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『フレディ』 100回公演を超えて

〜作曲家、島健さんに訊く 2〜

 2000年 8月 17日に東京グローブ座で幕を開けたオリジナル・ミュージカル『フレディ〜少年フレディの物語〜(初演時のタイトル『葉っぱのフレディ』から昨年改題)は、その後も断続的ながら順調に公演を重ね、 3月 21日、東京のアートスフィアで通算 100回目の公演を迎える。
 この作品の素晴らしさの核心は、こちらに書いた通り、島田歌穂演じる少年フレディの魅力的なキャラクターと、山川啓介(作詞)×島健(作曲・編曲)による楽曲のよさにある。ことに、楽曲の充実度は特筆もので、楽曲こそがミュージカルの命であるにもかかわらず、日本のオリジナル・ミュージカルの多くがその点で全く満足いかないことを考えると、“傑作”と呼んでさしつかえないと思う。
 その楽曲の作曲と編曲、そして演奏も手がけている島健さんに、 2月末に再びお話をうかがった。ミュージカル作りの舞台裏が垣間見える、興味深いインタヴューになったと思う。
 前回のインタヴューの時は、初演開始以前の、まだ具体的には楽曲が出来上がっていない段階だったので、今回はその続き。楽曲作りの話から始めていただいた。

●驚異的短時間で出来た楽曲

――前回お話をうかがったのが 6月末で、その時点ではまだ楽曲が出来ていなくて、公演の始まりが 8月中旬。すごく早かったので、実は心配していたんですが(笑)。

 いや、僕らも、ホントにこの時間で出来るんだろうかっていう心配はありましたけどね(笑)。
 もちろん本(脚本/忠の仁)は出来てたんですけど。でも、実は、本が出来る前に曲があったんですよ、原作の絵本のイメージから出来たテーマ曲みたいな曲が。
 で、(忠の)仁さんと山川(啓介)さんと、みんなで最初に打ち合わせした時に、僕としては全体的な音楽のイメージはこんな感じなんだけどって、そのテーマ曲を聴いてもらって、みんなが、ああ、すごくいいんじゃないかってことで。もう、山川さんなんか、それ聴いただけで、「あ、もうこの作品は成功だ」(笑)。
 それが、オープニングの曲なんです。

――楽曲の出来た順番は?

 一応だいたい本の流れ通りに山川さんが詞をまず書いて……。全曲、詞が先ですね。やっぱりミュージカルの場合って、どうしても、ストーリーが先にあるので、やっぱり詞が先じゃないと。ま、曲が先の場合もあるかもしれないけど、僕の場合は、詞をもらってから曲を書く方が書きやすいし、詞とメロディが合ったものが出来ると思うんですね。

――楽曲の仕上がりがとても自然なので、曲が先なのかと思ったんですが。

 僕は、詞が先だったから、そういう風に出来たと思うんですけど。結局、詞=言葉自体が持ってるリズムとメロディってあるわけじゃないですか。それに逆らわないで書いてるので。
 だから、不思議なぐらい作曲に時間がかかってないんですよ。全部で 15〜 16曲あるんですけど、ほとんどの曲を、だいたい 30分ぐらいで書いちゃった(笑)。山川さんからファクスが来るんですね。ファクスが来て、お来たな、と思って、こうピアノの前にポンと置いて、で、なんとなくこう(ピアノを弾く素振り)やってるうちに……。
 最初、まず 1番だけ詞が来るんです。それで、30分ぐらいでポッと出来てしまって、それをまた山川さんに送り返して、それで今度は山川さんから 2番の歌詞が来て……。山川さんもビックリしてましたよ、あまりに早いんで(笑)。(詞を)送ったと思ったら、次の日にはメロディが付いて送り返されてきちゃうんで。

――いいものが出来る時というのは、そういうものなのかもしれませんね。

 ええ、そうだと思います。今まで、僕が、いろいろ作曲や編曲してきてもね、何日もああでもないこうでもないって悩んだ曲よりも、なんかポッと出来た曲の方が、後で客観的に見ると、いい曲が多いですよね。やっぱり自然なんでしょうね、流れが。あれこれ考えたものは、どうしても作為的になってしまってね。
 もちろん、山川さんとやりとりする過程で、多少は、ここメロディ変えてくれないかとか、ここちょっと言葉変えてくれないかとか、てことをやりつつ……。そういう意味では、すごいいい形でキャッチボールをやりながら、コラボレーション出来たんじゃないかなと。
 要するに、向こうのミュージカルの作り方っていうのは、作家と作詞家、作曲家、振付家、演出家というものが、本当に、みんなで喧喧諤諤(けんけんがくがく)やりながら作っていくものだと思うんですけど、日本の場合は、すごい分業になっちゃってる気がします。

――企画ありき、で。

 そうそうそう。企画ありきで。それぞれが全然別個に、バラバラに仕事してるケースが多いんじゃないかな。
 そういう意味では『フレディ』は、かなり、そういう、向こう的な作り方と言うか、みんなが意見を戦わせながら作っていくっていう形で出来たと思います。ま、短時間――驚異的短時間ではあったけれども(笑)。

●楽曲のミュージカル的アイディア

――『フレディ』の楽曲は、全体の劇的な構成の中での曲の配置がとてもよく出来ているのですが、それは最初から考えて書かれたんですか?

