ミュージカル批評の心得(1)

〜「ザッツブロードウェイミュージカル」徹底批判 1〜

  [HELLO!] の 2月 2日分と 2月 7日分(2000年)で、重政隆文著「ザッツブロードウェイミュージカル」(松本工房)についての疑問点を書いてきたが、この辺でケリをつけておこう。
 実は、この本を採り上げたことを少し後悔している。と言うのは、読めば読むほど杜撰(ずさん)な内容であることがわかってくるからで、批判するのに疲れそうなのだが、まあ、乗りかかった船だ。前回のミュージカル・サイトの心得同様、これを他山の石として、最終的にはミュージカル批評のあり方について考えることにしたい。

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曖昧な執筆目的

 2月 2日分の [HELLO!] で僕は、「ザッツブロードウェイミュージカル」の根本的な問題点を 2つ、次のように挙げた。

 1). 執筆の目的を、 [絶讃調のブロードウェイ像に対する一つの異議申し立て] と著者自ら規定しているが、その“異議申し立て”を日本の読者に読ませて何の意味があるのかがわからない(日本人はブロードウェイ・ミュージカルの観方がわかっていない、と主張したいのか? あるいは、ブロードウェイ・ミュージカルは観るに値しないとでも?)。
 2). その執筆の目的の曖昧さと無関係ではないと思うのだが、もう 1つの問題は、著者がブロードウェイの劇場において異邦人(異文化人)であるという認識(逆に言うと、ブロードウェイ・ミュージカルがアメリカ固有の文化であるという認識)が、ありそうで実は希薄。そして、著者はアメリカ文化に対する理解や知識が足りなすぎる。

 我ながら慧眼だと思う(笑)。その後、(うんざりしながら)ていねいに読んで、この 2つの問題が、この本のダメさのすべてを支配していることがはっきりした。
 細かく批判していくと他にもいろいろ挙げられるが、とにかくここでは、この 2つの視点でバッサリいきたい。

 話をわかりやすくするために、この本の目次を書いておく。

 ●なぜブロードウェイか(注・前書きにあたる)
 1). ブロードウェイ・ミュージカルの現状
 2). ミュージカルに向かない題材
 3). リバイバル作品
 4). レビュー
 5). エンターテインメント
 6). 大作ミュージカル
 7). アンドリュー・ロイド・ウェバー
 8). 人種
 9). パフォーマンス
 10). オフ、オフ・オフのミュージカル
 11). 『オー! カルカッタ』騒動
 12). タップダンス
 13). 観客
 ●あとがき
 ●索引

 まず、前書きである「なぜブロードウェイか」という、わずか 2ページの章。
 ここに、前述の、 [絶讃調のブロードウェイ像に対する一つの異議申し立て] という著者自身の執筆目的説明があるのだが、これがよくわからない。

 [芝居] を [古典から前衛まで、そしてミュージカル、商業演劇、小劇場、学生演劇など、ジャンルを問わずに見てきて、自分の好みは小劇場のごく一部の中にあると確信を強めていた] 著者は、 [一九八七年、初めてニューヨークに行き、ブロードウェイの芝居を見て(中略)おかしくな] り、 [以後、ニューヨークに通いつめて] [ブロードウェイの芝居の大半を見ること] になる、という経過に続けて、いきなり著者はこう書く。
 [今回はとりあえずストレート・プレイを除いて、主要なミュージカル中心にまとめてみた。]
 つまり、 [自分の好みは小劇場のごく一部の中にある] と思っていた著者はブロードウェイに行って感動し、その体験を本にしようと思ったということか、文脈から言って。でも、そうすると、 [異議申し立て] っていうのとは話が違ってくるが……。
 読み進めよう。

 続けて著者は、ニューヨークで [私が好みだと思い込んでいた小劇場系の舞台を探すなら、オフ・ブロードウェイかオフ・オフ・ブロードウェイに行かねばならない] ので、そこに行って舞台を観るが、 [意外にもあまり面白くない] ことから、次のような結論を出す。
  [小劇場に関してはニューヨークより大阪の方がレベルが高い。東京の方がさらに高い。商業劇場に関しては、これもいろいろ見てきて、ブロードウェイが日本をはるかに上回っている、と判断した。]
 ああ、やっぱりブロードウェイ賛歌を書くのか。――と思うよね、ここまで読んだら。ところが、これに続く文章はこうだ。

 [ただ日本のマスコミで伝えられているブロードウェイ・ミュージカル像は歪んでいる。少々大げさに言ってもいいだろうと思っているのか、いいことづくめの記事や放送ばかりである。]
 ということで、 [異議申し立て] 宣言の登場となるのだ。

