、飛ぶ鳥を落とす勢いのポップス界のソングライター・チーム=バカラック&デイヴィッド Burt Bacharach & Hal David を起用した『プロミセス・プロミセス PRMISES, PROMISES』が登場したりするが、ある種の専門的な修練と、チームによる長期的なコラボレーションを必要とする舞台ミュージカル作りに、継続的に外部の新しい血を導入していくのはなかなか困難だったようで、その他には大きな成果は挙げられなかったように見受けられる。
 そんな風にして迎えた 70年代のノスタルジー・ブームだったから、ミュージカル製作者たちが古い楽曲に目を着け始める(あるいは、そこに“逃げ込む”)のは時間の問題だったのではないか。

 もっとも、 70年代にも独創的な作品を次々に書いて活躍した楽曲作者もいた。中でも、スティーヴン・ソンダイム Stephen Sondheim は、いきなり、 70年『カンパニー COMPANY』、 71年『フォリーズ FOLLIES』、 73年『リトル・ナイト・ミュージック A LITTLE NIGHT MUSIC』という、作詞だけではなく、作曲もする楽曲作者としてのソンダイムの評価を決定づける 3連打を放ち、その後も、 76年『太平洋序曲 PACIFIC OVERTURES』、 79年『スウィーニー・トッド SWEENEY TODD』と、話題作を発表し続ける。音楽的にも文学的にも複雑で高度な、それらの作品の楽曲は、停滞する(あるいは易きに流れる)ブロードウェイ・ミュージカルの楽曲の傾向に対するアンチテーゼのように見える。
 しかしながら、芸術的に高い評価を受けながらも、興行的には、 70年代以降のソンダイム作品は必ずしも成功してはいない。逆に、オリジナルでありながら初期ロックンロールのパロディ的な楽曲を羅列した、お気楽な外見の『グリース GREASE』(72〜80年)が、興行的に最も成功した 70年代作品の 1つとして存在するあたりに、今日の“ジュークボックス・ミュージカル”増殖の気運が見てとれる気がする。
 

3). “ロンドンもの”に隙を突かれる 80年代

 80年代を迎えると、ブロードウェイは“ロンドンもの”に席巻される(79-80年シーズンの『エヴィータ EVITA』から、『キャッツ CATS』『レ・ミゼラブル LES MISERABLES』等を挟んで、 87-88年シーズンの『オペラ座の怪人 THE PHANTOM OF THE OPERA』まで)が、それも、アメリカ側がある種の行き詰まり状態であったがゆえではないかと思われる。そのことを象徴するように、その間、トニー賞作品賞の候補に頻繁に挙がってくるアメリカ産ミュージカルには、オリジナル楽曲を持たない(あるいは、一部オリジナル楽曲があるものの既成曲を多く含む)ものが多数、目に付く。
 次の通りだ。

 33年製映画ミュージカル版の楽曲を使って舞台化した『フォーティセカンド・ストリート 42ND STREET』(作品賞受賞)、デューク・エリントン Duke Ellington のナンバーによる『ソフィスティケイティッド・レイディーズ SOPHISTICATED LADIES』、かなり古い楽曲を集めた『ティンタイプス TINTYPES』(以上 80-81年シーズン)。
 1930年代頃のブラック・ミュージックによる『ブルーズ・イン・ザ・ナイト BLUES IN THE NIGHT』、ガーシュウィン兄弟 George & Ira Gershwin の楽曲による『マイ・ワン・アンド・オンリー MY ONE AND ONLY』(以上 82-83年シーズン)。
 エリー・グリーンウィッチ Ellie Greenwich の楽曲による『リーダー・オブ・ザ・パック LEADER OF THE PACK』(84-85年シーズン)。
 これまた 1930年代頃の楽曲を集めた、フォッシーの実質的最終作『ビッグ・ディール BIG DEAL』(85-86年シーズン)。
 そして 88-89年シーズン(このシーズンから僕も観ている)、『ジェローム・ロビンズ・ブロードウェイ JEROME ROBBINS' BROADWAY』が作品賞を受賞する。これは、ボブ・フォッシーの先達である演出・振付家ジェローム・ロビンズ Jerome Robbins 作品の名場面集、すなわちロビンズ版『フォッシー』とも言うべき作品で、ブロードウェイ・ミュージカルの魅力を歴史的に再認識させるものではあったが、楽曲のみならず全てが再現、つまり、本質はリヴァイヴァルに等しいものだった。このシーズン、やはり作品賞の候補に『ブラック・アンド・ブルー BLACK AND BLUE』が挙げられたが、これも、『ブルーズ・イン・ザ・ナイト』の発展形的な、ブラック・ミュージックの既成曲によるレヴューだった。