 いや、最初っからそんな風に狙ってたというようなところは全然なくって、作っていく過程で。
 まあ、元々の仁さんの本の中に、ここでこういう曲っていうのはあったわけで、それを山川さんが、その本の意図を汲んでうまく詞にしてくれて、自然にそういう風に出来てった感じですねえ。自分で最初から、音楽的にここはこう盛り上げてとかって狙ってたってことは、そんなにないですね。

――ある楽曲を、繰り返し使ったり、別の楽曲の途中に挿入してダブらせて使ったりといった、いわゆるミュージカル的な楽曲の使い方については?

 それは、ある程度、今までいろいろ観てきたミュージカルで自分でいいと思ったミュージカルのエッセンス的な部分は、もちろん意識してたんですけど。こういうことやりたいなっていう、自分がミュージカル書く時にはうまく採り入れたいって思ってた部分は、いっぱいあったんで、そういうところはなるべく生かそうとしましたね。
 それと、あと、「雨やどりのラブ・ソング」。この曲は、仁さんが本を書いてる段階で、僕がどっかに、雨の音――ヴァイオリンのピチカートの雨の音、それがだんだん音楽になっていく曲を入れたいって。それは僕がリクエストしたんです。

――「雨やどりのラブ・ソング」は、独立したポップ・ソングとしても魅力がありますね。

 あの曲がいいって言ってくれる人は多いですね。あれは、どんな曲になるかはもちろん見えてなかったんですけど、ポツッポツッっていう雨だれの音から音楽が始まるっていうのが、漠然と僕の中にあって……。

――そうすると、その段階から弦楽四重奏とピアノで、という構想があったんですか?

 弦カル(弦楽カルテット=弦楽四重奏)とピアノで行こうというのは、かなり早い段階から決まってました。やっぱり、ドラムとかベースが入るっていう感じではないじゃないですか。元々の作品の世界観がね。
 だから、それは最初っからイメージとして、それにしましょうってことになってました。

――驚いたのは、サーフィン・ミュージック(「なぎさでパーティ」)を弦楽四重奏とピアノでやって、ノリノリじゃないですか。あれが素晴らしいなと。

 僕もねえ、最初、この編成でロックンロールやるのは大変だなあと思ったんですけどねえ。でも、やってみたら意外に(笑)。
 あれ、全然別に、音が寂しいとか足りないって感じ、しないですよね。

●出演者とのコミュニケーション

――出演者を選ばれる時には、あの後半の賛美歌のような歌(「イブのこもりうた」)を歌えるかどうかというのが、大きなポイントだったんでしょうか?

 そうですね。特に「イブのこもりうた」はバス(男声の最低音部)が必要だったので。アルフレッド役の杉江真さんは、(島田)歌穂がインドネシアで『月の夜の物語』(1999年)ってのをやった時にカンパニーにいた人で、バスの人って珍しいから貴重なんで、覚えてて、で、彼がいいんじゃないかな、と。

――あの方は、実はアルフレッドのようなコミカルなキャラクターではなかったりするんですか?

 たぶんそうでしょう。あの方は、芸大の声楽家出の、ほんとクラシックな人なんで。

――パパとママはむずかしい役ですよね。フレディに直接絡まないし。

 すっごくむずかしい。パパ、ママは、一番むずかしい役じゃないかと思いますよ。
 あの、(パパとママが歌う)「あの子のいない夏」という曲は、悲しい詞なんですけど、でも、まだフレディの病気は治るという希望はあるので、それを悲しく歌っちゃうと、ちょっと違うんですよね。で、僕もその曲を書く時に、これを悲しい曲にしちゃったら絶対にダメだと思って。だからと言って、明るい曲にするわけにもいかないし、という。そこがすごい苦労したところなんだけど。
 マイナーで始まるんですけどメジャーで終わる、っていうように作ってあるんです。サイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」のようなイメージで。マイナーなんだけれども日本的情緒のマイナーではない、ああいう淡々とした……。そういうイメージで書いたんです。
 だから、むずかしい。悲しいけれど希望は捨てていない、という微妙な表現が要求される曲なんですね。

――島さんたち演奏者は舞台奥にいるわけですが、あの場所にいて、舞台前方の出演者とのコミュニケーションというのは問題ないですか?