 うーむ、わからない。 [自分の好みは小劇場のごく一部の中にある] と思っていた著者が、(はっきり書いていないが)どうやらブロードウェイの芝居やミュージカルに感動したらしいのだが、それなのになぜ [絶讃調のブロードウェイ像に対する一つの異議申し立て] をわざわざ書くのか。感動したなら誉めればいいんじゃないのか。
 そもそも、その [異議申し立て] は誰に対して申し立てられるのか。その [異議申し立て] は誰にとって意味があるのか。
 この章の文章からは、タイトルに反して、「なぜブロードウェイか」が全くわからないのだ。

 だいたい、 [絶賛調のブロードウェイ像] って何だ?  [ブロードウェイは明らかな商業演劇である。自分で宣伝する場合もいいことしかいわない。] って当たり前じゃん。自分たちの作品を宣伝で悪く言うやつがどこにいる。それに、つまらない作品を素晴らしいって誉めたために観に行ってがっかりする方が、素晴らしい作品をつまらないって貶したために観逃すより罪は少ない。舞台なんて自分の目で観るまでわかんないっていう大真理があるんだから。
 あえて [異議申し立て] をするのであれば、少なくとも、 [絶賛調のブロードウェイ像] を作り出していると著者が考える、具体的な記事なり発言なりを提示するべきだろう。これって、ごく初歩的な論文作法じゃないでしょうか。
 しかし、この件は最後まで曖昧にされたまま終わるのだ。

 [異議申し立て] の話は、言葉を変えて第 1章の冒頭でも語られる。そして著者は、ここでも、こんな曖昧な前提から話を始める。
 [ブロードウェイではいつも演劇が盛んであるかのような記述が、雑誌の特集などに頻繁に載る。]
 どの雑誌のどの記事という提示は、 [絶賛調のブロードウェイ像] の時と同様、もちろんここでも、ない。にもかかわらず、続けて、こう書く。
 [「盛ん」という言葉の本来の意味をどう捉えるかは個人によって違うだろうが、私にはブロードウェイの演劇が「盛ん」だとはけっして思えないのである。]
 「盛ん」ってカッコ付きで書いてるけど、それ、引用でも何でもなくて、直前に自分で書いた言葉でしょ。例証もなしに一般的な論として「ブロードウェイではいつも演劇が盛んである」という記事があることにした上で、それに自ら反論を加えてどうしようってんだい、って感じ。
 でもって、ここで著者は、わけのわからないことの上塗りをする。こう書くのだ。
 [私の概念から言うと、演劇が「盛ん」というのは、新しい劇作家がたくさん登場して、次々にオリジナル作品を発表し、多くの観客を楽しませている状況を指す。]

 えっと、大学の助教授にこんなことを説明するのは釈迦に説法かもしれないけれども(のれんに腕押しでないことを祈る)、この論の進め方、まるで説得力がない。こういう場合は次のように話を進めるのが常識だろう。
 1). まず、「ブロードウェイではいつも演劇が盛んである」と書いた記事(A)を具体的に挙げる。
 2). 次に、記事(A)では、これこれこういう状況を「盛ん」と言っているが、それを「盛ん」とは言わない、と反論する。
 3). その根拠として、記事(A)で言っている状況が「盛ん」とは言えない、比較対照すべき、別のもっと「盛ん」な状況を提示する。
 つまり、 [「盛ん」という言葉の本来の意味] の捉え方なんて、ここではどうでもよくて、大切なのは具体的な比較論なのだ。お願いだから、 [私の概念] なんていう他人にわからないものを持ち出さないでほしい。 [新しい劇作家がたくさん登場し] の「たくさん」の具体的量、 [次々にオリジナル作品を発表し] の「次々」の具体的量、 [多くの観客を楽しませている] の「多く」の具体的量を示した、別のもっと「盛ん」な状況と比較することでしか、 [ブロードウェイの演劇が「盛ん」だとはけっして思えない] などとは言えない(「けっして思えない」のが著者の妄想でないなら)。これ、論理の常識。

 しかし、著者がこの章で提出する具体的数字は、 1996年 3月と 1998年 9月の時点での上演中のブロードウェイ・ミュージカルの数と、その内訳(リヴァイヴァル、アニメーションを含む映画の舞台化、ロンドンからの移植、アメリカ産の新作の数)だけだ。比較するものは何もない。
 だから、 1996年 3月の上演中作品が 15本で、その内、リヴァイヴァルが 5、映画の舞台化が 4、ロンドン産が 4、アメリカ産新作が 2、 1998年 9月の上演中作品が 16本で、その内、リヴァイヴァルが 3、映画の舞台化が 2、ロンドン産が 4、アメリカ産新作が 7(内 2本は 96年と同作品)、と言われても、読者はこれが「盛ん」なのか「盛ん」でないのか判断しようがない。逆に、この 2年を比較すれば、 98年の方が「盛ん」になっているという判断も下せるのだ(実は、作品の内訳の分類法、及び具体的な分類に問題があるのだが、混乱するのでここでは触れない)。