 “ジュークボックス・ミュージカル”群の観劇記でも触れたように、この中では、『リーダー・オブ・ザ・パック』が、「特定のアーティストが放った」という条件には当てはまらないものの、「舞台とは関わりのない既成のヒット曲を使って作られた」という意味で、プレ“ジュークボックス・ミュージカル”的性格を有する。
 また、先頃映画化されて話題を呼んだ『ドリームガールズ DREAMGIRLS』(81-82年シーズン)も、『グリース』に似て、オリジナルでありつつ(こちらはノーザン・ソウルの)パロディ的な楽曲が並び、“ジュークボックス・ミュージカル”的気分の作品ではある。
 

4). 混迷を極める 90年代、そして新世紀

 90年代に入ると、『シティ・オブ・エンジェルズ CITY OF ANGELS』(89-90年シーズン。オープンは 89年暮れ)、『ウィル・ロジャーズ・フォリーズ THE WILL ROGERS FOLLIES』(90-91年シーズン)と、 2年連続でトニー賞の作品賞と楽曲賞をアメリカ産ミュージカルがダブル受賞(どちらも作曲はサイ・コールマン Cy Coleman、作詞は前者がデイヴィッド・ジッペル David Zippel、後者がコムデン&グリーン Betty Comden and Adolph Green)。アメリカン・ミュージカルの復権が喧伝される。
 しかしながら、オリジナル楽曲を持たない(あるいは、一部オリジナル楽曲があるものの既成曲を多く含む)ミュージカルの増殖は止まらない。

 オープンは 89年末だが、 89-90年シーズンの作品賞候補になった『若草の頃 MEET ME IN ST. LOUIS』は、 44年製同名映画ミュージカルの舞台化。
 90-91年シーズンには、作品賞候補にはならなかったが、「特定のアーティストが放った舞台とは関わりのない既成のヒット曲を使って作られた」という条件を満たす“ジュークボックス・ミュージカル”がブロードウェイに初登場。ロンドンからやって来た、バディ・ホリーの伝記もの『バディ BUDDY』がそれだ。
 91-92年シーズンは、ガーシュウィン兄弟の楽曲で構成された『クレイジー・フォー・ユー CRAZY FOR YOU』、ジェリー・ロール・モートン Jelly Roll Morton の楽曲による『ジェリーズ・ラスト・ジャム JELLY'S LAST JAM』、ルイ・ジョーダン Louis Jordan の楽曲による『モーという名の 5人の男 FIVE GUYS NAMED MOE』、と、トニー賞作品賞候補 4作中 3作が過去の楽曲に依拠。中でも、『モーという名の 5人の男』は、『バディ』同様ロンドン産の、「特定のアーティストが放った舞台とは関わりのない既成のヒット曲を使って作られた」という“ジュークボックス・ミュージカル”の条件を満たす作品だった。
 92-93年シーズンに登場の『トニー TOMMY』は、 69年にザ・フー The Who が同名アルバムとしてリリースした“ロック・オペラ”の舞台化。
 翌 93-94年シーズンには、ロジャーズ&ハマースタイン Richard Rodgers & Oscar Hammerstein 2 の楽曲を集めたレヴュー『グランド・ナイト・フォー・シンギング A GRAND NIGHT FOR SINGING』と、ディズニー同名アニメーション映画の舞台化『美女と野獣 BEAUTY AND THE BEAST』が登場。そう言えば、“ジュークボックス・ミュージカル”的気分の『グリース! GREASE!』(なぜか「!」付き)のリヴァイヴァルもこのシーズンだった。
 94-95年シーズンのミュージカルは、新作もリヴァイヴァルも 2本ずつしか登場しないという寂しさ。その 2本の新作の内の 1本が、リーバー&ストーラー Jerry Leiber &Mike Stoller の楽曲を集めたレヴュー『スモーキー・ジョーズ・カフェ SMOKEY JOE'S CAFE』というのは寂しすぎ(そういう意味では、もう 1本の新作『サンセット大通り SUNSET BOULEVARD』の作品賞受賞は事実上の不戦勝)。
 95-96年シーズンは、“新世代ミュージカル”『レント RENT』『ノイズ/ファンク NOISE/FUNK』の年だが、ジョニー・バーク Johnny Burke の楽曲によるレヴュー『星にスウィング SWINGING ON A STAR』が作品賞の候補に入っている。さらに言うと、このシーズンは、作品賞候補にならなかった中に、ロジャーズ&ハマースタインの楽曲による 45年の同名ミュージカル映画『ステート・フェア STATE FAIR』と、ヘンリー・マンシーニ Henry Mancini の楽曲による 82年製作の同名映画『ヴィクター/ヴィクトリア VICTOR/VICTORIA』の舞台化作品があった。
 96-97年シーズンには、作品賞候補にはならなかったが、デューク・エリントンの楽曲によるレヴュー『プレイ・オン! PLAY ON!』が登場。
 97-98年シーズンは、同名ミュージカル映画の舞台化作品が 2本。 1本は作品賞を受賞した『ライオン・キング THE LION KING』、もう 1本は作品賞には絡まなかった『ハイ・ソサエティ HIGH SOCIETY』
 98-99年シーズンは、ボブ・フォッシー振付ナンバーの集大成『フォッシー』が作品賞を受賞した年。ブルーズを集めた『イット・エイント・ナッシング・バット・ザ・ブルーズ IT AIN'T NOTHIN' BUT THE BLUES』も作品賞候補になった。同名映画でバックに流れていた楽曲を役者に歌わせた『フットルース FOOTLOOSE』の登場も、このシーズン。
 99-00年シーズンのトニー賞作品賞は、全て既成の楽曲で、しかも録音音源、そして役者が歌わない、純粋のダンス・ミュージカル『コンタクト CONTACT』が受賞。 2年連続でオリジナル楽曲を持たないミュージカルの作品賞受賞となった。作品賞候補の 1つ『スウィング! SWING!』は、魅力的なオリジナル楽曲を含むものの大半は既成曲から成るレヴュー。 93年にオフで上演された、スティーヴン・ソンダイムの過去楽曲によるレヴュー『プッティング・イット・トゥゲザー PUTTING IT TOGHETHER』のオンへの登場も、このシーズン。
 00-01年シーズンの作品賞受賞作『プロデューサーズ THE PRODUCERS』を「一部オリジナル楽曲があるものの既成曲を多く含む」と言っては言いすぎだが、しかし、中心になる 2曲「Springtime For Hitler」と「Prisoners Of Love」は 67年の同名映画で歌われていた楽曲ではある。ちなみに、同シーズンの作品賞候補作『クラス・アクト A CLASS ACT』には、『コーラスライン A CHORUS LINE』の「One」が使われているが、こちらは、同作の作詞家、故エドワード・クレバン Edward Kleban の伝記的作品で、彼が作詞作曲した未発表楽曲の掘り起こしという意味合いが強いので、少し趣を異にする。