 それは全然問題ないですよ。こっちからは全部見えてますから。

――最初の曲(「ベッドで空を飛べたら」)を始めるキッカケは?

 あれは、歌穂がポンと靴を投げたのをキッカケに、キッ・コッ・キッ・コッっていうのが始まるんです。
 いや実はねえ、何度やっても、かなり、演奏する方は大変なんですよ、集中してないと。そういうキッカケみたいなのがすごく多いんで、気が抜ける場面がないんですよ。その辺は緻密にやってるんで。だから、けっこうキツいんですよ、実は(笑)。

――上演を重ねている間に変わった部分は?

 音楽的には、再演の時に伸ばした曲があるんですね。「もうひとりのぼく」という曲。初演の時には 1番しかなくて、それを再演の時に増やして。この「もうひとりのぼく」と、それから、「緑のハーモニー」。これは長さが長くなってます、初演の時よりも。
 「もうひとりのぼく」は、いわゆるショウ・ナンバー的な、割とジャジーな曲じゃないですか。それで、ダンスもするしってことで、これは、もうちょっと伸ばそうと。「緑のハーモニー」もそう。ダンス・シーンがある、いわゆるショウ・ナンバーなんで、それをもう少し、濃くしようってことで、再演の段階で長くしてます。

――「緑のハーモニー」は、葉っぱのコスチュームが初演と再演で変わりましたよね。

 変わりました。初演の時は、フラフープみたいなので。
 あの場面も未だに議論してる場面なんですけどね。あの葉っぱ(のコスチューム)を出す必要はないんじゃないかっていう。どうしても、あそこで、ちょっと着ぐるみ的な、観てる側がちょっと引いちゃう部分になりかねないなってところがあって。これはもう、初演の時からずっと、みんなで心配してる場面なんですけど。
 あそこが一番試行錯誤してるとこかなあ。

●これからの『フレディ』

――全国を回られる時に、会場で苦労なさることってあるんですか?

 それはありますね。
 北海道に行った時に、(会場が)劇場的な設備の全然ない、いわゆる公民館的なところで。ステージも狭いし、セットも置けないし、バンドももちろん舞台奥に入るスペースなんかないですし。その時、結局、バンドは舞台の下で、仮設オケピじゃないですけど、舞台下の横の方でやったんですけども。
 そういうことで、スタッフみんなで、行った時に考え込んじゃったんですよ。でも、町の主催の女性が、非常に情熱を持ってて、「ホントにすみません、でも、なんとかここでやれないでしょうか」って目をうるませているんです。で、我々も、そういう熱意にはなんとかしたい、ってことで、スタッフもすごいがんばってくれて。
 あれは、けっこう感動的でしたね、逆に。ああいう場所で、なんとかしようという風にみんなががんばって、ステージが実現出来た時、なんか、こう感動的でしたよ。その町の方々もホンットに喜んでくれて。

――アメリカに持っていこうとかっていう、お考えはあるんですか?

 もちろん……です。って言うか、最初っから最終的にはそこを目指してたので、けっこう今、いろいろ進めているところです。

――その場合は、英語にするんですか?

 今のところは、そのつもりですね。(判断が)むずかしいですけど、やっぱり日本語でやって字幕でって言っても、むずかしいですよね。
 そこが、すごい大変なところですけど、やっぱり、全部日本人のキャストで、全部英語で、なんとかやりたいなとは思ってますけどね。

――そういう意味では、島さんは前回のインタヴューでもおっしゃってましたけど、題材的にも文化の違いがあまり出ないですね。

 うん確かに。割と世界共通な部分だけで出来る感じはする。

――(フレディのセリフに出てくる)ポケモンもアメリカ人はわかりますしね。

 (笑)。あれ(ポケモンの部分)は、いつも旬のネタを入れてるんですけど(笑)。

――アメリカ上演は、具体的にいつ頃とかあるんですか?

 一応、 2年後ぐらい、 2005年ぐらいに実現させたいと思ってるんですが。

――ニューヨークですか?

 ニューヨークで。オフ・ブロードウェイぐらいで。一応それを 1つの目標にしてます。もし出来たら、素晴らしいですね。

(interviewed on 2/27/2003)

 ★『フレディ』公演の詳細は、島田歌穂公式サイトで。
 ★島健さんの公式サイトは、こちら

(3/20/2003)

Copyright ©2003 MIZUGUCHI‘Misoppa’Masahiro

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