 以上述べてきたように、著者の言う [絶讃調のブロードウェイ像に対する一つの異議申し立て] の基調となるべき [ブロードウェイの演劇が「盛ん」だとはけっして思えない] 説の具体的根拠は、この本の方向付けをすべき前書き「なぜブロードウェイか」及び第 1章「ブロードウェイ・ミュージカルの現状」において、読者には全く明らかにされない。
 にもかかわらず、著者は言う。
 [この本では、ブロードウェイのもっとも華やかな部分であるといえるミュージカルについて考察を加えてみた。実はそんなに「盛ん」ではないということが、明らかになると思う。]
 「そんなに」だとか、最後の「思う」とかってのは弱気の表れか。
 ともあれ著者は、誰にとって意味があるのかわからない [絶讃調のブロードウェイ像に対する一つの異議申し立て] にこだわったまま、第 2章以降に突入する。

執筆動機に関わる発見(余談)

 先日、古書店で「ザッツブロードウェイミュージカル」の著者、重政隆文による「勝手に映画書・考」(松本工房)という、“映画に関する書物について書いた本”を見つけて立ち読みした。そこで、ああやっぱり、と納得する記述に出会ったので報告しておく。

 小林信彦に「本は寝ころんで」(文芸春秋→文春文庫)という優れた読書ガイド本がある。つまり、この本は映画に関する書物ではないのだが、その中に、“「七人の侍」をより面白く観るための本”という、映画に関わる章がある。
 1991年 11月に黒澤明の『七人の侍』が完全版として劇場でリヴァイヴァル公開された。その公開を前に小林信彦は、オリジナル公開当時不当な批判を浴びた同作品の素晴らしさをより深く理解するための本をそこで紹介していて、その紹介文自体が、極めて具体的な『七人の侍』再評価、そして“日本の映画批評”批評になっているのは、この著者だから言うまでもない。
 ところが、重政隆文は、その章の最後にある次のような文章だけを採り上げて、鬼の首でも獲ったように得々と批判する。

 [「野良犬」を観ていない自称・映画批評家がいるのはオドロキである。(中略)「七人の侍」にかけつける前に、まずビデオで「野良犬」を観るべきだ。すべてはそこから始まる……。]

 重政の批判のポイントは [ビデオで] というところ。どうやら「映画は劇場で観るべし」という(極めて当たり前の)主張の持ち主らしく、「ビデオで観るべき」とは小林信彦も軟弱になった、と批判しているのだ。

 問題はいろいろある。
 まず、“映画書”でないものをわざわざ採り上げた上に、映画(『七人の侍』)について書かれた主要部分を全く無視して、些末的な箇所のみを引用し、批判していること。
 第 2に、前半部分について無視しているので、この [「七人の侍」にかけつける前に、まずビデオで「野良犬」を観るべきだ。] という主張が、目前に迫った『七人の侍』の公開を前になされていることがわからなくなっている。つまり、小林信彦の文章が書かれた時点で『野良犬』を観るにはビデオで観るしかないのだが、そのことを重政は、意図的にとしか言いようのない書き方で隠蔽している。
 早い話、わざわざ論旨を読み違えて、全く筋違いの批判をしているのだ。
 なぜか。

 実は、この批判文の中で重政は、映画はビデオで観るべきじゃないという主張から、さり気なく、自分は黒澤映画を全て映画館で観たぞ、という自慢へと論点をズラしている。
 僕の理解はこうだ。
 こんな意味のない批判を重政がわざわざ書いたのは、小林信彦という映画ファンにも人気のある作家の文章の中にたまたまあった、自分に都合のいい部分だけを採り上げて批判し、「映画は劇場で観るべし」が自分のモットーであることを強調、自分は黒澤映画を全て映画館で観た、という自慢をしたかったからだ。
 もちろん誰にでも、ひけらかし願望とでも言うべき、この種の自慢癖はある。しかし、ここまでズルいやり方で他人を批判してまで自慢したいというのは、重政隆文という人の著作の本質に関わる問題なのではないだろうか。

 そう思って「ザッツブロードウェイミュージカル」を読むと合点がいく。
 場当たり的で一貫性のない内容、様々な誤解、そしてなにより執筆目的の不明確さ。どうしてこんな人がブロードウェイ・ミュージカルについての本を書いたのだろうと、読めば読むほど不思議だったのだが、なんだ、自分は他人の観てないようなミュージカルまで含めてたくさんのミュージカルをニューヨークで観てきたんだと自慢したかっただけなんだ。巻末の索引に、本文で採り上げていないが観たという作品まで「参考資料」と称して列挙してあるのはそんなわけだったんですね、重政さん。

 てなわけで、(たぶん)続く。

(2/21/2000)

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