 で、翌 01-02年シーズン、“ジュークボックス・ミュージカル”隆盛のきっかけとなる『マ(ン)マ・ミーア!』がロンドンからやって来るわけだ。
 

5). 問題はロック(ロックンロール)的楽曲との折り合い

 と、まあ、ダラダラと記録を基に羅列してきたわけだが(笑)、これだけでも、『マ(ン)マ・ミーア!』効果によってアメリカ産の“ジュークボックス・ミュージカル”が登場してくる以前から、ブロードウェイ・ミュージカルの楽曲が、ある種の“迷走”を続けていたことがわかるだろう。
 で、何度も言うように、転換のポイントは、ロックンロール(及びドーナツ盤)の誕生以降、ブロードウェイ・ミュージカルがヒット曲を生み出す装置としての機能を急速に失っていったところにある(詳しくはこちらこちらで)。ロックンロール誕生以前の既成楽曲を使った作品に“ジュークボックス・ミュージカル”という呼び名が付かなかった理由は、それだろう。
 乱暴な言い方をすれば、オペレッタの流れを汲むミュージック・ホール的な楽曲やジャズ的な楽曲を中心に展開してきたブロードウェイ・ミュージカルが、ロック(ロックンロール)的楽曲をうまく使いこなせないまま“時代遅れ感”を募らせた結果が、“ジュークボックス・ミュージカル”への傾斜となって表われた、ということだと思う。今年のトニー賞授賞式で『春のめざめ SPRING AWAKENING』を“ロック・ミュージカル”と呼んでいるのを見て、今でもそういう意識か、と思ったものだ。
 この辺、細かい話になっていくので、また別稿で(笑)。

 蛇足ながら――。
 こうした流れは、あくまで“オン”・ブロードウェイの話です。ある意味、何でもあり、のオフ・ブロードウェイと、ある種の“格”を必要とするオン・ブロードウェイとでは、楽曲に対する考え方も違ってくる。詳しく調べたわけではないが、“ジュークボックス・ミュージカル”は、オフでは、かなり以前からあったのではないかと思われる。その辺、逆に、ごぞんじのことがあれば、ご教示いただければ幸いです。

(6/23/2007)

Copyright ©2007 Masahiro‘Misoppa’Mizuguchi

previous/next


[HOME]