映画版『オペラ座の怪人』の問題点

 来年の 1月 29日からの日本公開が決まった映画版ミュージカル『オペラ座の怪人 THE PHANTOM OF THE OPERA』を観た(監督・共同脚本/ジョエル・シュマッカー Joel Schumacher)。
 結論から言えば、必ずしも成功していない。その原因は、作曲者アンドリュー・ロイド・ウェバー Andrew Lloyd Webber が製作と脚本(共同)を兼ねたことにある。と言うのも、舞台版を舞台のイメージそのままに映画に移植しようとするところに無理があるからで――とにかく登場人物が歌っている場面の映像が退屈――、そうした作りになったのは、タイトルに“Andrew Lloyd Webber's”と入れずにはいられなかった、プロデューサー兼脚本家、ロイド・ウェバーの要望によるものだと思われるからだ。
 10月 18日に東京都内で行われた完成披露試写会に出席したロイド・ウェバー(来日してたことすら知らなかった)は、製作動機について、「映像の形で永遠に残したかったから」と語ったという。まさにそのように、まずはロイド・ウェバーのために作られた映画なのだという印象を強く持った。

 ミュージカル映画(映画版ミュージカル)は 1950年前後を境に大きく変質した。それについては、『ムーラン・ルージュ MOULIN ROUGE!』を採り上げた時に詳しく考察したが、要点を書き出すと次のようになる。

 1). 1950年前後までのミュージカル映画は、役者の芸を見せることをメインにしながら、そこに映画ならではの特殊効果や編集等の技術を使って現実にはあり得ない表現を加味する、というスタイルで出来上がっていた。
 2). 1950年頃から、新メディア= TVの台頭と、ブロードウェイ・ミュージカルがロジャース&ハマースタイン Richard Rogers & Oscar Hammerstein U に代表されるリアルな感触のストーリー重視路線に進路を変更しつつあったことが重なって、ミュージカル映画は、役者の芸を正面から見せることが少なくなり、ドラマ部分に力を注ぐ普通の劇映画に近いものになっていった。
 3). その結果、人間の芸を中心に据えた従来のミュージカル作りのノウハウが失われ、ミュージカル映画のスターもいなくなっていった。

 こうした流れを踏まえているかのように、最近作られるミュージカル映画のショウ場面の作り方には、次の 2つの傾向が見られる。
 1つは、『世界中がアイ・ラヴ・ユー EVERYONE SAYS I LOVE YOU』『恋の骨折り損 LOVE'S LABOUR'S LOST』のように、素人臭い役者の芸を、かつての映画の手法をなぞりつつ正面から撮っていこうとする、ノスタルジックでユーモラスな(ある意味パロディ的な)感触の、過去のミュージカル映画に対するオマージュ的作品。
 もう 1つは、『ムーラン・ルージュ』『シカゴ CHICAGO』のように、細かいカット割りと優れたカメラ・ワークで観客を引きずり込んでいく、スピード感のある作品。
 この 2つの傾向、正反対のように見えるが、どちらも、長回しで撮っても観客を飽きさせないだけの芸と華のあるミュージカル映画のスターがいない、ということが前提である点は共通している。ユーモラス、スピード感、というテイストの違いはあるが、ショウ場面の見せ方に現代的なアイディアを盛り込んであるのは、その結果だと考えていい。

 ところが、今回の『オペラ座の怪人』には、そうした、過去を総括して現代の観客に向けたミュージカル映画を作ろうという意識が、全くと言っていいほど感じられない。元々ダンス・シーンが少ない上に、“オペラ”を標榜しているだけあって、「さあショウ場面が始まります」というメリハリもワクワク感もないまま、やたらと人々が歌うのだが、そうした場面の演出が、とにかく凡庸。極端に言えば、歌う登場人物を中途半端なカメラ・ワークで追うだけなのだ。
 楽曲がいいし歌もうまいんだから黙って聴け、という姿勢ともとれるが、残念ながら、主要キャスト(ファントム役=ジェラルド・バトラー Gerard Butler、クリスティーヌ役=エミー・ロッサム Emmy Rossum、ラウル役=パトリック・ウィルソン Patrick Wilson)の誰にも、そうした場面を支えるだけのオーラはない。
 このミュージカル映画の最大の問題点は、こうした、“歌の見せ方”のアイディアのなさにある(この点、設定が過去のパリ、劇場内が主な舞台となるバックステージもの、特殊撮影を駆使、等々、共通項の多い『ムーラン・ルージュ』と比較してもらえばよくわかる)。

 ツッコミどころは、他にもある。例えば――。
 舞台版に比べるとファントムの等身大の人間ぽさが強調されすぎて、宝塚流モーリー・イェストン Maury Yeston 版『ファントム PHANTOM』同様、“怪人”としての凄みが薄れ、ゴシック・ホラー色が後退してしまったために、設定の無理さ加減が気になってしまう――とか。舞台版にもある、オペラ座でオークションが行われるプロローグはともかく、回想の基点となるその時代の描写が途中に何度か挟み込まれるのだが、効果がよくわからないし、エピローグも“とってつけた”感が強い――とか。

 要するに、ロイド・ウェバーはミュージカル映画のことがよくわかっていなし、普通の映画のこともわかっていないのだろう。と同時に、実は、舞台版の成功の要因も正しく理解していないのではないか。
 舞台版の手短な観劇記で、僕はこう書いた。
 [アンドリュー・ロイド・ウェバーの最高傑作と言われるが、この作品を成功に導いた最大の功労者はハロルド・プリンス Harold Prince だと思う。半ば冗談のように大袈裟な装置を駆使してゴシック・ロマンの世界を舞台上に現出させたのは、プリンスの、スケールの大きな、そして遊び心に満ちた演出力に他ならない。]
 細かく見ていけば穴がないではないストーリーを見事にまとめ上げてみせたのは、ハロルド・プリンスの舞台ならではの演出術。そのことにロイド・ウェバーが気づいていれば、こんな安易な映画化は行わなかったはずだ。

 舞台版を観たことがない人(あるいは四季版しか観たことのない人)が、この映画版を観てどんな感想を抱くのかには興味がないではない。が、とりあえずミュージカル好きなら観ておいた方がいい、とは言いにくい映画ではある。

(11/1/2004)

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